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短篇集
或る昼下がり
 バレンタイン。
 一生、自分には関わり無い一日。
 …だと思っていた。
 ついさっき、その一瞬まで。



 二月十日。
 真紀は買い物に出た。
 友達と楽しく衣類を見て回る、華やかなショッピングではない。
 そもそも、彼女はそんな物は興味がまるで無い。自分を飾る事に意味は無いと考えるからだ。
 向かうのは近所のスーパーである。
 単に、一人住まいの食糧を切らしたが為の買い物だ。
 二月だと言うのに、うららかな陽気。気持ち良い昼下がりだ。
 真紀は音大生である。
 この春、卒業を控えている。
 五日後には、卒業記念演奏会を控えている。
 今日はたまたま休みだが、今からの四日間は練習漬けになる事は間違い無い。
 その四日間を乗り切る為の、今日の食糧の買い出しである。腹が減っては戦…ならぬ練習も出来ぬ、というやつだ。
 今までお世話になった人々が駆け付けてくれる。その人達の為にも、納得出来る演奏をしたかった。
 スーパーに着く。
 貧乏生活も、入ったばかりのバイト代で少しは贅沢が出来そうだ。
 ざわざわとした店内。
 その一角で。



 チョコレートがずらりと並んでいた。
 甘い物は好きだ。美味しそうだなぁ、と思わず足を止める。
 でも、何故こんなにチョコレートが?と思い、辺りを見回すと。
 「2/14 バレンタインデー  大切な人へ、贈り物を…」そんな内容ののぼりが、もう分かったから、と言いたくなるくらい置いてある。
 …アホらし。
 こっちはそれどころじゃないっつの。
 チョコレートは名残惜しかったが、貧乏人には店内のお得用を買うのが一番だ。
 当然、質より量、である。
 買い物カゴを取って、さて何を買おうかと、店内を見渡す。
 そこで、ふと。
 本当に予期せず思い出してしまったのだ。
 “演奏会、必ず行くから”と言ってくれた、
真紀の大好きな音色を出せる、
尊敬する先輩の顔を。



 演奏会は二月十五日。
 鼻で笑った例の日は、二月十四日。
 …これは、アリでは?
 ふと思った事を、自分で驚きながら掻き消して、彼女は買い物に没頭した。
 …のはいいのだが、上手く頭が働かない。
 いつもなら貧乏生活のお陰で、値段との格闘をしながらの買い物となるのだが。
 どうも計算する気が起きない。
 ヤバイなぁと思いつつも、食べたい物を次々カゴにほうり込む自分が居る。
 給料が入ったばかりだからって、油断し過ぎだ。
 やっぱり極限まで腹を減らして買い物に来たらマズイなぁ…。
 そんな自分への言い訳を考えながら、レジに並ぶ。
 カゴは今までに無く重い。
 すると、レジ前にあるその一角が、どうしても目に入ってしまう。
 …今までの感謝として渡すなら、普通にアリでは?
 そうだ、お世話になった分を、何かお返ししなくては。
 バレンタインの名を借りて。
 …でも。
 気付かれたら嫌だなぁ…
 ぼーっと考えていると、レジの精算が終わっていた。
 慌てて代金を出す。
「千六百……すみません、お客様」
 はっと見ると、百円玉のつもりで一円玉を出していた。
「す、すみませんっ」
 更にあたふたと取り替える。
 レシートを受け取って去ろうとした時、「研修中」の札が付いた若いお兄さんの、押さえた笑いが耳に入った。



 さぁ、どうするか。
 買った物を袋に詰めながら、目は一点ばかり向いている。
 とりあえず、安い物が無いか見てみるか…
 判断基準はあくまで値段である。
 重い袋を持って、陳列台を覗き込んだ。
 まず目に入ったのは、手づくり用のチョコレート。
 本来なら手づくりが一番良いのだろうが、そんな器用な事は真紀には出来ないし、している暇も無い。
 ならば既製品で。
 その陳列台から離れた時、ようやく思い出した。
 先輩と一緒に来るであろう、同じくらいお世話になった、もう一人の先輩の存在を。



 そもそも、その先輩は、真紀の友人の彼氏の親友として知り合ったのだ。
 友人の彼氏――賢は、その“もう一人の先輩”である。つまり、めっちゃくちゃお世話になっている人なのだ。
 だが今まで恩返しの様な事は出来ずに居た。
 だが、友人の彼氏にチョコレートを渡しても良い物なのか?
 もちろん、明らかに義理ではあるが。
 彼女の居ない(ハズ)の先輩に渡して、同じくらいお世話になった賢先輩に渡さないのは、気が引ける。
 …何よりこれはバレ兼ねない。
 …バレる?
 何がだ!?
 …いや、そんな事は…
 無数に並ぶチョコレートを前に混乱してきた真紀は、ゴミ袋がもうすぐ無くなりそうな事を思い出して、二階の生活雑貨売り場に逃げた。



 ゴミ袋を探していると、ある物が目に入った。
 贈答用のハンカチ。
 昨年、何だか話題になったアレである。
 ああ、コレ良いかも…と覗き込む。
 少々チョコレートより値は張るが、味の好みを気にする事も無いし、何より溶けてしまう事は無いから、卒業して会えなくなっても思い出して貰える……
 ……ん?
 何だかコレ凄く本命っぽいじゃん。
 却下!!
 いそいそとその場を離れ、ゴミ袋を再び捜し始めた。




 二階から戻ると、再び待ち受けているチョコレート達。
 階段を下りながら、真紀は良い事を思い付いた。
 両方義理チョコに見せ掛けて渡してしまえ作戦。
 副題、そう言えば先輩は下戸だったー!戦略。
 …何だか既に自分で認めている様な物だが、真紀は気付いていない。
 とにかく、どういう事かと言うと。
 酒好きな賢先輩には、アルコール入りのチョコレートを。
 酒が一滴も飲めない先輩には、普通(しかし少し高め)のチョコレートを。
 まさか自分が義理チョコなんて物を渡すとは…と思いながらも、チョコレートを選ぶ真紀は楽しげだ。
 二つを選び、歳時場のレジに持って行く。
 …買っちゃった。
 自分自身で意外な行動を取っている自分が、何だか面白い。
 人が後ろに並び、ラッピングはして貰えるのか聞きそびれたが、いかにも買った感じがするこのままの方が、義理に見えて良いかも知れない。
 そうしてやっと、真紀はスーパーを後にした。



 来た道を帰る。
 来る時には考えもしなかった、三つのビニール袋を持って。
 先輩は去年卒業してから滅多に会えていない。
 一ヶ月ほど前に擦れ違った時、演奏会に来る事を教えてくれた。
 もし来なかったら、自分で食べれるからそれで良い。…と言うか、自分で食べてみたい美味しそうなチョコレートである。
 渡せるかな?
 ふと、思い出した。
 小学生…それも低学年の時、一度だけ、チョコレートを渡そうとした事があったのを。
 渡せなかったなぁ、としみじみ思い出す。
 私の恋は十年に一度か、そう考えて苦笑した。
 ふと横に目をやると。
 白梅が咲いていた。
 春は、近い。






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