愛玩乙女
第8話 聖少女、氷王子
「はぁ…疲れた」

「『疲れた』じゃないって。遅刻したのは誰だよ?」

「…僕だね」

苦笑いしながら京也に謝る。

「…いて…っ」

お腹を両手で押さえ呻く京也に、怪訝な顔をして「どうかした?」と、問う敬夜。

「京也はねぇ、蓮にガツンとやられたのさっ」

他人事だと思って、矢鱈と楽しげに話す唯斗に、

「綾香に言ったら殺す」

穏やかでない台詞を吐く京也。
意味が解らず、不思議そうに二人のやり取りを見ていたが、

「そうだ、まだ出番まで時間あるよね?ちょっと抜けるけど、良いかな?」

「何だよ?」

まだ痛むのか、お腹を押さえ、京也が尋ねた。

「蜜に御飯食べさせないと」

「はぁ…?」

呆れた様な声が返ってくる。

「…駄目…かな?」

「もう良いから、早く行って来なよ」

追い払う様に手をひらひらさせて、京也が言うのを認めると、急いで蜜が居る楽屋へと走る。

「敬夜、どうしたの?」

楽屋のドアを開けると、蜜がきょとん、として敬夜を見ていた。

「御飯食べに行くから、おいで?」

「うん。あ、蓮さん。ジュースありがとうございました」

蜜は蓮にペコッと、頭を下げ、敬夜の元に向かう。

蓮は、

「今度は時間厳守で」

と嫌味な笑顔を浮かべ、敬夜に告げた。



「ね、何処に行くの?」

「何か食べたい物ある?」

腰を曲げ、蜜の顔を窺いながら問い掛ける。
蜜は暫く唸り悩んだ後、

「スパゲティー!」

朗らかな笑顔を敬夜に見せ、そう答え返した。

「パスタかぁ。じゃあ、車出して来るから、そこで暫く待ってて?」

「うんっ」

蜜が頷くと、敬夜は駐車場の方へて走って行く。

「…ねぇ、貴女」

蜜の頭上から威圧的な声が降って来る。
顔を上げると、そこには蜜と同じ様な恰好をした女の子が3人、蜜を取り囲む様に立っていた。

「貴女、敬夜さんの何?」

最初に話し掛けて来た少女が尋ねる。

「あ、あの…」

訳が解らない状況に戸惑う蜜。

「何で答えないの?」

「口、あるんでしょう?」

他の少女達も、矢継ぎ早に問い掛ける。

「あの、私は…」

怖くて、固く眼を閉じた瞬間、車のヘッドライトの光が、蜜達に当てられた。

「蜜?」

ドアが開き、慌てて敬夜が降りて来ると、蜜を囲んでいた少女達は、蜘蛛の子を散らした様にいなくなってしまう。

「大丈夫?蜜」

「…うん」

敬夜は、恐怖を顔に貼付けた蜜を抱き抱えると、影に潜んで二人を見る少女達を睨み、車に乗り込んだ。

「…ごめんね、蜜。一人にして」

「ううん。平気…」

蜜は敬夜にそう答えるが、俯き、元気を無くした彼女の柔らかで蜂蜜色をした髪に手を置き、

「もう、大丈夫だから」

と話す。
不安に落ちていた蜜に、敬夜のその言葉は、安心感を与えたのか、不意に涙が零れ落ちる。

「ごめ…なさ…泣く…つもり…」

敬夜は車を停め、そっと蜜を抱き締めると、耳元に柔らかな声で囁く。

「本当にごめんね、蜜…」

「敬夜は悪くないの。だから、謝らないで?」

腕の中で話す蜜の髪を撫でながら、再度「ごめんね」と呟く。
蜜は、敬夜に要らぬ心配を掛けてしまい、自己嫌悪に陥りながらも、

「私は平気。だから心配しないで良いよ?」

無理矢理、涙を止め、微笑みながら告げる。

「ね?」

駄目押しに笑い掛けると、

「じゃあ、この話は終わりにしよう」

溜息しながら敬夜は諦めた様に言った。



食事を終え、ライヴハウスの前に辿り着くと、そこで蜜を先に降ろす。

「じや、蜜。車置いて来るから、先に楽屋行ってて?」

敬夜はそう言って中に入って行く蜜を見送ると、駐車場に戻り車を停める。

「敬夜さん、良いですか?」

先程の少女達が、車から降りた敬夜の前に立ちはだかる。

「…何?時間ないんだけど」

「あの子、敬夜さんとどういった関係なんですか?」

