RAPTORS 外伝 血の刻印-3- 隼が宮仕えを始めて一ヶ月が過ぎた。 皇后の計らいで、隼は暇を頂き、寺院へと帰ってきた。 側近は住み込みの為、一ヶ月ぶりの帰宅となった。 司祭とも一ヶ月ぶりの再会。 開口一番だった。 “刺青が欲しい” あまりに意外な一言に、しばし白い面を見詰める。 「…それはまた、突然に…どうして」 「どうしてって、有った方が便利そうなんだよな。あんな所じゃ」 あんな所、とぞんざいな言い方だが、それが示すのは宮中。 「馬鹿にするヤツらが煩くてさ」 何の事は無さそうに言うが、偏見と差別は激しい。 ただでさえ根の血は恨みの対象となるのに、それが宮中で、子供ながらに家臣となった彼への妬みは、生易しい風当たりではない。 「だが、刺青とは地の民の証…。彫ってしまったら、お前は地の民として生きていかなくてはならない。解るか?」 「解ってるから言ってんだけどな」 司祭の言葉にぼやいて、隼はさっさと横を素通りした。 「――待ちなさい、隼」 「アンタが俺を地の民だって認めないなら、それでいいよ」 一言だけ言って、寝室の扉を閉める。 司祭は追う事も出来ず、言われた言葉を反芻した。 雷に打たれた様だった。 『認めない』? 身体中痣だらけで、顔の半分を血に染めて、運び込まれた幼児―― 地の民の抱く負の感情を具現化したような姿に、あの日、司祭は言葉を失った。 育つにつれ、彼の周囲は敵だらけとなり、孤独な戦いの中で日々生きていた。 それは、一人だけの、地と根、両国の戦。 その彼が、今、地の民になりたいと言う。 嬉しくない筈が無い。この上も無い事だ。だが―― それは両国の間にある感情を、全て背負う事だ。 「――隼」 やっと司祭は後を追って寝室に足を踏入れた。 寝台に腰掛けていた隼が、顔を向ける。 他の子は居ない。揃って外で遊んでいる。 「――黒鷹って、すげぇ変なヤツなんだ」 唐突に隼が口を割った。 “皇太子様”だと諌めようかと思ったが、自ら語る事の無い彼が喋るままにした。 「すっげぇガキくさくてさ、木登りだの鬼ごっこだの、戦ごっこだのに毎日付き合わされてんだ。何が面白いのか分かんねぇけど、いつもけらけら笑ってさ」 それは文句とも取れる。 だが、一ヶ月前には隼に確実に無かった物を、司祭は見ていた。 子供離れした頑なさの中に、温かな、何かが。 「本当にガキで面倒で変なヤツなんだけど…」 口をつぐむ。 言葉を探しているようだ。 「楽しい、って、あんな事なのかな…?」 じっ、とこちらを見る美しく白い顔。 司祭は悟った。 刺青は、虐めの矛先を緩める為ではない。 地の民――否、黒鷹という地の王子に、心を許した証なのだと―― 皇后と皇太子の前。 隼は暇請いを願い出た。 「近く、私に三日ばかり猶予を下さい」 黒鷹が目を丸くする。 「この間休んだばっかじゃん、お前」 言われた言葉に、隼は更に頭を下げる。 二人きりなら絶対にそんな事はしないのだが。 「――何か、子細があるのですね?」 皇后は優しく問い掛ける。 隼は迷う事無く答えた。 「恐れながら、刺青を入れたいと存じ上げます」 黒鷹が目を見開く。 思わず、隼にも内緒である己の刺青に触れた。 黒い墨が、微かに指先に付く。 「――隼」 皇后が玉座を立ち、隼の前に屈み込んだ。 肩を抱けば、驚いた様に幼い顔が見上げる。 「よくぞ決意してくれました!」 「陛下…」 「あなたには、民を代表して謝らなければならないでしょう。あなたを傷付けてきた数々の心無い言動を…。それにも拘わらず、あなたは地の民を受け入れてくれるのですね?私は嬉しい。少し申し訳ないくらいに、嬉しいのです」 隼は慌てて上げていた頭を落とした。 「畏れ多い事でございます、陛下。…しかし、陛下が喜んで下さるのなら、私も嬉しく思います」 「顔をお上げなさい、隼」 微笑む皇后につられ、隼も慣れない笑みを見せる。 「ありがとう。あなたを地の民として歓迎します」 「あのな、教えといてやるけど!」 自室で二人きりになるなり、黒鷹は声を張り上げた。 「刺青って、すっげぇめちゃめちゃシャレにならねぇくらい馬鹿みてぇにちょーぉ痛いんだぜ!?それ分かってんのかよ?お前」 「くどい」 黒鷹の必死の説明を一蹴する隼。 「なぁっ!!俺はお前の為に言ってやってるんだぞ!?」 あしらわれた事に当然怒り出す。 しかし隼は視線も言葉も冷めている。 「知ってるよ、そのくらい常識だろ」 「彫られた事無いくせに!!」 「お前だって彫られた事なんざ覚えてないだろ?赤ん坊の頃に彫るんだって事くらい、俺も知ってるからな!」 黒鷹は言葉に詰まる。 本当の事は、言えない。 その痛みを、生々しく覚えているなどと。 「…とにかく、俺は教えてやったからな!後で泣いても知らねぇぞ!!」 「誰が泣くかよ、誰が。てめえじゃねぇんだ。木から落ちていっつもびーびー煩いヤツとはな!」 「俺が落ちたの一回だけじゃん!!ってか、アレだってめっちゃくちゃ痛かったんだからな!!」 「分かった分かった、俺はお前みてぇに間抜けじゃないって事」 「てんめぇぇぇ…!!!!」 “楽しい”現実とは、このような物である。 [*前へ][次へ#] [戻る] |