龍のシカバネ、それに月
1
碧生さまが“珠生さん”になった夜、その翌朝。
珠生さんは久賀の家から姿を消していた。
空になった部屋を前にして、呼び出されて駆けつけた浩子さんも、青鷹さんも至極冷静だった。
「二人とも、なんで何も言わねえの? 碧生さまがどこ行ったか、心配じゃないのかよ!?」
声を荒げる蒼河さんに、浩子さんはちらりと目を向けて「兄は30男なんですよ?」と半ば呆れたような調子で言った。
「そりゃそうだけど、今の珠生さまは色名を失って心傷深い状態で……」
「若い娘ならいざ知らず、30男が一人でどこかへ行ったからと言って、焦る必要はございません。そのうち帰って参りましょう」
浩子さんは強く言い切った後、青鷹さんに向いて、頭を下げた。
「浩子さま、礼など」
「敬称など不要です。兄が自由を得られたのは、青鷹さまのおかげ。青鷹さまが後継を受けて下さったから、兄は……行きたいところへ、ようやく行ける……」
どこか見透かした目をして浩子さんはそう言った。
珠生さんの行き先を、浩子さんは知っている。
多分、青鷹さんも。
珠生さんがこの12年間、本当に行きたかった場所。
(助けられなかった、先の匣姫)
もしや、朋哉さんを求めて、北龍を訪ねて行ったのではないか。
北龍がいる場所というのが、果たして三龍が知っているのか、珠生さん一人で行けるような場所なのか、僕にはまったくわからないけど。
「守りはつけました。気づかれないと良いのですが」
あの方はさといから、と言う青鷹さんに、浩子さんはまたお辞儀をした。
浩子さんがしゃんとした背中を見せて、迷子になりそうな久賀邸の廊下を去っていくのを見てから、僕はふと青鷹さんのことを見上げた。
一瞬で目が合う。
ふいと逸らしていく赤味の指した目元に、急激に恥ずかしくなって、僕も俯いてしまう。
「ちょっと。二人して妙な空気にすんなよ」
唐突に割り込んでくる蒼河さんが、青鷹さんと僕の間に距離を作った。
青鷹さんが呆れたような顔をして蒼河さんを見つめる。
「何が」
「とぼけんなよ、今やらしー目で優月のこと見てたじゃん」
「見てない」
「うわっ、とぼけんの? 後継に選ばれたからって俺は青鷹に仕えねーからな!? 青鷹なんかより俺のほうが力があるってこと、藍架さまにわかっていただくのもすぐなんだから──おい、聞いてんのかよ!?」
蒼河さんをその場に置いて、青鷹さんは今浩子さんが去っていった廊下を歩いていく。
きっと今日も井葉の屋敷で藍架さまのもとで仕事を覚えるんだろう。
──許してくれ、優月。それでも君のことが好きだ。
そんな告白をくれておいて、青鷹さんはその後何事もなかったかのように後継の仕事に従いている。
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