「……」

冷ややかに彼女達を見下し、無言でいると、

「答えて下さい!」

少女の一人が、食い掛かって来た。

「何故、君達に答えないといけないの…?」

凍える程の冷たさで、そう言い放つと、竦み上がる少女達を置いて、楽屋へと歩き出す。

「うわ〜、敬夜って、客に冷たいよね?」

いつから見ていたのか、唯斗が話し掛けてくる。

「唯斗、準備は出来てるの?」

唯斗の問い掛けを無視し、凄みのある声音で尋ねた。

「出来てるから、呼びに来たんだけど?」

「だったら、こんな所に居ないで、楽屋で大人しくしてなよ」

そう言ってのけると、唯斗の脇を擦り抜け楽屋までの階段を昇り始める。
だが、その脚を不意に止め、後ろを付いてくる唯斗に顔を向け、

「さっきの話、蜜に絶対言うな。良いな?」

牽制するように言い放つと、再び、階段を昇りだした。
その場に立ち尽くし、呆然と敬夜の後ろ姿を見る唯斗。

「こわっ。敬夜、あの女の子達にマジ切れしてるよ…」



「お、今度は間に合ったみたいだな?」

メイクを終え、衣装に変えていた京也が、感心したように言うのを、

「僕はそこまで、愚かじゃないよ」

敬夜は、冷ややかに返す。
不機嫌な様子を見て取れた京也は、敬夜に近付くと、小声で話し掛けてくる。

「…何か、あったのか?」

「別に」

それだけを返すと、支度に取り掛かる事にした。

「敬夜?」

敬夜の腕にそっ、と小さな手を乗せ、様子を窺う蜜に、

「ん?…何?」

甘く微笑み返した。

「もう、怒ってないみたいだから、良い…」

蜜は、にっこりと笑い話すのを、敬夜は眼を見開き、吃驚した顔で見てしまう。
だが、直ぐに、

「最初から怒ってないよ?」

穏やかに言うも、蜜は否定の意味で緩く首を振りながら、

「ううん。敬夜、さっきまで凄く怒ってた」

灰色の瞳は、真っ直ぐに敬夜の奥深くを見透かす様に見詰めていた。

―参ったなぁ…。上手く隠したつもりなのに…。

眉根を下げ苦笑の形を作ると、蜜の頭に手を置いて、

「ごめんね?怖かったかな?」

微笑んでみせた。
蜜はゆるゆると頭を振ってから、笑顔で話す。

「今は、何時もの敬夜だから、平気っ」

「なら、良かった。じゃあ、暫く隣で待っててくれる?」

「はい!」

手をピシ、と真っ直ぐに上げ、蜜が言うと、周りに居た全員に笑みが零れる。

「?私、変な事した?」

「いや…、皆、蜜が可愛いって思ってんだよ」

吹き出しそうになりながら敬夜が返すと、蜜は首を傾け不思議そうな表情になった。



「敬夜、用意は出来たか?」

「ああ、ちょっと待って」

京也が鏡越しに尋ねる。
敬夜は最終確認をすると、

「出来たよ」

そう、京也に告げた。

「ふぁ〜〜。みなさん凄く綺麗ですっ」

蜜が興奮しながら、感嘆の声をあげるのが聞こえ、思わず吹き出す。

「待たせてゴメン」

敬夜が、楽屋から出て来た途端、口を開き、唖然とした顔で見詰める蜜に、

「どうかしたの?蜜」

問い掛けるが、固まって動かない彼女にもう一度「蜜」と声を掛けると、漸く視点が合い、敬夜を見詰めた。

その瞳はキラキラ輝き、まるで凄い物を見た様である。

「敬夜…」

「何?」

「どうしよう…。敬夜がすっごく綺麗で吃驚しました!!」

両手を握りしめ、興奮しきった蜜の言葉に、どっ、と笑い声が上がる。
理由が解らない蜜だけは、きょとん、としていたが…。

「じゃ、行ってきます。蜜」

「いってらっしゃい!」

蜜が大きく手を振るのを、嬉しそうに眺め、敬夜はステージへと向かった。


続。

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あきゅろす。
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