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ハルノヒザシ

兄貴は言いにくそうに言った。

「夏。母さんが再婚するんだって。このアパート引き払うみたい」
俺達、転校することになったよ。
3月が終わって4月初めの日。これは、エイプリルフールじゃないからと前置きする兄貴を、俺はソファに座ったまま興味なさげに見ていた。
(やっとあのババア兄貴に言ったのか)
引っ越し目前にようやく告げるその意地の悪さに俺は辟易する。まあ、知ってて言わなかった俺も俺だけど。日にちの確信はなかったからな。
「とりあえず一回必要なものだけ持って向こう行って、改めて大きいものは処分するため戻ってこようかと思って……」
俺に説明し始める兄貴の言葉を上の空になりながら聞くフリをする。
(やっとだ。やっとあのババアから離れられる…)
どれほどこの日を待ちわびただろうか。きっと相手も同じぐらいそう思っていただろうけど。
ようやく、父方の爺さんとの話し合いに決着がついて。あの女は前田の家から解放されたのだ。
もう、俺という親父の亡霊の姿に怯えることもなくなるだろう。
アイツが騙して、アイツが殺した男の亡霊に。
あの女は、名家の坊ちゃんだった親父に近づいて、子供を作ったまでは良かったものの、望んだような贅沢な暮らしもできなくて、離婚は爺さんがさせなくて、逃げるように遊び歩いても自由にはなれなくて、親父を憎み兄貴を憎み俺を憎んで、あの日火をつけたのだ。確証はなく、俺が勝手に思いこんでいるだけだけど。
出火場所は親父の寝室。タバコの火の不始末が原因で。あの日夫婦で一緒に寝ていたが、酒を飲んで熟睡していた夫が逃げ遅れたのだ、とあの女は言った。親父はタバコを吸わない。吸うのはあの女。あの日あの女は俺の誕生日を口実に珍しく家に帰ってきて親父に酒を飲ませて酔わせていた。あの日当然二人は一緒には寝ていなかった。あの女は俺達3人を殺そうとしたのだ。
ただ、死んだのは親父一人だった。騙されて利用されて挙句の果てに殺された男。最愛の息子を置いて。
可哀そう過ぎて、もし兄貴の父親じゃなければ同情する。でもアイツの愚かさは、兄貴を苦しめただけだった。同情の余地はない。
あの女の目論見は外れた。爺さんの前田の血に対する執着は深かった。でも、手元に保険金が転がり込んだあの女は、無理に親権やらで爺さんと戦うよりも、爺さんの目の届かない場所で俺たちを放り出して遊ぶほうを選んだ。
6年の月日が流れて。すっかり金も使い切って、爺さんから送られる養育費だけじゃもの足りなくなったあの女は新しい金づるを見つけた。実質俺達はいま捨てられたのだが、兄貴も俺も大きくなって、あの女に放り出されても、爺さんの所に行かなくて済むようになっていた。その点ではあの女は俺の役にたった。そして用済み。なんなら殺してもいい。兄貴が父親の復讐を望むのならば。

(狭城学園ねぇ…)
俺はせかせか働きだす兄貴を尻目に、ソファに寝転がった、
山奥にある全寮制の中高一貫校。親父の弟の冬馬さんが通わされていた学校だという。あのジジイに取って、冬馬さんは単なる親父のスペアだったから。目の届かない場所に押し込めていたのだろう。結局冬馬さんが跡を継いで。長男の子である俺達は狭城に押し込められることになるのは皮肉でしかない。兄貴と寝床が離れるのは死ぬほど嫌だが、まああのジジイの元に置かれるよりは数千倍マシだ。下調べもだいだい済んでる。
あの女が再婚すると言いだした時、俺は条件を出した。
ジジイの所には行かない。苗字も変えない。お前にもついていかない。と。
あんた達を連れて行くなんてこっちから願い下げよとあの女は毒づいたが、俺の一睨みで黙った。
流石にこれ以上歯をへし折られるのは嫌らしい。
できればこのアパートからあの女が完全に出て行ってくれて、俺たちはこのままというのが理想だったが、仕方ない…。
「春日。ちょっと、アンタ…ガムテープ…」
俺がそんなことを考えながらテレビを見ていると、リビングに入ってくるあの女。リビングに俺しかいないのを見て、しまった、という顔をする。慌てて、踵を返そうとするあの女に俺は待てよ、と声をかけた。
「籍入れたらしいね。おめでとう」
何を白々しくと、あの女は不愉快そうに俺を睨んだが、俺が近づいてくるのを見て顔色を失くした。
俺にサド趣味はないが、というかむしろ兄貴にだったら何されても喜ぶので自分ではどっちかというとマゾだと思っているが、この女が青ざめるのは小気味よかった。
「なんか…文句でも…アンタのいう通りにしたじゃない…」
「なんだよ、新しい門出を祝ってやってるんじゃねーか」
「やっとよ…やっとアンタから離れられる…」
思いきりバカにしたように俺が喉で笑うと、あの女は震えながらも俺を睨んだ。ああ、その情けねー面兄貴にも見せてやりたい。
ねえ、気分はどうだい。小さくて弱っちかったガキが、どんどん殺した男にそっくりになって、手に負えなくなるのを目の当たりにする気分は。呪いでも受けてる気分だろ。
俺はあの女の顎を掴んで、目線を合わせた。
「アンタがドブでのたれ死ぬのが見れなくて、残念だな。お母さん」
「っつ…」
耐えきれなくなったようにあの女が俺を付き飛ばして、部屋を出ていく。俺は、せせら笑いながら、そのみっともない背中を見送った。

俺とあの女の人生最後の会話。



「夏?夏!?」
俺を揺さぶる手。俺に呼びかける声。
夢を見ていた俺は、目を覚ます。
兄貴が俺を覗き込んでいた。
ここは俺の部屋で、なんでいきなり兄貴がいるんだと尋ねると、鍵が開いていたからという返事。
早乙女は鍵をかけずに出て行ったらしい。
「起こしてごめん…夏、唸って舌打ちしてたから…起きてたのかと思って」
兄貴が俺を心配そうな目で見る。
「夏が昼寝してるなんて珍しいね…。顔色悪いよ…」
また、無理でもしているんじゃない…と兄貴は俺の頬を撫でた。確かにテストが近くて、多少睡眠時間はいつもより短いが、普段だったらどうってことない筈なのに。
この頃悪夢それも兄貴が出てくる夢ばかり見るんだとは、流石の俺も言えなかった。
「もう一回寝る?おかゆ作ってあげようか」
俺は黙ったまんま兄貴に抱きつく。兄貴の暖かさを感じると少し安心した。
「夏。無理はしないでね」
俺は、どんな夏でも大好きだよ。
兄貴、それ本当だね?
俺は「眠い…」とぐずって、兄貴に抱きついたまま、目を閉じた。


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