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龍のシカバネ、それに月
3

 しかし、中側から開いた几帳を引き上げた手は、珠生さまのものだった。

「珠生さまっ……なぜ、ここに。藍架さまは……」

 目が合うと、悪戯が成功した子供のように笑う。
 力が抜けてしまうような、邪気のない笑み。
 これだから俺は、この人には敵わないのだ。

 珠生さまは几帳を下ろし、その席から話を受けた。

「朋哉と話したことが……約束をしたことになったのかどうか、わかりません。何しろ、あの時の朋哉は、ひどく取り乱していて、それなのにそれを抑え込もうと躍起になっていた。
ただ俺が、叶えてやりたいと思っただけのことで、朋哉には頼んだつもりもない話でしょう。声が、とても小さくて、そばにいる俺が聞いていたかどうか、朋哉はわかっていないはすです」

『あの時』とはいつのことだと疑問符を浮かべる顔が多かったのか、質問を待たずして「12年前の、朋哉の儀の夜……いや、直前でしたからね。夕方でした」と答えた。

「朋哉匣姫は、お小さい声で珠生さまに何とおっしゃった?」

 老婆が、答えを知っている顔で問う。
 珠生さまは苦笑を浮かべた。

「『消えたい』と」

 珠生さまの答えに、場がざわめいた。
 龍の希望の象徴でもある匣姫が『消えたい』などと、あってはならない、台詞だった。
 だが、それも仕方のないことだろう。
 誰が見てもわかるほど、朋哉さまと珠生さまは仲が良かった。
 それを、引き裂き、四龍繁栄のための身だと、わかっていても納得できるものではないだろう。

「『自分が消えられないんだから、いっそ…… ……』」

 珠生さまの続きに皆が緊張を走らせた。
 老婆だけが落ち着いた声色で問う。

「続きは聞かれたのか?」

 珠生さまは「ええ」と頷いた。

「『自分が消えられないんだから、いっそ四龍も匣宮も消えれば良い……』」

 なんと恐ろしいことを、と吐露する震える声が、赤い几帳から聞こえた。
 匣姫が、四龍と匣宮の滅亡を願う。
 あってはならない忌事だ。
 しかし。

(朋哉さまにはそう思うしかない状況があった)

 龍のために在る匣姫の心を解するものは、ごく少ないのだとしても。

「その後、北龍の呪詛は行われ、月哉さまの魂を擁した朋哉は北龍に連れ去られ、匣として使われた。
 影時殿」

 唐突に名を呼ばれ、影時は黒の席で顔を上げた。
 珠生さまは、その顔をまっすぐ見つめ返す。

「影時殿。貴方は朋哉を擁している間、朋哉を朋哉として扱わなかった。常に『月哉』と呼び、月哉さまとして扱った。……朋哉は、“二つ月”……どれほど“跳んで”しまっても、自分が誰よりも『朋哉』であることを切望していた。
 しかし、貴方は誰よりも月哉さまに執心なさっていた。月哉さまに似た弟、朋哉にその面差しを求めようとなさったことも存じております。失われた悲しみは計り知れないものでしょう。ですが、それらはすべて、影時殿の自業自得」

 影時はぴくりと眉を動かした。

「貴方は、幾度も桜子さまがお守りしていた月哉さまをさらい、桜子さまに取り返されを繰り返し、とうとうそのお手で月哉さまを手にかけたのですから」


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あきゅろす。
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