龍のシカバネ、それに月
7
鼻腔をくすぐる甘い匂いが、また胸を痛くした。
「やめろよ。おまえんとこ(東)に行くだけだぞ? こんなんされたら、泣きそうになるじゃん。化粧はげたら、ばばあに怒られんだよ……」
「俺が、後継になって頭領になる」
肩口で、碧生がはっきりそう言った。
「今は何の力もないが、必ず匣姫に相応しい男になる」
ああ、いいや。
もう、ばばあに怒られても。
鼻の奥がつんと痛んで、目の周りが熱くなってきた。
視界が端から緩んで、溶けていく。
ヤバいよ。
マズい。
胸が熱くて痛い。
幸せで死にそうだ。
「バカか。そんなん今からお前が後継になったって、俺は今夜……」
抱きしめる腕に力が込められた。
痛い。
痛いのに、このままずっと、こうしていて欲しかった。
碧生の背中に腕を回して、抱きついた。
「配置先になんか、行きたくないっ……!」
口が勝手に、掠れた声を吐きだした。
なんで今更そんなこと言うんだ。
行きたい道に行けるヤツなんか、世の中に一握りなんだよ。
バカだ、俺は。
バカだ、……こいつは。
頭領になる?
そんなこと望んでねえよ。
おまえのそばにいられないんなら、消えたいんだよ、死んじまいたいんだよ。
俺は弱虫だから、そんなことすら自分で始末がつけられない。
(自分が消えられないんだから、いっそ…… ……)
それを、口にしたかどうかわからない。
碧生が聞いたかどうかもわからない。
木々が揺れる音がうるさくて、多分俺の独り言は洩れなかったはずだ。
「匣姫さまー」
声に、俺はそっと、碧生の胸を離れた。
最初で最後の抱擁。
涙が出るほど嬉しかったなんて、どうかしてる。
「もう、行くよ。……」
またな?
後でな?
言葉が浮かばない。
目は合わさなかった。
風が吹く中、庭を横切る。
日が落ちた代わりに、月が顔を覗かせて。
(月の名を継ぐ者……)
2つ月のこの俺が、月の名を継ぐ。
兄上、貴方はどうしてる?
追っ手をうまくまいて、幸せにしてるか?
つか、してろよな。
あんたぐらい、幸せでいてくれよな。
どうしてだろう。
ここ最近、兄上のことを思い出して仕方がない。
……頭が重い。
“誰か”いるのか?
俺の器に入りたがってる“誰か”……。
……いるのか……?
…………
(了)
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