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ノベコン
蒼く、清んだ空へ
銀賞受賞「蒼く、清んだ空へ」
志偃


書斎の窓から眺める碧樹は若葉に萌ゆり、心地良い春風が分厚い本の頁に手を置いた男の頬を、優しく撫でる。
 併し、外の照り付ける太陽の日差しは夏のそれと同じく、矢のように鋭くて猛々しい。
 四季を超絶したかのような暑さではあるが、日の射さない室内では関係無い事だった。
 男は再び読み掛けの頁へと視線を落とす。
 男の名は珂縹(かひょう)。
 昔、師と仰いでいた男の家の書斎に、数年振りに足を踏み入れた。
 今手にしている本は、この家で一番最後に読んだ本である。
 埃と黴が匂い立つ書斎。
 珂縹は遠き日を思い出していた。

 その昔、珂縹は神童と呼ばれて持てはやされていた頃があった。だが嫌気が差し、出奔したのは十一、二の頃であっただろうか。
 戦乱の世、何処へ行っても戦に出会い、年少であった珂縹には居場所など無かった。
 放浪していた身に、唯一人声を掛けてくれたのが、師であった。

 あの日、あの時、今と同じように同じ本を手にして読んでいた。


「縹、話があります」
 透き徹る低い声に気付き、珂縹は顔を上げた。
 一瞬女かと見間違う程白く、整った顔が微笑み、優しそうな黒い瞳が珂縹を見つめている。
「き……気付きませんでした。師よ、私に話とは何ですか?」
「いつも貴方には言っていますね。この書斎の本を読破するだけではいけない、と……」
「はい。それでは知識を身につけられても、智慧は身につかぬと常々申されておりますが」
(知識も知慧も同じ“知”ではないか……)
 珂縹は密に心の中で続けた。
「知識とは自らのみに使うもの……智慧とは誰が為に使うものです。貴方は何故私の門下に入ったのか、もう一度よく考えてみる事です」
 心中を見透かされたようで、恥じ入った珂縹は頭を垂れた。
 そんな珂縹の頭を師は荒々しく撫で、言葉を続ける。
「貴方はまだ若い。そして私より才能のある人間です。……この長引く乱世に幕を引ける人間だと、信じています。ですからその叡智を生かせるよう、そろそろ外の世界へ……」
「師よ! 私にはまだ、貴方に付いて学ぶ事が沢山あります……」
 勢い良く顔を上げると、そこには師の物悲しそうな表情があった。
「貴方は飛び立たねばなりません。もう、すぐそこに大乱の足音は迫っているのです……今起きている戦とは、比べるべくもない程大きな戦が起こるでしょう。貴方は、その戦を勝利に導き、泰平をもたらす……」
 そこまで言って、師は目を細めた。
「私に残された時間は、あまりにも少ないのです。せめて貴方が飛び立って行く姿を見せて下さい」
 珂縹は無言で頷き、それを見た師は再び微笑んだ。


 師の教えてくれた事。
 それはいかにして戦を起こさず、平穏に事を治められるかと言うものだった。
 それに伴い政治についても学ばされ、頭に叩き込んだ。
 戦とは、政治の延長線上にある、と師は言う。回避する為には精一杯の外交努力をせねばならない、と。
 師の言葉ひとつひとつを胸に抱き、近々時代を変え得る男と面会する事になった。
(私は、貴方の期待に答えられるでしょうか……)
 心の中で質問してみるが、答えが返らぬのは解っている。
(この避け切れぬ戦、何としても勝利してみせます)
 珂縹は拳に力を込め、開いていた本を大きな音を立てて閉じて、その場を去る。
 自分に“粲惟(さんい)”と言う字を残してくれた師に、最後の別れを小さく言って。



頭を振って いざ徃かん

対峙するるは 我が母国

我が陣営は 寡兵なれども

心中 希望に溢れたし

我が胸の高鳴り 早鐘の如し


頭を振って いざ徃かん

その法 正に神業なり

死地を生地に変革し

声高に奏でるは 勝者の詩よ

我が胸の高鳴り 早鐘の如し


届けや 響けや 御覧あれ

蒼く清んだ 天の彼方へ

我が知識を 智慧とすべく

我が智慧を 輔弼とすべく

只今 天下への戦を始めんとす





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