楽園の蕾
第2話 京也と蓮
「お疲れ様です」
「お疲れ、今日のライヴよかったよ」
「ありがとうございます」
ライヴが終わり、後片付けの為、外で機材を蓮先輩の車に載せていると、観に来てくれた関係者や、お客さんが声を掛けてくる。
ライヴの非現実感も好きだけど、こうやって、ちっぽけな私を好きだと言ってくれる時間も好き。
こんな時は、『自分は一人じゃない』って思えるから。
「Hyne、もう搬出終わった?」
「うん」
「じゃ、車、邪魔にならない所に置いてくるね?」
蓮先輩は運転席のドアを開きながら、ひょいと身体を捻り、私に向かって告げてきた。
私は走り出した蓮先輩の車を見送ると、来てくれた人達と話を軽くして、着替える為に楽屋に戻る。
薄暗く急勾配な階段は、ロングのワンピースを着た私の足元を捕らえそうで、恐々としながら昇っていく。
「お疲れさん」
「……あれ……?」
いつの間に楽屋に戻っていたのか、とぉいちゃんが煙草をふかしそこに居た。
私はとぉいちゃんの隣の椅子に静かに腰を下ろすと、彼の肩に、ことん と頭を載せる。
「疲れたか?」
私達以外、誰も居ない楽屋は、囁きですら響いてしまいそう。
でも、頭上から聞こえる声は、とても優しくて、それだけで安心を憶えるのだった。
「ちょっとだけ」
そう、本音を少しだけ覗かると、大きな掌が私の頭を撫でる。
たった一つの何気ないとぉいちゃんの行動に、私の鼓動は激しく高鳴り、それだけで顔が熱くなる。
「お疲れ」
そっと、私の髪に鼻先を埋めるようにして、キスをするとぉいちゃん。
ただ、それだけの事でさえ、自分がとても大事にされている事を知る。
「うん…お疲れ様」
ふと顔を上げると、すぐ近くにとぉいちゃんの端正な顔があり、私は恥ずかしさで熱い唇を、その頬に掠る程度の距離でキスをする。
「お、ちょっとは、進歩したか?」
私が珍しくしてきた行動を、おどけて言うとぉいちゃんに、もうっ と椋れていると、アルミのドアが軽い音をさせて開き、車を置きに行ってた筈の蓮先輩が戻ってきた。
「こら、綾香。
時間かかるんだから、出る準備しないと駄目じゃないか」
そう、窘められて、私は慌てて着替える為、再度トイレへ向かう。
まさか、険悪な雰囲気になってるなんて知らずに―――。
余り広くない楽屋に、俺達は手持ち無沙汰で、どちらとも無言のままでいたが、ふいに蓮が口を開いた。
「綾香と……、結婚したらしいね?」
「……ああ」
「よく、親が許したものだよね。
京也、まだ、未成年だろ?」
「まあな、
今までだって、ほったらかされてた訳だし…」
「……そう…だね」
「………」
「………」
再び無言になって、静寂が部屋を満たす。
だが、先に口を動かし沈黙を破ったのは、俺の方だった。
「……殴らないのか?」
「なんで?」
「俺が、お前の好きな綾香と、結婚したから……」
地雷を踏んだのか、その一言で、かっ となった蓮が立ち上がった時、着替えを済ませた綾香が戻ってきた為、蓮の怒りは削がれてしまったみたいだ。
「??…どうかしたの?」
「いや別に」
「何でもないんだよ」
同時に否定をする俺と蓮に、怪訝な顔を見せ、綾香は椅子に座ると、ステージ用のメイクを落とし、何時もの彼女に戻る。
だが……。
気が削がれてしまった蓮は急に立ち上がり、「精算してくる」と綾香に言葉を残し出て行ってしまった。
楽屋の中に綾香と俺の二人だけになり、嬉しい筈なのだが、何だか重苦しい空気が俺達にのしかかる。
「ね、とぉいちゃん。蓮先輩と何かあったの?」
「え?」
唐突に切り出された内容に、俺は口にしていた火の着いた煙草を落としそうになって、慌てて指に挟むと「何で?」と、逆に聞き返す。
「だって、さっきと雰囲気違うから…」
「………」
……っとに、勘の鋭い奴だな。
「とぉいちゃん?」
「ま、意見の相違ってヤツ。
大丈夫だって。昨日今日の付き合いじゃないんだから、心配すんなよ」
「…うん」
何とか言いくるめ、綾香を安心させると、俺は口に煙草をくわえたまま、蓮の気持ちを考えた。
……こんな事になるんなら、先に言っとけば良かったか?
アイツがあそこまで綾香にマジだとは思わなかったからな。
だからといって、今更譲る気持ちもないけどさ。
「……ふぅ……」
紫煙を燻らせながら溜息混じりの息を吐き出すと、支度に夢中になっている綾香の姿を、知られないように見遣る。
ま、成るようになれ…だな?
「どうかした?とぉいちゃん…」
思案に暮れていた俺を心配してか、鏡越しに綾香が尋ねてきた。
俺は、いらぬ心配をかけまいと、ひらひらと掌を動かして、身振りで「大丈夫」と示す。
「?」
結局分からず終いで話を終了されてしまったからか、綾香の中に疑問だけが残ってしまったみたいだが、俺もソレを話すのを躊躇ってしまっていた。
蓮の気持ちは、蓮が言うべきだしな……。
俺は、そんな綾香を気遣い、ポン と、綾香の頭に手を置くと、彼女の頬に唇を当てる。
刹那、綾香の瞳は大きく見開き、驚きの顔になるのは、可愛くて、でも可笑しい。
名残惜しかったが、唇を頬から離し、
「もう、終わったか?
そろそろ行かないと、蓮が目くじら立てるかもよ?」
苦笑を滲ませ話す。
綾香は俺に問い質そうと口を開いたが、すぐさま弓なりに唇を薄く反らすと、
「蓮先輩怒ると、怖いからね〜?」
此処に居ない友人を揶揄した途端、
「誰が『怖い』って?」
ちょっと拗ね気味な蓮が、俺達の会話に口を挟んできた。
少しわざとらしく不機嫌な顔をして、軽く拳こつで俺達の頭を叩くと、
「打ち上げ場所決まったって。
もう皆移動してるから、僕達も行くよ?」
威圧感たっぷりで言い放つ。
俺も綾香も「は〜い」と片手上げて答えた瞬間、三人の間から笑い声が零れ弾けた。
蓮を先頭に歩く後ろで俺は綾香に、
「やっぱ、蓮は怖いな?」
満面の笑みを見せてそっと小声で囁く。
一瞬、きょとんとした綾香だったが、不意に悪戯っ子のような瞳で『だね?』返してくれる。
俺は、そんな彼女が愛おしくなって、望の月の下、影が重なるようにして、彼女の額に唇を落としたのだった……。
[前へ][次へ]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!