楽園の蕾
第4話 再会
俺は『ある事のために』栄に向かう為、車を走らせていた。

渋滞で、当初予定していたの時間からは多少遅れたものの、目的地近くの地下駐車場に愛車を停めると、欠伸を噛み歩き出した。


「…えっと、確か此処だっけ?」


事前に雑誌でチェックしていたんだが、初めて訪れたのもあり、微かな不安がよぎる。

一応、店の看板を確かめると、間違いない、此処で良かったみたいだ。

俺は真鍮で出来た、わざと腐食させたかのような店のドアノブに手をかけ開く。

小さく軋む音させ、開かれた扉の先には、明らかに別世界で瀟洒な店内で、臆しながら足を踏み入れると、静かに女性店員が寄って来た。


「いらっしゃいませ。
 本日はどういった物をお求めでいらっしゃいますか?」


営業スマイルで深々とお辞儀をし、客である俺に尋ねてくる。

そんな対応には多少、照れ臭くもあったが我慢して、何事もなく口を開き。


「指輪を見たいんですが」

「でしたら、こちらへどうぞ」


にこやかに微笑む店員に案内され、店の一角に通された。

促され座ると、女性店員は、


「失礼ですが、贈り物でございますか?」


そう、目の前に座る俺に問い掛ける。


……てか、こんな場所、それ以外で来るかよ!

自分用だったら、メンバーである有紀(ユキ)がやってる店に行くっつうの!


内心悪態を叫びながらも、努めて表情を崩す事なく、俺は用件を告げると、店員は『暫くお待ち下さいませ』と言って、立ち去ってしまった。


今になって、後悔が滲み出る。


やっぱり有紀の店の方がよかったかな?

