楽園の蕾
第13話 anniversary
「……ん…」
窓から差し込む光が眠っていた綾香の顔に掛かり、余りの眩しさに熟睡の底から引き上げられて、ゆるゆると眼を開く。
「…っ」
すぐ近くにある京也の寝顔に心臓が跳ね上がる。
一緒に眠る様になってから2回目の12月27日の朝。
「……まだ、ちょっと慣れない…かな?」
京也の腕の中で本音をぽつりと漏らす。
「……何が『慣れない』って?」
鼓膜を震わせる様な掠れながらも低い声が聞こえ、吃驚して身を竦ませる。
「おい、…聞いてるか?」
いきなり無言と化した綾香に問うと、京也の胸元で微かに綾香の頭が動くのを感じた。
「ま、いいか…。おはよう綾香」
「……おはよう、とぉいちゃん…」
ぽそぽそと呟く様に話す綾香の顎に指を掛けて上に上げると、そこには頬を薔薇色に染め困った様な表情を見せる彼女が、京也を見ていた。
そんな綾香の姿に京也の心臓は強く鼓動を打ち、思わず彼女の唇を奪う。
突然の京也の行動は、綾香の元々大きな瞳を更に大きく見開かせ驚きの色をみせた。
「…ん〜〜ッ」
京也から離れようと、彼の胸を押して抵抗すればする程、どんどん引き寄せられ隙間なく密着する。
口腔の中を卑猥に蠢く京也の舌遣いに、綾香は追い付く事も出来ず、頭の芯はくらくらとしてきて、何かを考える事すら出来なかった。
一方、京也の方はというと、無駄なあがきをする綾香の身体を完全に捕らえ、必死に甘美な彼女とのキスに溺れきっていた。
執拗な口付けが不意に終わり、京也が唇を離すと、互いの唾液が混じり合った透明な糸が音もなく切れた途端、
「…ふにゃ…ぁ…」
と綾香が何とも情けない声を出して脱力してみせる。
「…ぷっ。何だよその『ふにゃ』ってさ」
思わず吹き出す京也を力無く睨む綾香。
またそれが可笑しかったらしく、今度は声を立てて笑う。
「…むぅ…」
「…くっ、悪い、悪かったって」
頬を目一杯膨らまし拗ねた表情になる彼女に謝るが、余りに説得力に欠ける謝罪な為、綾香の不機嫌は更に増す。
「ほら、あんま怒ってると、美人が台なしだぞ?」
「美人じゃないもんっ」
今だふて腐れる綾香にカチンときたのか、
「…じゃ、勝手にしろよ」
京也はそう言い放つとベッドから降り、寝室から出ていってしまった。
リビングダイニングに聞こえてくるのは食器が擦れ合う硬い音だけしか聞こえず、互いに陰鬱な朝食に気持ちが重くなっていく。
「……綾香」
「な、何?」
突然聞こえてきた京也の不機嫌な声に、綾香は俯いていた顔を勢い良く上げ彼を見ると、無言で差し出されたのはスープ皿で、どうやらお代わりの催促の様だった。
「お代わりで良いの?」
「あぁ」
スープ皿を受け取りながら話掛けると、素っ気なく返され、余計に気分が落ち込む。
「…じゃ、ちょっと待ってて」
しょげた綾香がキッチンに向かう後ろ姿を、京也はチラリと見詰め溜息を零す。
―何でこんな日に喧嘩みたいな事になってんだ?
