RAPTORS
6
扉を開けて、三人は面食らった。
明るい。全ての燭台に灯が点されている。
今し方茘枝が忍び込んだ時は、勿論そんな事は無かった。
そして彼らの正面に。
緑葉が、立っていた。
縷紅が、事態を把握して名を呼ぶより先に。
「お待ちしてました」
無表情。同じく淡々とした声。
「主――緇宗より、御案内しろと申し付けられております。どうぞ」
背を向け、歩きだす緑葉。
縷紅は両隣を伺う。
二人とも腹を括っている。頷いた。
縷紅も頷き、踏み出す。
懐かしい光景だった。
毎日見ていた場所。
旦毘も茘枝も、縷紅に伝わる程警戒している。
対照的に縷紅は、七、八年前と同じ様な気分で歩いていた。
不意打ちは無い。確信している。
緇宗という人物をよく知っているから。
緑葉が扉を開け、中へと促した。
客間だ。間取りは体が覚えている。
扉を潜って、縷紅は見た。
煙草を銜えてソファに凭れ掛かる人物。
緇宗。
「しばらくぶりだな」
紫煙と共にかつての師は言った。
「ええ。お変わり無い様で」
唇に微笑を浮かべて、縷紅は応えた。
「ンな事無ぇさ」
意味深に言って、再び煙草を銜える。
その奥の目は、縷紅の後ろを見ている。
獣の眼。
「あの兄ちゃんはこの前も居たな。姉ちゃんははじめまして、だな?」
縷紅は頷く。微笑は崩さない。
この前――姶良を殺した時。
「良い護衛持ってんじゃねぇか。腕が立ちそうだ」
「この前はガキじゃ何とかとおっしゃいましたが?」
「あれは威勢の良い王子さんに言ったんだよ。あの犬っころは元気か?」
「ええ。お蔭様で」
黒鷹の犬扱いに思わず微笑が微苦笑になる。
「そうか。今どこに居る?」
「さて。私も知りません。色々あって」
緇宗がまじまじと縷紅を観察し、ニヤリと笑った。
「本当に知らねぇんだな」
「下手な嘘はつかない事にしたんです」
「ああ。賢明だ」
傍から見ればたわいのない話にも見える。
しかし互いの言葉の奥に、隙を伺い、作り出そうという駆け引きが見え隠れする。
形では笑っている眼の光は、剣呑なまでに鋭い。
「因みに、知っていたら嘘はつくか?」
「だんまりを決め込みます。本題に入っても?」
「本題なんざ有るのか」
「世間話をしにわざわざ来ませんよ。此処は敵の中心のど真ん中ですからね」
片頬を上げて緇宗は笑う。
敵同士である事を楽しむ笑いだ。
心底、この状況を楽しんでいる――この人は。
笑い方一つで縷紅はそれを知った。
「聞こう。剣ではなく言葉で語れる事ならな」
縷紅は頷いた。
剣は――この後抜く事になるだろう。
そのつもりで来た。
「緑葉をお返し頂けませんか」
双方の間を取る形で、扉の横に立っていた本人の肩が、ぴくりと動いた。
「返すも何も、元々こっちのモンだろうが」
「ならば私も返品されなければなりませんね」
口は笑いながら、獣の目の奥が訝る。
「帰る気あんのか?」
縷紅は上目遣いに緇宗を捉えながら、口角を上げて笑った。
「無論――ただ殺される為に帰る訳にはいきません。…ただ、緑葉」
今度はびくりと肩が跳ねた。
「私達は決して無駄な血は流さない。貴方にはどうしても、地に帰って…もう一度、会って欲しい人が居る。分かりますよね?」
一瞬見せた、哀しい眼。
怯えと、後悔と、何かを懐かしむような。
思い出せど、記憶と現実の狭間に手が出せないような。
「…待っていますよ。隼が」
縷紅は確信した。
少なくとも、緑葉は裏切っていない。己の意志では。
そして恐らく、地に関する事を天で喋ってはいないのではないか。
そうであって欲しいのかも知れない。
緑葉は口を真一文字に固く結んで、目をぎゅっと瞑った。
「取引しませんか」
緑葉から視軸を移し、縷紅は緇宗に言った。
「取引?」
「緑葉の代わりに私がここに残る」
後ろから小声で名を呼ばれた。制止の意だろう。
それが聞こえる程、緇宗は沈黙した。
そして。
「面白い事を言う様になったじゃねぇか、お前」
まさに腹から笑い、緇宗は言う。
「そりゃあ良いな、傑作だ。お前が居ればこの小僧も要らねぇ…と、言いたいが」
笑いが引く。
「俺と決着を付けるのはまだ早いぜ、縷紅」
獣の眼光が残る。
「やらなければ分からないでしょう」
「いいや。そっちの意味だけじゃない」
「…どういう事です」
緇宗は笑ったまま口を閉ざす。
「教えては…くれませんね」
縷紅は剣を抜いた。
「そちらの都合に合わせるつもりはありません。私は今、ここで決着をつける気で来た」
緇宗は煙草を揉み消し、ゆらりと立ち上がった。
「そうだろうよ」
「相手になって頂けますね?」
しょうがねぇなと苦笑いする。いつか同じ事を言われた気がする。
「縷紅」
後ろから声がした。茘枝だ。
「…何も、言わないで下さい」
茘枝は厳しい目をしたまま、黙る。
「緑葉を頼みます」
それでも止めなければと思い直し、口を開こうとしたが。
茘枝の腕を掴む、手。
彼女は旦毘を振り返った。
「何かあったら俺が止める」
茘枝は顔を顰めて言い返そうとした。
その瞬間、空気が動く。
縷紅が、置かれていた机に飛び乗り、緇宗の間合いに入った。
瞬時に抜かれた緇宗の剣が閃く。
次には剣がぶつかり合うと思った。だが――
ぶつ、と。
何かが斬れた――否、誰かが。
――誰が?
