楽園の蕾
第6話 雨の中、咲く花

有名な御園座の脇の細い路地を抜け、暫く歩いていくと、老舗のライヴハウスが現れる。

大手有名ホテルの前にあるそこは、栄、名古屋駅の丁度真ん中にあって、交通の便も良い為、私自身、何度か演った事のある場所でもあった。

ライブハウスに到着すると、土曜日の所為か、まだ開場時間まで程遠いのに既に客が沢山集まり、傘の花を咲かせ各々談笑したりしていた。

その中には先程、私と同じ電車に乗り合わせ、失態を見られたた少女達もいたが、何故か気まずくて、一度も視線を合わせる事が出来ずにいると、


「Hyneさぁ〜ん」


そう、自分を呼ぶ声が背後から聞こえ、思わず振り返る。


『カタルシス クライ』のお客様が私の事なんて知らない筈なのにと、首を傾げていると、どうやら、私を呼んでいた人物の身長が周りに比べると低かったらしく、ピョンピョンと跳ねる頭頂部と手だけが見え、私は傘をさしたまま、自分を呼んでいた人物が、誰かと窺う。

その相手が、姿を表した途端、私は驚きに表情に変わり、小さな声を揚げ出しのだった。


「す、鈴祢(スズネ)ちゃん?」

「はい、おはようございます。
 Hyneさん!」


鈴祢ちゃんは、小さな身体を更に二つに折る様に、お辞儀をしてきた。


「メンバーが、Hyneさんが来るのを待ってますので、迎えに来ましたっ」


明るく言い、私の手をきゅっ、と握り、楽屋の方へと連れて行く。


彼女は、とぉいちゃんが在籍しているバンド『カタルシス クライ』のスタッフで、同時にドラムの有紀さんの妹さんでもある。

小柄な容姿は、まるでマスコットみたいに可愛らしく、太陽みたいに明るい笑顔は、どんな困難であっても乗り越えてしまいそうで、少し羨ましくもあった。


客の何人かが、私と鈴祢ちゃんの事を訝しげに見ていたが、さして気にならないのか、鈴祢ちゃんは、私を半ば強引に楽屋へと押し込んだ。


「連れて来ました〜!」

「ご苦労様鈴祢ちゃん。
 じゃあ、戻ってくるまで後は頼むね?」

「了解です、敬夜(タカヤ)さん!」


天真爛漫に、メンバーの敬夜さんに返すと、鈴祢ちゃんは用事は終わったとばかりに、さっさと居なくなってしまった。


何が何だか、唖然呆然と立ち尽くす私に、


「おはよう、綾香ちゃん」


と、にこやかに微笑む敬夜さんが、私に視線を合わせるように屈み話した。


「あ、おはようございます。敬夜さん」


慌てて私が挨拶を返すのを見て、敬夜さんはクスリ、と綺麗な顔を歪ませ笑い、『じゃあ、行くよ』と、そこに居たメンバーに告げるのが見えた。

その中には勿論、とぉいちゃんも居て、彼が小さく、他のみんなに解らないよう手を振るのを認めると、心なしか私の中にあった憂鬱な気分が、和らぐのを感じたのだった。



ライヴハウスから少し離れたファミリーレストランで、軽い食事を終えて戻って来ると、外には人らしい人がおらず、中から漏れてくる混じり合った声に、きっと満員なんだろうな、と予測出来る。

