RAPTORS
2
人混みを掻き分け、やっと自分の立ち位置を確保した。
大通りには予想以上の数の民が集まっている。
喧騒。しかしその中身は希望に溢れている者が多い。
新しい王への期待、そして戦の勝利への。
旦毘はいちいち腹を立てる事を止めた。怒れなくなった。
勝利を信じるのは戦う者は皆同じだ。
同じ様に、自分達の正義を疑わないのも、裏返って相手を貶るのも。
自分だって天を、彼らが地を見るのと同じ様に見ていた。
どちらが正しい或は間違い、そんな理屈ではないのだろう。
生きる為に皆、必死なだけだ。
ただ、生きる場所が、信じる物が、住まう国が、違っただけ。
しかしたったそれだけの、十分過ぎる違いで、人は戦をし、人が死に、人が人を殺し、傷付け合う。
縷紅は世界を変えると言った。
敵無き世。戦をする必要など無い世界にする、と。
疑う訳ではないがしかし、この様子を見ていると、また繰り返すだけではないかとも思えてくる。
世界を変える方法など、本当に有るのか――
「始まるぞ!」
誰かが叫んだ。
ざわついていた人々が、一点に集中する。
道の向こうから、鼓笛が流れてきた。
歓声。
騎馬隊。
その中心に守られる様に、緇宗が騎上で民の歓声に応えている。
その右後ろ。
斬られてなど居なかった。
それどころか、旦毘ですら彼が居るべき所に収まっていると感じた。
緇宗の腹心、右腕代わりである、縷紅。
縷紅は人混みの中の旦毘を見ていた。
まだ傷は痛々しく、騎乗もぎこちない物だったが、その顔に迷いは無かった。
旦毘を前にしても、恥じ入る事もなく、確信に満ちた、引き締まった表情をしている。
――方法を、見付けたのだと。
旦毘は思った。
流れる行列。一番接近した時。
旦毘は縷紅に向かって頷いた。
縷紅もまた頷き返し、前を向いた。
敵同士となった。なったが、見詰める先は、同じ所だ。
違いなど無い。有ろう筈も無い。
旦毘は確信を持って、踵を返した。
人の壁を越えると、男達が数人寄り添って話をしていた。
「見たか?」
「どうしてまたあの悪魔が、王の側に…」
「王の特赦で地から戻って来たらしいぞ」
旦毘は思わず足を止める。
「どうしてまたあんな不吉なものを」
「軍に居た頃の腹心の部下だったらしい」
「王はたぶらされているんじゃないか?悪の化身なんだろう」
「非道な行いを顔色一つ変えずに繰り返していたんだろう?全く、禁忌を犯した人間というのは恐ろしいな」
「本当に鬼か悪魔の様だ」
旦毘はじりじりしながら聞いていた。
その悪魔と呼ばれる人物が、どれだけ悩み、苦しみ、悲しんで来たか――それをよく知っている。
「そう言えば王は、禁忌を迷信として信仰を禁止するそうだな」
「迷信?そんな筈無いだろう。現に王朝が一つ滅びたじゃないか」
「そうそう、あれは二代も続けて禁を破った者が将軍になったからだろう」
「あの赤色の将軍が国に呪いをかけて滅ぼしたんだ」
「それならまた滅ぶんじゃ――」
男達の声が不自然に途切れた。
代わりに旦毘の耳に飛び込んだのは、悲鳴。
旦毘は歩みかけていた足を即座に戻し、携行していた短刀を抜いた。
頭巾に覆面をした人物が、男達を斬ろうとしていた。
間一髪で旦毘の短刀が凶刃を食い止める。
その隙に男達はそれぞれの方向に散った。
「あんた何やってんだよ!?危ねぇな!!」
旦毘が覆面の男に怒鳴る。
目元だけが見える。
その目を見て、旦毘は息を呑んだ。
一方で相手も、旦毘の姿を見て身を引いた。
「あんたは…」
旦毘が問おうとした時、男は踵を返して逃げ去った。
突然の事で追うに追えず、呆然と見送る。
気の為所かも知れない。
瞳が赤い――そう、見えた。
国を滅ぼした呪われた将軍。
縷紅と同じ、赤い髪と瞳を持つ者。
緇宗の屋敷に火を放ち、その炎の中に消えて行った男――
「…死んだんだろ…?」
誰へでもなく、一人呟く。
あの状況で脱出など不可能だ。
では今の人物は?
