龍のシカバネ、それに月
8
「親父が俺と母親を捨ててでも、匣姫さまを欲しがってたことは知ってる。母親はそれで、心を病んで、色名を失った。それでも俺は、志なかばで死んだ父親の無念を晴らしてやるべきか?」
「それは……」
知らなかった。
蒼河さんの、お母さんのこと。
東龍後継だった蒼治さんを亡くした後、蒼河さんは病気のお母さんを支えて、一人きりで……。
「勘違いするな。色名と生まれたからには突き詰めてやりたいと思ってるだけだ」
ぎゅっと抱きしめてくる腕の熱さを感じる。
耳元にかかる声が小さく「俺の匣姫になれよ」と繰り返してくる。
初めて会った時から、蒼河さんの思いはまっすぐに『匣姫』に向かっている。
それなのに、僕が思い出すのは青鷹さんがくれた告白だった。
――許してくれ。
低く甘く、鼓膜に触れてきた声を覚えている。
――許してくれ、優月。それでも君のことが好きだ。初めて会った時から、19の時からずっと君が 好きだ。
(青鷹さんに……会いたい)
蒼河さんに求められながら青鷹さんを思う僕は、薄情だ。
こんなふうに抱きしめて、名前を呼んで欲しいと思ってしまう。
今、青鷹さんはどこでどうしているのだろう。
僕が、朋哉さんを助けて欲しいと言わなければ、青鷹さんは行かなかったのか?
朋哉さんはちゃんと帰ってきた。
青鷹さんだって、きっと帰ってくると……信じたい。
「僕は……青鷹さんのことを」
「知ってる。知った上で言ってる」
障子に映る月の、ぼんやりとした輪郭を見つめていて、気づいた。
視界の端の人影。ゆっくりとした足取りは優雅に見えて、それでいてどこか恐ろしい。
「朋哉……さん?」
え、と振り返る蒼河さんを避けて、足早に近づき、障子を開けた。
しんと耳に痛む静寂。
薄雲のかかった月と、ぼんやりした光を浴びた庭園。
夜風が吊るし灯篭についた細かな細工を揺らしていく。
左右に伸びた廊下のどこにも、朋哉さんの姿は見えない。
背後から追いかけてきた蒼河さんが、同じように辺りに視線を巡らせた。
「先の匣姫がいたって言うのか?」
「はい……」
まさか、と蒼河さんは呆れたように言った。
「ここに到着した時、ぐったりして意識もなかったそうじゃねえか。そんなすぐ、その辺歩き回れるようになるか?」
「それは……そうですけど……」
……シャン……シャン……。
どこからか聞こえるのは、舞姫が手にした鈴の音じゃないだろうか。
美しい匣姫が、幽鬼さながらに舞う時の。
気のせい、なのか?
(まさか、ね)
蒼河さんの言う通りだ。
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