愛玩乙女
第4話 蜜夜
突然、達して息の荒い僕らの耳に、ドアを叩く音が届き、驚きで肩を跳ねる。
「敬夜〜?俺、帰るね〜?」
「ちょっと待ってて、唯斗」
相手は暢気な声で問う唯斗で、僕は引き止める言葉を紡ぎ、蜜に視線を投げる。
すると、慌てて乱れた服を直す蜜を視線で確認し、何事もなかった場を作った後ドアを開け、唯斗を招き入れた。
まだ、薄赤い蜜の頬について咎められやしないだろうかと、内心胆を冷やしたが、
「うっわ〜。蜜ちゃん可愛いね〜」
と、はしゃぐ唯斗に、ほっ、と胸を撫で下ろす。
まあ、唯斗は鈍感だから、僕と蜜がいかがわしい関係だなんて、まず気付く訳はないと思ってたけど、ここまでとは……。
ふと、蜜と視線が合うと、唯斗の鈍感さに、堪らず僕らは吹き出してしまった。
「え?何?ちょっ、何だよ〜〜!!」
一人訳が分からず喚き立てる唯斗に悪い気持ちになるが、一度出た笑いは中々止めようがなく、しこたま笑い、漸く落ち着きを取り戻した頃には、唯斗の機嫌は最大限に悪くなっていた。
「…あ、ゴメン、唯斗。
ちょっと笑いのツボに嵌まちゃって。
ね、蜜」
「はい。ゴメンなさいっ。
唯斗さん」
唇を尖らせ、まだ拗ねていた唯斗は、ちらり、と僕と蜜を眼の端で一瞥すると、
「蜜ちゃんだけは赦してあげるよ」
何故か、蜜だけの謝罪を受け入れる。
なんか、良からぬ事でも考えているのだろう。
「唯斗、僕は?」
「敬夜は、ダ〜メっ。明日のスタジオで、ご飯奢ってくれたら、赦してあげても良いけど?」
「OK。そのかわり安いヤツで頼むね?」
「了〜解!」
やはり、何かしらの取引を持ち掛けてきた唯斗は、おちゃらけながら敬礼してくるのを、再び笑いが込み上げそうになり、必死で堪え、唯斗には、退散して貰う事にしたのだった。
「じゃ〜ね。蜜ちゃん」
「はい、さようなら唯斗さん」
「また明日、唯斗」
蜜は紅葉の様な手を振って唯斗を見送ると、視界から姿が無くなった途端、抑え込んでいた笑いが溢れだしたらしい。
「た、敬夜。唯斗さんって、面白いね?」
「確かに。喚んどいてなんだけど、あいつ、バンドのヴォーカルより、芸人の方が向いてると思うよ」
聞き慣れない言葉だったのか、蜜は小さく首を傾げ、尋ねてくる。
「バンド?」
そんな姿が余りにも可愛らしく、今度は蜜に対して吹き出しそうになるが、
「ああ、そういえば、何にも話してないね?僕の事」
「うん」
疑問を問う蜜の手を引き、さっきまでいたリビングダイニングとは別の場所へと歩きだす。
そして、ある一室のドアを開いた。
「……はわぁ……」
感嘆なのか、驚愕なのか、蜜が変な声を挙げているのが聞こえる。
そこは、さっきまでいたリビングダイニングとは全く違い、機械が処狭しと置かれ、床には、スタンド立て掛けたギターが数本、使われる時を待つように置かれていた。
「此処…は?」
譫言のように、呟く蜜に、
「う〜ん。趣味部屋っても良いのかな?
まだインディーズだけど、バンドのギターをやっているんだよ」
と、僕は淡々と返す。
「バンド?」
「そ、バンド。ね、蜜。CD聴いてみる?」
「うん」
頷き答える蜜を部屋の中へ入れ、椅子の一つに座らせると、僕は普段ならクローゼットとして使用している場所から、何の変哲もないプラスチックケースを出し、銀色に光るディスクを取り出すと、オーディオにセットし、リモコンで再生ボタンを押す。
――ガタガタ…ガタタンッッ!!