…ったく、どうしたら良いんだよっ。
心の中で散々愚痴っていると、スッと差し出された中身の入ったスープ皿に手を伸ばしながら、
「あ、ありがとう…。悪かったな」
京也が話すと、綾香はキョトンと小首を傾けその姿を見ていた。
それから直ぐに緩やかな微笑みに変わり、
「ん〜ん。別に良いよ?」
京也にそう返すと、綾香は再度椅子に座り朝食の続きを食べ出した。
幾分、先程の硬い空気が和らぐのを感じる。
ふと、綾香が微かに笑い声を漏らすのを知り、京也は顔を上げ、彼女を怪訝な表情で見た。
そこにはうっすらと懐かしむ様な笑顔を浮かべ、京也を見詰める綾香が化粧もしていないのに、綺麗に色付く唇を薄く開くと唐突に話し出した。
「…とぉいちゃん。今日で一年だね?」
「…あ?あぁ…」
京也は何故か気まずくて口を濁していると、
「あの日もこうやって黙々と向かい合って、眠気覚ましのコーヒーを飲んでた」
「…あぁ」
「…もう忘れちゃった?」
「いや、忘れる訳ないだろ?大事な日なんだからさ」
「…良かった」
とびっきりな極上の笑顔でいきなり微笑いかけられ、京也の心臓に全ての血液が集まり、頭を真っ白にさせる。
「……さっきは、ゴメン」
考えなしに出た言葉に、今度は綾香が吃驚した顔で目の前に座る京也を見た。
「ううん。私もごめんなさい」
首をゆるゆると否定に振ると、そう謝罪して京也を見詰め微笑う。
この場の空気は先程までの硬質なものではなく、穏やかに柔らかく流れ出した。
「ごちそうさま」
礼儀正しく手を合わせ食事の終わりを告げた京也は椅子から立ち上がり、食べ終えたばかりの皿を持ち上げ歩き出そうとするのを、綾香が慌てて引き止める。
「…とぉいちゃん、私が持って行くから良いよ?」
「いや、良いよ。綾香は早く食べろよ?昼過ぎには出掛けるぞ」
「え?何処に?」
「―――内緒」
人差し指を唇に当て、企み顔で京也が話すのを、不思議そうな表情で綾香が見ていた。
「おい、用意出来たか?」
「ん、お待たせ」
京也が寝室の外側からノックをし、声を掛けるとそんな返事が返って来てドアが開く。
そこには、黒のベルベット素材のシンプルな膝丈まであるワンピースに、襟にファーがついた白いロングコートを腕に掛けて出て来た。
「あ、ちょっと待て」
いきなりそう言い、京也は綾香の頭に手を伸ばすと、解けかけのベルベットのリボンを結び直す。
「よし」
「ありがとう。とぉいちゃん」
ニッコリ笑い礼を述べる綾香に、
「じゃ、行こうか?」
そう言って彼女の手を握り、外へと誘った。
「ねぇ、何処に行くの?」
「ん、適当に。それよりも綾香」
ハンドルを握り前を見据えながらそう返す京也の言葉に「何?」と綾香は問い質す。
「お前、指輪どうしてる?」
クリスマスに貰った指輪の事をいきなり問われ、綾香は首元に手を掛けシルバーのチェーンを引っ張り出して京也に見せる。
「こうやって着けてるよ?」
「何だそうだったのか」
ほっ、と安堵の息をつく京也に向けて怪訝な表情をする綾香。
「てっきり気に入らなかったんじゃないかと思ってさ」
綾香の指に収まってなかった不安を口にした京也の安心しきる言葉が可笑しくて、思わず笑ってしまう。
「笑わなくても良いじゃないかっ」
顔を紅潮させ拗ねる京也。
そんな自分の前だけでしか出さない表情を見せてくれる度に綾香は嬉しくて幸せだと感じる。
「…ごめんね?とぉいちゃん」
悪びれる事なく笑顔で謝る綾香を横目で見遣る京也は、
「なぁ、冬休みの間だけでも良いから、指輪付けてくれないか?」
隣に座る彼女に懇願した。
その内容に、始めは大きく眼を見開き驚いた顔をしていたが、そんな表情もすぐに緩やかな笑みに変わり、首に掛けたチェーンを取り外し指輪を抜くと、左の薬指に納める。
「これで良い?」
左手を見せながら話す綾香に「あぁ」とぶっきらぼうに返す京也は照れ臭いのか、一度として綾香を視線を交す事はなかった。
年末の準備はまた別の日にする事を決めた二人は、唯斗が働くショップへと向かう事にした。
「ね、とぉいちゃん。お客さん沢山いるんじゃない?」
不安げに言う綾香に、
「大丈夫だって、ほら」
京也は着ていたコートからサングラスを取り出しそれを架けた途端、あからさまなホストに変化してしまう。
はっきり言って、正直この場に似つかわしくない。
「……ぷっ。ね、ソレ悪目立ちし過ぎだよ」
吹き出すのを懸命に堪えるのを「そうか?」と飄々と宣う京也は、綾香の手を引きながら唯斗の働く店に行く事にしたのであった。
続く。
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