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ハルノヒザシ

兄貴が泣いていた。
暗い部屋の中で。俺に背を向けて座って。何時間何日でも。
はらはらと涙をこぼし続けていた。
俺は狭い和室部屋の入口に膝を抱えて座って。
そんな兄貴をただ見ていた。
もうあの日から季節も巡り。
焼けた家は跡形も無くなり。
隣街の小さなアパートに引っ越し。
火傷も癒えて兄貴もようやく退院したけど。
兄貴は毎日泣いていた。
もうこの世に居ない父親の写真を見ながら泣いていた。
最初はまだ良かった。連れて行って、行かないで、お父さんと泣きじゃくっていた。
でも、段々声を上げなくなって。動かなくなって。
和室の片隅で、まだ身体中包帯だらけで、ぴくりとも動かず涙を流し続ける兄貴は。
壊れてしまった人形のようだった。
あんなに頑張っていた家事も何もやらなくなり。
家政婦に無理やり食べ物を食べさせられて。
もうここから出なさい、と促されてもただただ黙って泣くばかりだった。
可哀そうな兄貴。
あの火事で俺を庇って大火傷を負って。兄貴が病院で目を覚ました時には。
親父は遠い場所に連れ去られていた。
葬式にも出れず、墓のある場所も知らず、何がなんだかわからないまま地獄に突き落とされた兄貴の手元にあるのは、叔父さんがくれた親父の写真一枚だけ。
親父が死んだと聞かされたあの日から兄貴はずっと屍のようだった。
今日も兄貴は泣いている。
あの日から一滴たりとも泣けない俺の分まで。
親父の葬式に出た時も。兄貴が包帯だらけでベッドに居るのを見た時も。周りの人が可哀そうねと泣いた時も。こんな時にも母親の姿がなくても。
俺は泣かなかった。
あの日見た闇に舞い上がる火炎が俺の涙を全て干上がらせてしまったらしい。
静かに、はらはらと兄貴の頬を涙が伝う。
随分とここで待っているけど。
兄貴が俺の方を見てくれることはなかった。
いつまででも待とうと思った。
兄貴が死んだ親父ではなく、生きている俺を振り向いてくれるまで。
いつまででも。
そんな日は来ないと言われても。
いつまででも。

兄貴が俺を振り向いてくれないまま、悪夢から目が覚めた。
痛々しく包帯を巻かれた痩せた背中。
俺を拒絶する背中。触れられない、背中。
後にも先にも兄貴が俺を拒絶したのはあの時だけだった。
何度も朝が来て。昼が来て。長い夜が来て。朝が来て。
兄貴の声も。笑顔も。優しさも。何もかもない日々が続いて。
親父が兄貴の何かを一つ一つ持って行っているんじゃないかと思ってぞっとした。
だから、ずっと見ていた。
兄貴が連れてかれないように。
兄貴がついていかないように。
長い長い時間が過ぎて、兄貴は俺の元に戻ってきてくれた。
ふと、今でも兄貴が傍に居ないと、耐えようのない不安に襲われる時がある。
兄貴は本当にいるのかって。俺が居るこの世にいるのかって。
冬の真夜中。
途端に耐えようのない不安に襲われた俺は、起き上がって部屋を出た。


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