緇宗の背後にあった影が、ずるりと倒れた。
「…――緑葉!!」
旦毘が叫ぶ。同時に駆け出す。
縷紅が緇宗の手を振り払って、後ろに飛びながら斬撃を避けた。
緇宗はにやりと笑い、扉へと駆け出した。
一瞬、間を置いて後を追う縷紅。
「縷紅!!ダメ!!行っちゃ――!!」
茘枝の叫びが耳に入っていない。
旦毘が緑葉の頭の横へ跪づく。
「馬鹿な事しやがって」
あの瞬間、緇宗に躍り掛かった縷紅と挟撃になる形で、緑葉は緇宗に刃を向けた。
瞬時にそれを察した緇宗は、体勢を横に向けながら縷紅の太刀筋を見切り、その腕を掴んで動きを封じ――
もう片方の手で、緑葉を斬っていた。
傷は浅くは無い。肩から袈裟掛けに斬られている。
緑葉の口が、ごめんなさいと動いた。
「喋るな。まだ死にたかねぇだろ」
言い聞かせ、茘枝を呼ぶ。
縷紅と緑葉、双方を気にかけ動き兼ねていた茘枝は、我に返ったように振り向いた。
「止血してやってくれ。俺には出来ねぇ」
忍なら、斬傷の処置も心得ている筈だ。
今度は彼女も素直に頷き、緑葉の元へ駆け寄った。
旦毘はさっと、二人の出て行った廊下へ駆ける。
その時、鼻腔を擽った匂い。
――キナ臭ぇ?
はっ、と天井に視線を移した。
壁際が、黒い。――黒くなってゆく。
「おいおい…!?」
踵を返して、茘枝に叫んだ。
「緑葉連れて出てろ!!そこの窓から!!」
茘枝は驚いた顔で、しかし頷いた。
どこから燃えているのか分からない。
再び廊下に出る。二人は見えない。
「畜生…!!」
苛立ちが口を突いて出る。
早くしなければ煙に巻かれる。
空間が白っぽくなってきた。袖で鼻と口を塞ぐ。
廊下を駆ける、と。
鋼のぶつかり合う、聞き慣れた音。
「縷紅!!」
叫んで、走り寄ろうとして。
先には、行けなかった。
轟々と燃える炎の向こうに、縷紅は居た。
踞っている。
緇宗の姿は無い。
「縷紅!!」
もう一度叫ぶ。
灼熱の陽炎の向こうで、影が動いた。
「行って下さい、旦毘」
「出来るかよ!?」
何とか炎の壁を越えられないかと見回す。
しかし、天井の一部が火達磨となって落ちて来た。
慌てて飛びのく。
「縷紅!!」
「大丈夫です…私は」
覚束ないながらも立ち上がった様だ。
炎の赤と、義弟の紅が同化して見える。
「行って下さい――早く!!」
「……!」
それでも動き兼ねた。だが。
強く引かれる手。
鬼気迫る顔で振り返れば、茘枝だった。
「おま…!!」
「こんな所で皆焼け死んでもしょうがないから!!早く!!」
茘枝の顔は見えない。出口のみを見ている。
意識的に、縷紅を視界に入れない様に。
腕力の差で、振りほどく事は旦毘に可能だった。
だが、引っ張られた。どうしようも出来なかった。
炎から離れながら――意思とは裏腹に――旦毘は叫んだ。
「待ってるからな!!縷紅!!…待ってるから…!!」
待っているから。
生きて帰ってくれ。
必ず――
返答は無かった。
炎に飲み込まれて聞こえなかったのかも知れない。
冷たい雨に打たれて初めて、自分が外に出た事を知った。
いつの間にか、弱い雨が降っていた。
呆然と、炎の広がる建物を見上げる。
夢、か。
夢の様だ。そうであってはくれないか――
「…旦毘」
呼びかけかれて、のろのろと振り向いた。
呼んだ茘枝と、木に凭せ掛けられている緑葉。
大きく胸が上下している。
「私達は…緑葉を助けなきゃ」
茘枝は、一音一音を押し出す様に言った。
言葉の意味が、いちいち喉に引っ掛かる様な喋り方。
言いたくないと、どこかで反乱している様な。
「……」
旦毘は応えなかった。茘枝の気持ちは十分過ぎる程伝わっているから。
ただし、否も応も言えなかった。
代わりに、横に立っている木を。
力の限りに、殴り付けた。
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