ただの通り魔?
何か薄ら寒い様な、嫌な予感を、旦毘は感じていた。
その日、緇宗は民の前で自らを“世界王”とした。
三国、つまり世界を統べる王である、と。
「縷紅は生きてたか?」
楜梛の家に帰り、扉を開けるなり投げられてきた問い。
「迷信をさっさと撤廃する為に重用するってよ」
答える代わりに、緇宗の言葉を簡略に伝える。
「紅毛は本来、旧王族の持つ色であるが故に禁色とされたって言ってたが、アレ本当か?」
「ああ。本当だ」
緇宗の口から真相が伝えられた途端、民衆はどよめいた。
禁色であるだけで、不吉であるとか呪われた、などと言う事実は無いのだと。
あの男達の様に、深く信じ込んでいた民衆が突然そんな事を言われた所で、そう簡単に差別が無くなるとは思えない。
「禁色ねぇ…」
高貴の色は、長い間秘められる中で、全く逆の意味を持つ様になった。
「王家が一族の反逆を警戒する余りそうなったのだがな」
「王族の血を引く者は皆あの色なのか?」
「いや?個人差はある。全く出ない者も居るくらいだ。王族である事を全く忘れられた一族から、突然変異の様に出る事もあるがな。まあ一般の民にも稀に居る。赤斗だってそうだ」
「元将軍だった奴か」
昼間、切り結んだ相手の目が脳裏を横切る。
「…そいつ、生き延びてる可能性って、有るか?」
「赤斗が?」
さも意外そうに楜梛は聞き返し、考えるそぶりを見せて、言った。
「全く不可能では無いだろうが…あの炎だ。まず無理だろう」
「本当に?他に抜け穴があったとか…」
まくし立てる旦毘を手で制して、楜梛は問い返した。
「何かあったのか?」
「…亡霊を見た」
「亡霊?」
「俺はその赤斗ってヤツを知らねぇけどな。だがあの眼…」
旦毘が何を見たかおおよそ察しが付いて、楜梛は言葉を返した。
「人違いだろう。さっきも言った様に、赤い目を持つ者は他にも居る。禁忌故に減らされたとは言え、いくらでも可能性は考えられるさ」
旦毘はまだ突っ掛かりを覚えている顔付きで、作業を開始した。
縷紅の無事は確認出来た。急ぎ地に帰らねばならない。
荷物を作りながら、ふと考えた。
「縷紅が王族だって可能性も有るのか」
しばらくして独り言の様に、いや無いかと自ら否定した。
だが楜梛の顔色が変わったのを旦毘は見逃さなかった。
「…何だよ、妙な顔してんな。まるで縷紅が本当に王族だって知ってるみたいだ」
旦毘は揶揄するつもりで言ったのだが。
楜梛は自嘲にも似た表情を浮かべて言った。
「ああ、その通りだ」
一瞬旦毘は返す言葉が出なかった。
そして徐々に強張った顔になり、引き攣れた半笑いの口元からやっと言葉を返した。
「真顔で冗談言うなよオッサン」
「それは誰に対して言っているのかな君?」
「いやアンタしか居ねぇだろ」
オッサン呼ばわりが気になる楜梛。
「まぜっ返すなよ!縷紅が王族な訳…大体、アイツは東軍の門前に捨てられてたんだぜ!?素性なんざ親でも無い限り誰も知らね…」
不意に言葉を切って。
ぱくぱくと、口は続く言葉を吐けず空振りする。
楜梛を指差して、やっと息は言葉を乗せた。
「…も、もしかして…アンタが親!?」
「それは違う」
即座に否定されて、肩を落とした様なホッとした様な。
「そりゃあそうだよな。アンタと縷紅じゃあ似ても似つかねぇ」
「…どういう意味だそれ」
