[携帯モード] [URL送信]

RAPTORS 外伝
闇の誓い (本編第9章より)
 ――復讐なんて虚しいものよ。

 姶良にはそれを言わせる過去がある。
 決して隼の復讐心が無駄であった事を言った言葉ではない。
 彼女自身、その気持ちは否定できないから――


 姶良、そして隼の“別れ”の物語。



 孤児院に勤め始めて三ヶ月ほどが過ぎた。
 その仕事を恙無くこなしながら、彼女は本業も怠ってはいない。
 本業――忍の、任務。
 地の王家の周辺を探る事。
 そう遠くない未来に起こるであろう戦に向け、情報を集めておくのだ。
 地の王家に仕える司祭の許へ身を寄せれば、情報収集など造作も無い事だ。
 相手はこちらを信用しきっている。聞けばいくらでも答えが返ってくる。
 下手に城に忍び込んで内情を探るより、ずっと効率はいい。
 その代わり、孤児院の子供の面倒を見る、という普段の仕事では有り得ないオマケは付いて来るが。
 だが彼女はそれをあまり苦にはしていない。むしろ慣れている感がある。
 それもその筈、彼女もかつては孤児院の子供だった。
 成長すれば当然、他の小さな子供達の面倒は見なければいけなかった訳で。
 しかも、十歳も歳の離れた実の弟が居るのだ。子供の世話はかつての自分の仕事だった。

 あんな事さえ無ければ。


 姶良は夕刻が迫っているのを窓から確認し、台所へと戻った。
 夕飯の為の炊事を再開する。

 地でもう一つ、やるべき仕事。
 復讐。
 誰に命じられた仕事でもない。だが最も大事な仕事。
 自分と、幼い弟の為の。
 地との戦の中で命を落とした――両親の、復讐だ。


 理不尽かも知れない。
 戦の中では個人的な感情など存在しない。存在してはならない。
 そんな中で死んでいった親の仇に、個人的に恨みを抱くなどと。
 だが、仇を討つと決意した。
 その為に軍に入ったのだから。
 生まれてすぐに親を失った弟の為にも、必ず誓いは果たす、と。
「姶良?」
 無垢な声で呼ばれて、彼女ははっと驚いた。
 振り向くと、最近自分に懐いた子供が居る。
 隼という、異国の形をした少年。
 どこかが。
 どこかが、実弟に似ていたのだ。歳が近いという事もあるのだが。
 つい、気を許してしまった――否、自身が気になっているのだ。
「…どうしたの?夕飯ならまだよ?」
 不意に呼ばれたせいでまだ考え事から抜け出せずに、少し遅れた返答となってしまう。
「ヒマだから手伝ってあげようかと思ったんだけど」
 自分から来ておいて、開けたドアに寄りかかるという怠さ全開の態度で隼は言う。
「もうスープを煮込むだけよ?手を借りる事は無いなぁ」
 少年の真意を掴んだ上で、彼女は悪戯っぽく笑った。
 この子は、子供達の中に居場所が無いのだ。だから気まぐれに自分の許へやって来る。
 案の定、手伝う気は無いのに、その場から動きかねている。
「素直に言えばもうちょっと…だいぶ可愛いのに」
「何か言った?」
「何も?お皿出してくれる?」
 隼は嫌な顔をしながらも、自分から言い出した事なので素直に手伝うしかない。
「ありがと」
 しかめっ面を笑いたいのを抑えて、彼女も素直に礼を言った。


 夜は更けていく。彼女の真意など知らず。
 決行はこの晩と決めていた。
 新月――闇が支配する夜。

 人知れず、彼女は行動を開始した。
 全てが寝静まり、物音一つしない。
 その静寂を破る事無く、彼女はそっと孤児院を抜け出し、闇を翔った。



 返り血を拭う作業は、もはや無意識の内だった。
 それほどまでに慣れてしまっていた――人の命を奪う事に。
 ただ、いつもと違うこの感覚はなんだろう?
 積年の望みを叶えた筈なのに。
 何かが、違う――


 乾いた音を発てて、この数ヶ月に幾度と無く開閉したドアを開ける。
 まだ真夜中の域を出ない時間。
 暗殺者の素顔を隠し、寝息をたてる子供達の横を通り過ぎた。
 ――何も知らない純粋なその顔を、少しばかり羨ましく思いながら。
「お帰り」
 その小さな声に、彼女は心底驚いた。
「隼…起きてたの!?」
 他の子供を起こさぬよう、こちらも極力小さな声で返す。
 本当は叫びたい程驚いていたのだが。
「姶良が出て行くから」
 寝転んだままの態勢で、少し眠たそうに言う。
「気付いてたんだ…」
 まさか。
 気付かれる歩き方はしていない。
 手練れならともかく、こんな子供に。
「こんな暗いのに、どこに行ってた?」
 ――答えられる筈が無い。
 でも、何故だか、適当な事を言ってかわす事が出来ない。
「もう遅いから、明日…ね」
 視線を逸らしながら、やっとそれだけ言った。
 釈然としない顔で、隼は姶良を見上げた。


 分かっていた。

「…緑葉(りょくよう)…ごめんね…」
 隼の視線が、弟――緑葉のそれに見えた。
 責められている、気がした。
 自分が望んでいた事は、姶良自身の利己でしかない、と。
 決して殺された両親も、同じ立場に居る弟も、望んでいたものではない、と。
 彼らの存在に縋って、復讐を勝手に決め、遂げてしまった。
 命を奪う事に、正義など無いのに。
 復讐に、意味など無いのに…。

 相手は、戦の無い今、静かな暮らしを送っていたようだ。
 まさか国の為に奪った命に、今頃逆襲されるとは夢にも見なかっただろう。
 罪の意識も無く、彼自身の罪でもない――


 こうしてまた、怨みの感情は増える。
 それだけなのだ。




 眠りについた子供の顔をぼんやりと眺める。
 ぞわり、と。
 恐怖が首を擡げた。
 誰の、何に対しての恐怖か――

 分かっている。

 自分自身への、だ。



 もうそこには居られなくなって、逃げるように、無垢な心から離れた。
 近くに居たら――きっと、壊してしまう。


 闇の中、仲間に伝令を送る。
 “任務は終了した、帰還する”と。
 このまま、逃げて。


 尾行の気配に気付いた。
 そんな筈は無い。何者が?
 否――
 相手には、己を隠す気配が微塵も無い。

 姶良は立ち止まる。
 どんな敵よりも、会いたくなかった彼が、背後に居た。



 咄嗟に、本当に思いつきで彼女は隠れている仲間に合図した。
「…姶良」
 呼ぶ声が。
「どうした…?」
 違う。それは貴方の求めている人ではない。
 本当は、優しさなど欠片も無い、血塗られた。


 その瞬間、彼女の身体に無数の苦無が突き刺さった――




「…危なかったな」
 仲間が冷徹な声音で言った。
「ええ…気付かれるところだった」
 表面上で彼女は応える。本当は身まで届いてはいない苦無を抜きながら。
 振り返れば、仲間によって気を失わされた子供が居る。
 彼女は子供――隼に歩み寄った。

「悪く思わないで。貴方の居場所は…ここじゃない」

 私であってはならない――。



 でも、もし人生が選べるのなら。

 この子の為に命を賭してもいいかもしれない…
 それはきっと、償いだ。

 そんな考えを、闇の中に溶かした。




[次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!