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ハルノヒザシ

兄貴の姿が無かった。

俺が道場から帰ってくると暗いまま部屋。テーブルに用意された夜ご飯。
兄貴のシフト表には閉店までのシフトであるクローズを表すCの文字。
時計はそろそろ10時になりそうだった。
時間の無いところ出て行ったのだろうか。兄貴にしては珍しく、学ランが椅子にかけたまんまだった。
俺の学ランと違う校章がデザインされたボタンが縫い付けられた学ラン。
いつもの場所にかけてやろうと、椅子から取り上げると、兄貴のにおいがした。
なんだかたまらなくなって、思わず匂いを嗅いでしまう。
もう後10分もしたらきっと兄貴は帰ってきて。いつものように抱きつくことはできるのだろうけど。その10分が待てなかった。ああ、なんでいないの。この時間はいつも帰ってきているのに。今日もわざわざ時間潰して帰って来たのに。

兄貴がいない部屋に帰るのが苦痛だった。兄貴のいない家にいるのが寂しかった。
兄貴の姿を確認しないと不安だった。兄貴といる時間が減ると狂ってしまいそうだった。
実際おかしくなっていた。

町中で騒いでいるバカみたいな奴らを見ると、俺が見てないところで兄貴に危害を加える気がした。苛めをして喜んでいる奴をみると、次は俺の兄貴を苛めるんじゃないかと思った。
兄貴は高校生になって。俺の目の届くところに居ないことが増えた。
いつも楽しそうに家に帰ってきて。楽しそうにバイトに行って。楽しそうに友達の家に遊びに行って。
その表情が本当なのか嘘なのか俺はわからなくて。とにかく疑わしい奴は全て潰してしまいたくなった。
そんな考えを抱きながら歩いているもんだから、絡まれることが増えて。
俺はとにかく毎日人を潰して歩いた。殴っている間は何も考えずに済んだ。兄貴がいない家に帰らずにも済んだ。殴れば殴るほど兄貴の安全を守れている気がした。そんなことやっている間に警察に引っ張ってかれて、兄貴にバレて。
兄貴は俺を見て青ざめながら頭を下げていたが、兄貴は相も変わらず弱っちいから、俺はやらなきゃ駄目だと思った。次の日も俺は絡んできた奴を殴りつけた。兄貴が傍にいなくてむしゃくしゃしていた。夜の街をふらふら歩いた。何も考えたくなかった。俺がいないところで楽しそうにしている兄貴のことなど。
そんな俺を余所に、兄貴はいつも呑気に楽しそうだった。今日ね、高校でね。今日ね、バイトでね。今日ね、喜介がね。兄貴の笑顔が貼り付けたものでもなんでもないことは最初からわかっていたのに。3年前から兄貴を悲しませるものはもういないんだとわかっていたのに。兄貴を苦しめる奴はもういなくなったはずなのに。
俺が近くにいるから兄貴を守れるんだと思っていた。でも、兄貴は俺がいなくても幸せになれたのだ。いや、俺が、いな、い、ほ、う、が………。
認めたくなかった。俺より喜介の方が兄貴にとってふさわしいなんて考えたくなかった。
それでも、兄貴が中学生の時は我慢できた。誰より兄貴といるのは俺だったから。
兄貴が高校生になって、兄貴の姿が俺の前から消えた。学校にも。家にも。
寂しかった。不安だった。恐ろしかった。腹が立った。嫌だった。辛かった。おかしくなった。狂っていった。
ふと我に返って自分の行動がおかしいと思っても、もう抜け出せない暴力の泥沼に俺の身体はずぶずぶと沈んでいくばかりだった。
本当のことに気付いても。もう遅すぎて。
学ランの主が悲しむことはわかっていても、もうやめられない。
俺の手はもう、人の手じゃなくて人を傷つける鬼の手になっていたけど。
それでも兄貴に触れたくて、俺は兄貴の帰りを立ち尽くしたまま待っていた。

遂に白昼夢を見るようになった。
兄貴のことをぼけっとしてるなんて言ってられない。
まあ、俺も同じ血が入っているのだけれど。
学校の帰り道。寮までの短い距離。積もった雪の白さで頭が冴えた。
俺は別に必要もないのに巻いてきたマフラーに触れて、口元を覆う。
返す気のない兄貴のマフラー。まだ兄貴の匂いがするような気がした。
紺と青の縞模様の毛糸のマフラー。元々は兄貴が中学に入った俺に作ってくれたものだった。
また次の年兄貴は新しいマフラーを作ってくれたので、古いのは兄貴が自分で使っていたのだ。
毎年何か作ってくれていたのに。今年は兄貴は何もくれない。もう、マフラーも手袋もあるから夏はいいだろって。
あのワインレッドのマフラーは俺のものだったはずなのに。
俺は先ほど見かけた二人の姿を思い出す。
コートから覗くワインレッドとブラウン。どちらも知らないマフラー。
声がかけられなかった。
俺はその場から逃げた。
俺に似合わないワインレッド。俺の知らないブラウン。
呑気な顔。楽しそうな顔。幸せな顔。
俺が守りたかったものそのものなはずなのに。
なぜか見たくなかった。


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