でもなぁ…、アイツ、此処のブランドが気になるって、以前言ってたしなぁ…。


ぐるぐると、葛藤している俺の元に、深い海の底の様な色をしたベルベットを貼ったトレイに、幾つかの商品を乗せて、店員が戻って来た。

そして、俺の前にそれを静かに置き、差し出す。

そこには、華美でない、どちらかといえば、質素な指輪が幾つか並んでいた。


「お話ですと、こちらのタイプが好まれると思われますよ?」


指を揃え、商品を指していく店員。

貴金属に興味がない訳ではないが、異性のアクセサリー選びとなると、話は別だ。

いや、これがホスト時代の客とかなら、特徴を店員に告げて、後は任せると思う

でも『コレ』は、そういう訳にはいかないから、かなり迷い困惑してしまう。

暫く、幾つかの商品を手に取り、眺め、漸く、これといった物を決める。

一応、サイズ直しやら加工やらで暫く待たされるとの事だったが、渡す時期を考えて、それを快諾したのだった。


その後、支払いをカードで済ませ、退店し、外に出た途端、やっと肩の荷が降り、息をするのが楽になった。


「後は出来上がりを待つとするか」


開放感に満たされ満足気な俺の腹が、緊張から開放され緩んだ為なのか、空腹を報せる。


腹減ったなぁ……。ん、まぁ、折角こっちまで来た事だし、名古屋駅まで足延ばすか。


秋晴れの空の下、再び、車に乗り込むと、西へと進路を進めたのだった―――。



流石に昼前の名古屋駅は混み合っていて、近くに駐車する場所がなかった為、仕方なく少し離れた所にある駐車場へと停め事に。

暫く歩くと、駅の上に、悠然と聳え建つ二つの大きなビルが見えて来た。

様々なショップや、飲食店、ホテル、会社、大手百貨店が軒を連ねる複合商社ビルである。

俺は迷う事なく、目的の場所に足を進めていると、


「京也君……かい?」


まだ、一回だけしか逢った事がないが、バリトンの落ち着いた聞き憶えのある声が聞こえ、導かれるようにして振り返る。


「あぁ、やっぱり京也君だった。お久しぶりですね?」

「……橘…さん…?」


人込みの中でもすぐ解る長身のその人は、綾香の後見人である、橘 秀人であった。






「何でも好きなのを頼んでくださいね?」

「…はぁ」


橘さんの薦めに、俺は生返事で、受け答える。

此処は複合ビルの中にあるレストラン。


昔、ホストをしていた頃に何度か客と来た事はあるが、自腹となると話は別だ。

おそらくよっぽどの事がない限り、綾香とも来ない場所だろう。


俺はいたたまれない面持ちで、眼前に座る橘さんを眺めた。

貫禄というか、自分にはないスマートさを持っていると思う。

他の客が、さっきから目の端で、橘さんと自分をチラチラと見ているのにも気付いていた。

何と言うか、持っている雰囲気が違うのだ。

そんな怖じけづく俺に、紳士な橘さんが舒に口を開く。


「悪かったね。無理に引き止めてしまって」

「いえ…。でも、橘さんは、どうして名古屋に?」

「先日の書類に不備が見つかりまして、送付するのも不安だったものでしたから」


俺は、安閑とした表情で話す橘さんに『そうですか』と返す。

だが。


「それはそうと、綾香さんと仲良くしていますか?」


俺は、橘さんが唐突に切り出した話の内容に、口に当てたグラスの中の水を噴き出しそうになった。

噎せそうになる息を、咳で誤魔化し、


「ええ、まぁ…」


と、言葉を濁して返す。

そんな俺の返答を不審に思ったのか、警察に尋問された時のような圧力で、顔を歪め、橘さんが口を開いた。


「何か、ありましたか?」

「……あるには、あるんですが、これは、夫婦の間の問題だと思うんで…」


そう俺が躊躇いがちに話すのを察したのか、


「綾香さんの、性交恐怖症の事ですか?」

「!!」


言い淀む俺の悩みを、あっさりと言ってのけた橘さんの顔を弾けた様に挙げた眼で見る。

そして、ある問題を橘にぶつける事にしたんだ。


「橘さんは、俺の知らない綾香の秘密を知っているんですよね?教えてくれませんか?」

「すみませんが、それは出来ません。
 ですが、これだけは言っておきます。
 綾香さんの性交恐怖症は、自らの意思ではありません。
 少しずつですが、自らの力で立ち向かおうとしています。
 ですから、綾香さんが話をされる時まで、待っては戴けないでしょうか?」


畳み掛けるように言われては、元も子もない。渋々『解りました』と頷くと、


「大丈夫ですよ?
 綾香さんが、貴方と結婚したという事は、貴方を愛しているからだと、私は信じていますから」


橘の柔らかな笑顔に少しだけ癒され、多少の不安は残るものの、橘さんに安心して貰う為に無理矢理微笑んだ。

そうしている間にも、次々と料理が運ばれ、どれもが美味しく堪能できた。

食後のコーヒーを口に含んだ時、橘さんに聞いてみたい事を思いつき、尋ねた。


「あの、橘さんいいですか?」

「はい」

「話せる範囲で構わないので、綾香の両親の事、教えて貰ってもいいですか?」

「………ええ、良いですよ」


一瞬、苦しげな表情を見せたが、直ぐに穏やかなものに変わって、ゆっくりと話し出す。


「そうですね、芥様は聡明で、とても儚げな方でした。
 心臓に病を持っていらしたので、大概の仕事は屋敷でなされていて、私が秘書を勤めさせて戴きました。
 架楠様も賢い方で、学校では慕われる存在だったようです。
 そう…、綾香さんの気を強くした感じの方と言えば解って戴けるでしょうか」

「じゃあ、綾香はお母さん似なんですね?」

「そうですね。
 日に日に、歳を追う毎に、綾香さんは、架楠様の生き写しの様に似てきましたね」


何処か馳せる視点の定まらない眼をする橘さんを見て、ふと、ある考えがよぎる。


この人は、もしかして、綾香の母に恋焦がれていたのだろうか。


綾香の母の事を話す橘さんの目許が薄く染まり、そうだと思わせたのである。


だとしたら、酷な話だ。

綾香が成長する度に、想い人に似てくる現実。

もし、自分だったら耐えれないだろう。


そんな事をぼんやりと考えていると、橘さんが言葉を濁す。


「すみません、京也さん。年寄りの話は退屈でしたか?」

「い、いえ。そんな事ありません。
 寧ろ、こちらこそ失礼してしまって」


慌てて否定し、謝罪する俺に、橘はくすり と笑う。

なんだか恥ずかしくて、頭を掻いて苦い笑いをしてみせる。

窓の外から臨む景色は爽快で、見晴らしがとても良かった。

少しだけ太陽が西に傾きかけるのを知ると、提言する。


「橘さん、そろそろ綾香が帰ってきますから、行きませんか?」

その言葉に『そうですね』と反応してみせる橘さんを伴い、店を出る事にした。


続く。




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あきゅろす。
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