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龍のシカバネ、それに月
5

 西の頭領の名もどうでもいいとすら思った。
 腕と脚を封じられ、龍の力も発動させられない。
 最愛の人を蹂躙されても、何もできない我が身の矮小さに、反吐が出そうだった。

「生きて、見ていろ。西の頭領」

 愉悦の声が鼓膜に響く。
 呼べることがあんなにも嬉しかった愛しい人の名前を、今は口にすることもつらい。
 涸れるほど呼んでも、月哉には届かない。

「あ、あああっ……!」

 ぎゅっと影時に抱きついて、月哉は達った。
 ふるりと腰を揺らして、白濁の散った腹を撫でた。

 雨水で流されているのだろう白濁を指に救って、赤い唇に触れながら、ふと私を見た。
 ぼんやりとした黒い目が、すぐに見開かれ、青ざめた顔が凍りついた。

「雪乃……ゆき……私は……嫌、嫌だ、こんな……」

 がたがたと震えだす月哉の顎をつかんで、無理矢理に私へと目を向けさせる。

「大好きな旦那に見てもらえたんだ。良かったなぁ、匣姫サマ。上手に腰振ってたのをさ」

「嫌だ、放せ! 雪乃っ……!」

 暴れはじめる月哉を簡単に封じながら、影時は笑った。

「正気に戻ると面倒だな。だから南のやつも、先の匣姫の精神から殺したんだな」

「だったら殺せ! 私を殺せ! どうせおまえが恨んでいるのは匣宮なんだろう!」

 月哉が泣き叫ぶのを鼓膜に震わせていた刹那、影が、前をよぎった。

 長く尾を引く、黒い人魂。
 影時の手足。
 その長い尾に大量の血液がついたまま、空を流れていくさまを私はこの目に映したというのに。

(気が、つかなかったのだ)

 北の影に、喉をかき斬られたことに。
 そして、



 頭領の死をいち早く察知した灰爾は、私に耳打ちされた術を行使した。








 灰爾が作った私の幻は、『私』として生きた。
 多少の記憶の曖昧さを抱えてはいたが、私は時に創られた幻に身を宿し、その後の人生を生き――西龍を、導いた。

 風の噂で月哉が死んだと聞いた時、私は私の幻を抜け、空をさまよい、幾度も月哉の魂を求めて、彼の名を呼んだ。

 魂でも良い。
 むしろ魂だけのほうが良い。
 魂だけなら、肉体がなければ、それぞれの立場やしがらみを超えて、ただ愛しいとだけ思っていられる。

 運命は愚かな男の望みなど、聞き入れはしなかった。
 虚空に響くのは自らの声だけ。
 月光は美しく優しく、彼の微笑みと同じ暖かさをゆるやかに放っているというのに、私のものではなかった。

 羽衣を手放した男はその後、どうやって息をしつづけていられたのだろう。
 涙を流す肉体など、とうに滅びてしまっていたというのに、濃い藍色の空に浮かび、月を仰ぎながら、私は確かに涙していた。

 次の匣姫、朋哉さまに月哉の魂が宿っていると、幻の耳にささやいたのはいったい誰だっただろうか。
 もう記憶が定かではない。

 愚かな私は、たとえ幻の頭領でも西の長であるはずの立場を忘れ、全軍を投入して影時にさらわれた朋哉さまの後を追った。
 月哉の、魂の後をただひたすらに。

「全軍前進! 朋哉さまを取り戻せ!」

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あきゅろす。
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