龍のシカバネ、それに月
6
僕の手の中の水が小さく揺れる。
台所を遠く過ぎても、まだスピードは収まらない。
「僕はっ、ずっと久賀さんの家でお世話になるんだと思っていました」
廊下を引っ張られながら、大きめの声で言ったけど、久賀さんは振り返ってくれない。
「僕を明日連れていくのは、井葉さんて人に僕を引き渡すためなんですか? 僕が贄だから? 最初からそのつもりで僕を探して引き取った?」
「君がここにいたいなら、井葉の家には呼ばれた時に行くだけで良い。生活の面倒も学費も、すべて久賀がみる。朝陽も同様だ。君との約束は違えていないはずだ」
「……っ」
似たような形のドアから一つを自然に選びだして開くと、僕を先に中へ引き入れた。
勢いづいて、床に尻餅をついてしまう。
その反動で、持っていた水を胸元にひっかけた。
「っ、ごめんなさい! 床に水が。何か拭くものをもらってきますっ」
「優月……っ」
今入ってきたドアのノブに手をかけると、反対側の手首を久賀さんに取られて振り返った。
困ったような焦ったような、そんな顔をして。
「水は、いい。そのままで」
僕の手首を掴んだまま、息を吐く。
小動物に好かれたことがないと言っていた、昨晩の久賀さんとちょっと似ている。
(久賀さんは、思ってること、表に出すのが苦手なのかもしれない)
座ろう、と言われて勧められた椅子に腰を下ろしてから、正面に座った久賀さんが目を円くした。
「優月、びしょ濡れじゃないか。いつ?」
「あの、さっきのコップの……平気です。ただの水だし」
「だめだ。明日、井葉の家に行くのに、風邪でも引かせたらもとも子もない」
慌ただしくクローゼットを開いて、寝間着の上衣を貸してくれた。
袖を通すとだぼっと大きい。
(井葉の家に行くのに、か……)
小さな落胆に胸が痛い。
さっき自分で言った通りだ。
久賀さんは贄である僕を、井葉さんに引き渡すために探して引き取った。
ただそれだけのことに、僕はずっと久賀さんのそばにいられるんだと勝手に……嬉しくなって……しまっていた。
「寒くないか? この辺りは山地だから、優月がいたアパートより少し冷えるだろう」
「大丈夫です。
……あの、井葉、さん……のことも」
椅子に座り直しながら、久賀さんは驚いたような顔をして僕を見た。
まじまじと見られると、顔が紅潮してしまう。
「食べっ……られるとか、ちょっと……怖い、気はしますけど。でも……大丈夫、です」
膝の上で握った両手にきゅっと力をこめる。
「食べられるのか」と聞いた時、久賀さんは「似たようなものだ」と言っていたけど、実際には知らない。
例の生体エネルギーを引き出されるだけ引き出されるんじゃないかと恐ろしい想像が浮かんだ。
「あとの、朝陽のことをよろしくお願いしますっ……」
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