龍のシカバネ、それに月
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しかし、中側から開いた几帳を引き上げた手は、珠生さまのものだった。
「珠生さまっ……なぜ、ここに。藍架さまは……」
目が合うと、悪戯が成功した子供のように笑う。
力が抜けてしまうような、邪気のない笑み。
これだから俺は、この人には敵わないのだ。
珠生さまは几帳を下ろし、その席から話を受けた。
「朋哉と話したことが……約束をしたことになったのかどうか、わかりません。何しろ、あの時の朋哉は、ひどく取り乱していて、それなのにそれを抑え込もうと躍起になっていた。
ただ俺が、叶えてやりたいと思っただけのことで、朋哉には頼んだつもりもない話でしょう。声が、とても小さくて、そばにいる俺が聞いていたかどうか、朋哉はわかっていないはすです」
『あの時』とはいつのことだと疑問符を浮かべる顔が多かったのか、質問を待たずして「12年前の、朋哉の儀の夜……いや、直前でしたからね。夕方でした」と答えた。
「朋哉匣姫は、お小さい声で珠生さまに何とおっしゃった?」
老婆が、答えを知っている顔で問う。
珠生さまは苦笑を浮かべた。
「『消えたい』と」
珠生さまの答えに、場がざわめいた。
龍の希望の象徴でもある匣姫が『消えたい』などと、あってはならない、台詞だった。
だが、それも仕方のないことだろう。
誰が見てもわかるほど、朋哉さまと珠生さまは仲が良かった。
それを、引き裂き、四龍繁栄のための身だと、わかっていても納得できるものではないだろう。
「『自分が消えられないんだから、いっそ…… ……』」
珠生さまの続きに皆が緊張を走らせた。
老婆だけが落ち着いた声色で問う。
「続きは聞かれたのか?」
珠生さまは「ええ」と頷いた。
「『自分が消えられないんだから、いっそ四龍も匣宮も消えれば良い……』」
なんと恐ろしいことを、と吐露する震える声が、赤い几帳から聞こえた。
匣姫が、四龍と匣宮の滅亡を願う。
あってはならない忌事だ。
しかし。
(朋哉さまにはそう思うしかない状況があった)
龍のために在る匣姫の心を解するものは、ごく少ないのだとしても。
「その後、北龍の呪詛は行われ、月哉さまの魂を擁した朋哉は北龍に連れ去られ、匣として使われた。
影時殿」
唐突に名を呼ばれ、影時は黒の席で顔を上げた。
珠生さまは、その顔をまっすぐ見つめ返す。
「影時殿。貴方は朋哉を擁している間、朋哉を朋哉として扱わなかった。常に『月哉』と呼び、月哉さまとして扱った。……朋哉は、“二つ月”……どれほど“跳んで”しまっても、自分が誰よりも『朋哉』であることを切望していた。
しかし、貴方は誰よりも月哉さまに執心なさっていた。月哉さまに似た弟、朋哉にその面差しを求めようとなさったことも存じております。失われた悲しみは計り知れないものでしょう。ですが、それらはすべて、影時殿の自業自得」
影時はぴくりと眉を動かした。
「貴方は、幾度も桜子さまがお守りしていた月哉さまをさらい、桜子さまに取り返されを繰り返し、とうとうそのお手で月哉さまを手にかけたのですから」
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