批評想草 第二十一作目A ■この作品の問題点 @言葉の選択 「甘い」「馬鹿」といった言葉は、個々で明確な意味を持ちます。それゆえに単純に「甘いお菓子」などと使ってしまいますが、これではその物質が記号化した言葉だけの曖昧なものとなってしまいます。 どのように「甘いのか」なぜ「馬鹿なのか」、突き詰めなければならないことはたくさんあります。 A設定だけ並べない 自分が描きたい設定を好きなようにボンボン挿入してしまうと、その設定がリアリティの欠如などの致命的なミスを引き起こす場合があります。挿入したい設定を浮かべたら、その設定が世界観やテーマに無理を生じてしまわないかきちんと見定めましょう。少しでも狂いがありそうならば工夫を加えたり、時には削除も必要となります。 B良い人を描くとき 感動の物語に多いのは天使のような人です。聖人君主のような方が、善行をする。この作品の場合がそれが子供でした。 ですが実際問題として、聖人君主のようなましてや天使のような存在はそうそういません。そんなことは作者も承知でしょう。それなのに、感動の話だからとポンと意味もなく出す。 そうすると、どうしても偽善者に見えてしまいます。……一切の紆余曲折なく、利益をこえて善であり続ける。それがすでに無茶苦茶な設定なのです。だから、「ウソっぽく」なる。 良い人を描くならば、なんらかの説得力を感じるエピソードを加える、あるいは匂わせなければなりません。 [前へ][次へ] [戻る] |