愛玩乙女
第7話 約束
暮れも押し迫ったある日。
「ごめん、蜜。クリスマスにライヴが入っちゃった!」
そう敬夜が両手を合わせ謝る。
本当は、敬夜の仕事があったのだが、無理を言ってイヴだけの勤務にして貰い、メインであるクリスマスには、二人でゆっくり過ごそうと、計画していた矢先、突然言われたのだ。
「決まった事、なのよね?」
「ホンットに、ごめん!」
息を淋しげに零す蜜に、必死な形相で謝り倒す敬夜。
立場が逆ではないか?
暫く無言で何か考えていた蜜は、手をポンと叩く。
「いいよ。そのかわり…」
「え?」
クリスマス当日。
「あ、蜜。すっごい可愛いね?」
着替えが終わった頃、戸口から顔だけを出し、そう言った敬夜の姿を、鏡越しで確認する。
向こうも、支度を終えたらしく、全身真っ黒な服に身を包んだ敬夜の姿は、ふと出会った時の事を思い出させた。
蜜の方はというと、真っ白なワンピースに、沢山のレースとリボンが施されたもので、蜜の名前の由来となった蜂蜜色の髪が、とても良く映える。
あの、ライヴが入ってクリスマスがなくなると言われた日。
蜜はお願いして、初めて敬夜のバンドのライヴを観させて貰いたいと、敬夜に懇願したのだ。
始めは『危ないから』と渋っていた敬也も、蜜に頼まれ続けているうちに陥落してしまった模様である。
「蜜、靴下も穿かずに裸足で。風邪ひくよ?」
敬夜はそう言いながら、中に入り蜜を抱き上げると、ベッドの端に座らせ、自分は跪つき、蜜の冷えた足に手を添えた。
そして、蜜の足を温める様に息を吐きかけると、蜜は、ピクン、と反応をみせ、それに気付いた敬夜は顔を上げる。
そこには羞恥の為か、紅潮した顔を手で覆い隠す蜜が居た。
「…感じちゃった?」
含み顔で、蜜の耳元に囁くと、ゆるゆると首を横に振りながら懸命に否定する蜜が、余りに可愛く、時間がない事を重々承知していても構わずにいられなくて、顔を隠す手を掴むと、顔から離し、彼女の唇を奪った。
「…ぅ…んっ…」
歯列を割り、舌を差し込む。
「……ふぁ…っ」
素直な反応を返す蜜。
何故か、そんな些細な事が嬉しくて、更に行為に及ぼうとした所で、携帯電話から着信を知らせる音楽が奏でられた。
「た…敬夜…でんわ…」
「放っておけば、勝手に切れるから大丈夫…ほら」
敬夜の言葉通りに、着信音は直ぐに途切れたが、また電話が架かり、結局、中断を余儀なくされてしまう。
「…もしもし、誰?」
敬夜は不機嫌な声音で出ると、
―僕だけど、何か不機嫌だね。どうかした?
そう言ったのは、友人の蓮であった。
「…蓮に、邪魔された」
―それは、ごめん。
「で、何の用?」
―入り時間、何時か知ってる?
「え?…あっ!」
現在時刻、4時10分。
本来、向こうに着いてリハーサルが終わってもおかしくない時間であった。
「ごめん、今から出る!」
―色惚けしてると、客に見捨てられるよ?敬夜。
「悪い…」
電話を切ると、
「大遅刻みたい。行こっか」
蜜に向けて苦笑してみせた。
栄の繁華街にある、そこは、元々、お笑いタレント達が所属する大手プロダクションが、若手の発表の場として建てられた物を、移動する際、現在のオーナーが購入し、ライヴハウスとして改装されたらしい。
だから、小さな小屋とは違い、あらゆる所に、その名残が見て取れた。
「ごめん!遅くなった!」
楽屋のドアを開くと、そこにいた全員の視線が、敬夜に一斉に向けられる。
「敬夜、今からリハ始めるって」
京也がそういいながら、近付き、
「あんな小さな子に無理させたら可哀相だぞ?」
敬夜の耳元で囁くと、ニッと笑う。
秘密が露見して以降、何かにつけて京也にからかわれている。
それは敬夜にとって、情けない部分となったが、蜜に出会って以来、自分の中で何かが少しずつ変化するのが、何故か、嬉しくもあった。
「そういえば、蜜ちゃんは何処ですか?一緒なんですよね?」
怪訝な表情で、綾香が尋ねてきて初めて、蜜が傍に居ない事実に気付く。
慌てて楽屋から出て外に出ると、こちらに向かって歩く蜜の姿を認めた。
「蜜!」
そう言って駆け寄ると、途端に柔らかな笑顔を見せて蜜が走り出す。
「あっ…!」
何かに躓いたのか、転んだ蜜の元へと急ぐと、彼女を抱き起こし、
「大丈夫、蜜?」
そう言いながら、コートに付いた砂を払ってあげる。
「うん、平気。敬夜、走って行っちゃうから、吃驚したぁ」
首を傾げ微笑う蜜を、このまま抱き締めて、キスをしたい衝動に駆られるが、客の目があるのを恐れ、必死で堪えた。
「蜜、皆待ってるから、行こう?」
蜜の手を取り繋ぐと、微笑み言う。
蜜は僅かに頷き返すと、引っ張る敬夜についていった。
戻ると、リハが始まる寸前で、楽屋に居る蓮と綾香に、蜜を預け、急いでステージへと走った。
「……」
「……」
今、楽屋には、蜜と敬夜の友人の蓮が二人しかおらず、静まり返った部屋の中、無言のまま、時間が過ぎるのを待つ蜜に、
「蜜ちゃん…?」
背筋を走る程、響く蓮の声に、俯きがちな顔を上げた。
「は…はいっ」
首を技巧ちなく動かし、蓮を見ると、また敬夜とは違った整った美幌をした彼が、冷たい眼差しで、蜜を見ていた。
「君と敬夜がどういった経緯で知り合ったか、興味ないし、知りたくもないけど…」
そう言いながら立ち上がり、こちらへ来るのを、躯を固まらせ見る蜜。
ぽん…っ。
「敬夜の傍から、黙って消えないであげて?約束してくれる?」
大きな手が蜜の頭に置かれると、さっきとは打って変わり、優しく微笑みながら、蜜に目線を合わせて話す。
その瞬間、固まらせ強張った蜜の表情は解れ、力の抜けた笑みで、
「はい。約束します」
と、返した。
続く。
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