すると、機械的な音が四方に置いたスピーカーから聞こえた途端、いきなり椅子から転げ落ち、這いずるようにした蜜が、僕の腕に飛び付き、強くしがみついたのだ。
「蜜?」
「敬夜…。怖い…」
カタカタ震える蜜。
仕方なく、音楽を止めると、先程までの押し寄せるような大音量とは打って変わり、静寂な室内に、蜜の吐き出す息だけが、繰り返し僕の耳に届いた。
「吃驚した…?」
「ううん、凄く怖いの……。
綺麗だけど、突き刺さる様に痛い音が怖いのっ」
落ち着かせようと、暫く絹糸のような髪を撫でていると、いつの間にか、規律正しい蜜の寝息が聞こえてくる。
「蜜?眠ったの?」
「……」
そっと身を屈め、様子を窺うと、安心しきった蜜の寝顔が見て取れる。
僕はその寝顔を見詰め、ほっ、と安堵に息を零した。
「『突き刺さる様に痛い音』ね」
そして、蜂蜜色した彼女の髪を一房掬い取ると、指に緩やかに絡ませる。
「以外と耳が良いかも」
僕は苦笑に顔を歪め、指に絡む髪に唇を落とす。
それから、起こさない様に抱き抱えると、隣にある寝室へと向かい、一人で寝るには十分過ぎる程のベッドの上に華奢な躯を横たわらせ、静かに部屋を後にした。
リビングに戻る途中で、はたと思い出す。
「そうだ、明日スタジオだった。
蜜をどうしようかな?」
流石に一人で留守番させるのも酷だし、かといって、ライヴも近いから、休む訳にもいかないし……。
「……ぁ、そうだ」
僕は着ていたジーンズのポケットにしまい込んでおいた黒のシンプルな携帯を取り出して、とある人物に架ける事にした。
「あ、もしもし。京也?敬夜だけど…」
朝日が眼に入り、眩しさに私はうっすらと瞼を開く。
「あれ?ここ…何処?」
見知らぬ部屋に戸惑いながら、視線だけを動かし周りを見渡すと、隣で綺麗な貌で眠る敬夜の姿を見付け、思わず眼を瞬かせる。
「私、敬夜に拾われたんだよね……」
眠る敬夜を見詰め、安堵の息混じりに呟く。
もう……大丈夫……だよね……?
もう……逃げれた……よね……?
ベッドから降りようとして、下半身の痛みと違和感の所為なのでしょうか、膝が抜けて派手に倒れてしまいました。
「…ぅ…ん…?みつ…?」
掠れ気味な敬夜の声が聞こえ、私は慌てて謝罪します。
「ごっ、ごめんなさい!…起こしちゃった?」
敬夜は私の話を聞いていないのでしょうか?
傍にある時計を持ち上げながら、時刻を確認すると、
「いや…。もう、起きなきゃならない時間だから、良かったよ?」
と、言ってくれました。
結果的に悪い事ではなくて、私は、ほっ、と胸を撫で下ろします。
「おはよう、敬夜」
笑顔を向け、朝の挨拶の言葉を落とすと、
「おはよう、蜜。
それよりも、大丈夫?かなり派手な音したけど…」
「うん。見た目より頑丈みたい」
「…確かにね。昨日、あんだけしたのに、元気そうだし…ね?」
半身を起こし、火の付いてない煙草を口に銜えたまま、意地悪な事を話す敬夜の言葉を聞いた私は、恥ずかしさで頬を真っ赤に染めました。
そんな反応を楽しんで笑う敬夜は、お布団の端をめくって、
「おいで。蜜」
優しい声とお顔で私を誘うのです。
私は落ちた場所から這い上がり、下半身の違和感と闘いながら敬夜の傍まで来ると、彼の前で正座をしてみせました。
「……」
「敬夜?」
「……ぷっ。何、それ?」
「え、何か可笑しい?」
何が可笑しいのでしょうか。
いきなり笑い転げる敬夜を尻目に、私は怪訝な表情を浮かべます。
「ねぇ、どうかしましたか?」
焦りながらも尋ねますが、ただ笑ってばかりで何も言わない彼に、
「もう、何!?」
「いや、ごめん。蜜は可愛いね」
一度は憤慨したものの、唐突に甘い言葉を言われ、今度は耳まで赤くなりました。
敬夜は私をベッドに押し付けた途端、キスの雨を降らせてきます。
そして……。
「しよっか、蜜」
「え…?」
何を言ってるのか解らなかった私は、きょとんと眼を見開き敬夜を見詰めると、
「冗談だよ」
不意にに意地悪な笑顔をして、
「流石に、朝はそんな元気ないよ?」
私に言いますが、やはり意味が解らない私は、またもや不思議そうな顔で、
「何が元気ないの?」
敬夜に問い掛けますと、今度は何故か敬夜のお顔が真っ赤になりました。
続く。
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