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The last crime
2 DEAD BOY

 揺らぐ視界は、水中から空を眺めているようで。
 但し見えるのは空ではない。
 白い壁紙の天井。それと判るまで意識は浮遊していた。
 やっと、着地を始めた意識の中で、記憶という地面を探る。
 雨の冷たさが、先ずぼんやりと甦る。
 雨の中、何かの為に立ち上がり、何かを探して歩いた――何を?
 今は空の右手。あの時は確かに鋼の凶器と、水分でインクの滲んだメモ。
 そこに印刷されていた地図と、書いた主を伺わせない機器の文字。
 『生きる気があるのなら向かえ』と。
 あとはどこをどう歩いていたのかよく分からない。
 ただ、扉の前で僅かな安堵を感じた。
 だとしたらここは、探していた場所?
 見回せば、今寝ているベッドと小型テレビと棚だけの、シンプルな部屋。
 実験器具も、銃も無い。
 これは、普通の『家』と理解しても良いのだろうか。
 『外の世界』の人々が、安楽に暮らす、家という建造物。
 今までに見た事の無い世界。
 機械音も銃声も、怒声も聞こえない。
 これが、『平和』?
 ひどく心地好い。同時に底知れぬ不安に襲われる。
 何故?ここなら自分を脅かす存在は居ない。
 本当に?
 今から誰かがその扉を開けて、俺に襲い掛かろうと――
 そう考えた殺那、扉が開いた。
 こんな所で悠長に寝ていたから、どやしつけて殴るのだろう。
 それ以外の日常など、己には与えられない。そんな事はもう重々分かっている。
 扉から現れるであろう軍服を待つ。
 だが、そこに顔を出したのは、己より年上ではあるが何ともひ弱そうな青年だった。


「…誰だ?」
 口の中が乾燥していて、上手く発音出来たかどうか。
 酷く掠れた声であった事は自覚がある。
 だからか、相手は答えなかった。
 慎重に歩み寄ってくる。
 それは、今にも襲ってきそうな獣に近寄るような足取りで。
 誰が獣だと言うのだろう。誰が襲おうと言うのだろう。
 俺以外にはそいつだけの空間で。
 ぴたりと視線を浴びている俺という獣は、衰弱しきって襲うどころではない。
 見て、分かるだろうに。
「誰だ?」
 枕元まで来たのを見計らって、再度質問する。
 いくらなんでもこの距離なら聞こえるだろう。
 それなのに怯えを顔に貼り付けたまま、そいつは口をもごもご動かすだけで。
 やっと、聞き取れた返答は。
「君は、何者なんだ…?」
 質問のオウム返し。
 軽く溜息を吐く。
「何を答えれば、俺の質問に答える?何者かなんて、アンタがどの程度俺を知っているのかも知らないのに」
 顔に広がる怪訝な表情。
 まさか、と思いつつ続ける。
「俺の事を全然知らない一般市民だって言うのか?」
「…まあ、そうなるね」
 どうやら本当にそうらしい。
 目指していた場所と違ったのだろうか。尤も、この男が軍に関係しているとも思えない。
 それにしても、あのメモを作った人物とは一体…
「邪魔したな。俺の持ち物あったろ。返せ」
 起き上がれば軽い目眩がしたが、構わず扉に向かう。
「待ってよ。僕は君の事を知っている」
「…は?」
「でも君は…もう死んでいる筈なんだ。…だから、君が誰なのか、何者なのか…知りたい」
「…ああ」
 普通の人間ならば、この男は何を言っているのか、精神状態を疑うところだろう。
 だが俺には理解出来る。
 少なくとも『普通の人間』ではないのは、俺の方だから。
 だから確信した。コイツは何かを知っている。
 そして、メモは夢などではなく、ちゃんと辿り着けた事も。
「アンタは俺の元を知っているんだな?」
 ベッドに戻って腰を掛けながら、問う。
「知っている、と答えるべきなんだろうね。誰の事かは確信持てないけど」
「お前の言った、死んだ奴で間違いないだろ。恐らく」
 訝しげな顔。
「…彼が、元?」
「俺が嘘の情報を持っていなければの話だが」
 眉の潜められた顔は、無理矢理何かを納得したように。
「じゃあ、それが事実だとして、君はどこで産み出されたのか…知ってる?」
 頷く。
「軍だよ。俺は生ける兵器さ」
 また、難しい顔をする。
 それはそうだろう。自分の言っている事が常軌を逸している事ぐらい、知っている。
 だがそれは事実なのだ。俺という証拠がある。
「…軍を、抜け出してきた?」
「さあね。アンタがそう言うならそうなんだろ。俺にはよく分からない。ただ、基地が火事になったのは…」
 ――そうだ、火事だった。あの時、確かに。
 しかし何故、俺がここに居られる?
 炎に巻かれた記憶は断片的な映像として残っている。
 逃げ場を失い、倒れて、それから――
 それともあれは、悪い夢だったのだろうか。
「じゃあ、火傷もその火事で?」
「火傷?」
 はっと、己の手を見る。
 確かに、右手の甲から腕にかけて、火傷の跡。
 顔を起こせば、視線が不自然な方向に向けられているのに気付く。
 顔の右側。
 恐る恐る指先で触れる。
 鋭い痛みと、ぼこぼこした肌の感触。
 正直、今まで気付かなかった。
 だがあの火事が現実だった事を、この身が何よりも証明している。
 じゃあ、俺は、どうやってあの場を抜け出した?
「…あの人、かな」
 頭上で漏れた声に、記憶を辿っていた意識は現実へと戻された。
「安心して。君をここに差し向けた人物、多分判った」
「それって…」
「そのうち分かるよ」
 それだけ言って動きだす。
「おい…!俺の質問は無視かよ!?」
「僕はほいほいと自分の事を明かせないから。まあ、そのうちね」
「なっ…卑怯だろ!!俺の事は全部知っておいて!!」
 騒ぎ立てれば、扉の前でそいつは止まった。
「僕は尭冶(あきや)。君と同じ、クローンだよ。それ以上は言えないね」
 俺は息を呑んだまま、扉の閉まる音を聞いていた。




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あきゅろす。
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