とぉいちゃん達は用意がある為、楽屋に戻るのを私は見送り、溜息が出そうな冷たい雨の中、佇んでいると、


「綾香…!」


と唐突に背後から声を掛けられ、腕を引っ張られた。


「れ、蓮先輩?」

「携帯に何度も連絡したのに、どうして出なかったんだ?」


そう言われて、漸く地下鉄に乗った頃から、携帯をマナーモードにしていた事を思い出す。


私が事情を説明すると、蓮先輩の節ばった指が、私の額を音たてて弾き、


「あんまり、心配させない様に」


と、お叱りを受けてしまった。






「敬夜、お疲れ様!」


蓮先輩は無遠慮に楽屋のドアを開けながら、そこに居る人達に向けて言葉をかける。


「蓮、今日は観れたんだ」

「まあね、無理矢理バイト終わらせてきたしね」


クスクスと、からかう口調で、悪びれる事なく、敬夜さんが蓮先輩の元へとやって来た。

『カタルシス クライ』のリーダーである敬夜さんと、蓮先輩は、以前から仲良しさんで、プライベートでも良く遊ぶらしい。

勿論、そこには終わったばかりのとぉいちゃん達も居て、賑やかな中、とぉいちゃんが手を小さく振っては私を呼び寄せた。


「…どうかしたの?」

「今日、打ち上げあるけど、出るか?」

「うん。蓮先輩が出るから一応ね」

「そうか…。
 客が居るから、あんまり構ってあげれないけど、ちゃんと、俺の目が届く場所にいろよ?」

「はぁい」


片手を上げ、誓う私が笑っていたら、後ろから、『カタルシス クライ』のヴォーカルの唯斗君が、私と、とぉいちゃんとの間を裂く様に、割って入ってきた。


「こら、唯斗っ」

「内緒話なんて、やらし〜」


猫の様にじゃれつく唯斗君を、粗雑に引きはがし、


「いやらしいとか言うな!」


頭のてっぺんから湯気を出しそうな程に、憤慨してみせた。


「あははっ、京也、顔まっか!」


反省の色なく、屈託なく唯斗君が言った途端、振り上げたとぉいちゃんの拳骨は、彼の頭に思い切り直撃していた。


「ったぁ…」

「唯斗君っ、大丈夫?」


私は、とぉいちゃんが殴った頭を摩る唯斗君に近付くと、様子を窺う。

目尻には、うっすらと涙を浮かべ、かなり痛かったのだろう。

上目でキロリと、とぉいちゃんを睨んでいた。


「大丈夫だよ、綾香ちゃん。
 まぁ〜ったく、酷い男だよね?京也ってば」


唇を尖らせ、愚痴ってる唯斗君を横目に見ながら、


「そもそもは、お前が悪い」


まだ怒りを言葉にしているとぉいちゃん。。

だけど、


「いい加減にしないと、此処から追い出すからね」


このまま放って置いても埒が明かないと悟ったのか、敬夜さんは二人の頭を掌で叩くと、静かに怒りを露にしたのだった。





この日の打ち上げは、何と言うか、大層盛り上がったというか、弾けきったというか…。

始終とぉいちゃんは不機嫌で、居酒屋の大部屋の片隅で飲み続け、蓮先輩と敬夜さんは、飲み大会を催し、どっちが勝った負けたと喧々囂々。

ホトホト帰りたくなってきた頃、覚束ない足取りで唯斗君がひょっこり現れ、私の隣に座る。


「お疲れ様。今日はありがとね?
 綾…いや、Hyneちゃんっ」

「お疲れ様です。唯斗君」


グラスを小気味よい音をさせて合わせると、それを一気に飲み干した唯斗君が、真っ赤な顔をさせて、いきなり私の手を取る。

その行動に私は途端に反応し、身体を固まらせてしまった。

血の気が引くのが分かる。

全く知らない人間じゃないのに、恐怖を感じる。


怖い…、とぉいちゃん、助け……。


「唯斗」


そう言いながら、彼の肩に手を置いて引き離したのは、今にも怒鳴りそうな怒りに満ちた顔をしたとぉいちゃんだった。


「何?」

「少し車で休んどけ。顔色悪いぞ?」

「へいきだってば」

「いいから来い!!」


嫌がる唯斗君を無理矢理引っ張り、強引に外へと連れ出すとぉいちゃん。

私は自分のと、二人の荷物を抱え後を追う。

外に出ると、丁度、車に唯斗君を寝かせ終えたのか、とぉいちゃんが一人で車の前に立っていた。


「とぉいちゃん…」


恐々と声を掛けると、ゆっくり振り返り、


「綾香、ゴメン…」


と、呟きで謝ってくるのを、私は『大丈夫』と首をゆるゆると振って返した。

本当は叫び出したい位の恐怖を感じていた。

それでも、あの楽しい雰囲気を壊したくない一心で我慢していたのを、とぉいちゃんは直ぐに気付いてくれた事に、私の眦からは涙が出そうになった。


「綾香」

「え?」


とぉいちゃんが私の名前を呼び、答えようて口を開いた時には、私の身体はすっぽりと腕の中に納まっていたのである。

突然の事に驚いた私は、大きく目を見開いて、とぉいちゃんを凝視すると、


「もう…、大丈夫だからな」

「…っ、とぉいちゃ…」


私を労るような言葉を降らせたとぉいちゃんの優しさに、彼の姿を映した瞳から涙が溢れ、その姿を歪めると、零れ落ちる。

とぉいちゃんは私を抱き締めたまま、髪をそっと撫で、


「帰ろう…」


私の耳元で柔らかに囁く。

その声に、私は微かに頷くしか出来ず、とぉいちゃんの胸の中で、私は暫くの時間、静かに涙を流していたのだった。


続く。




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