「でもその口振りだと、親の事、知ってるみたいだな」
「だから最初からそう言っているだろう…まぜっ返してるのはどっちだ」
アンタがはっきり言わねぇからだよと言い返し、旦毘は問う。
「何者なんだ、そいつは」
楜梛は椅子に腰掛け、長い話になるが…と前置き、語り始めた。
「もう二十年になるか…あの頃は俺も緇宗も軍に入りたてでな。ちょうど縷紅やお前さんぐらいの歳だったよ。俺達の上官に穗積(ホヅミ)という男が居てな、あの人は伯爵家だったか公爵家だったか忘れたが、貴族の出だった。元を辿れば四代前の王の子孫らしい。とは言え気の良い男でな、俺達はよく世話になった…まあ言わば恩人だ」
「それが…縷紅の父親だって事か?」
楜梛は頷く。
旦毘は我慢ならない様子で更に言及した。
「そんなお偉いさんなら子供捨てる必要無ぇだろ!!禁色ったって、王族だって認められていれば…!」
「王族だからこそ、禁を破った子供は処分されなければならなかったんだよ」
「な…」
「穗積は生まれてきた子供を本当に可愛がっていた。捨てるどころか、ずっと側に置いておきたかった筈だ。…だが王がそれを許さなかった」
「王が…何故…!?」
「あの王には禁色だと言うだけで、殺すには十分な理由だっただろう。それに加えて、言い伝えがあったからな」
「言い伝え?」
「王家の血を引く紅毛赤眼の者は、天下を治めるとな。王家でも髪と眼が赤い者はなかなか出ない。緇宗が討ったあの王も、赤いのは眼だけだった。それが軍に下った分家で出てきちまった日には、王も気が気じゃ無いだろう」
「だけど子供だろ!?何もそこまでする事…」
「己の地位を脅かす者なら生まれたての赤ん坊でも反逆者だ、あの王にとってはな。それで、王は穗積に子供を殺す事を命じた」
「…殺せねぇから東軍に遣ったってのか」
「まあ…あながち間違いではないが…穗積は死んだんだ。妻と、心中という形でな」
「死んだ…!?心中って、自分達で死んだのか!?何でそんな事…!!」
「王への忠誠が有ったからだ。だが子供は殺せない。王の命に背く以上は、自分達の命を絶つより無い、と。そこまでしなければ、王は他の王族も何かしら理由を付けて亡き者にしようとしただろう」
「何て奴だ…」
「本当は子供も殺して自分も死ぬつもりだった様だが…穗積は出来なかった。止められてな」
「止められた?誰に?」
「王に暗殺を命じられた緇宗に」
「緇宗が…止めたのか…!?」
「子供を刺す寸前だったらしい。突然現れた緇宗に穗積は、全てを託した。天の国内では目立ち過ぎて、誰が国に告げ口するか分からない。だが東軍なら、この子は生きて行けるかも知れないと言ってな」
「よく東軍に預ける気になったな…敵だってのに…」
「穗積は当時の東軍の長の人柄を知っていた様だからな。無下に殺生はしないと踏んだんだろう。穗積は子供の事を言い残して、自分の喉を掻き切って死んだらしい」
「そうか…。だけど、よく緇宗がそれに乗ったな。何の利点も無いだろう?他人の子供を助ける事に」
「奴は…自分の子供を亡くしたばかりだったからな。子供は殺せなかったんだろう。多分、最初から助けるつもりで王の命令を受け、穗積の屋敷に向かったんじゃないかと俺は思う」
「子供が居たのか…」
「あれも王に殺された様なものだからな。あの時から奴は…一人の男から、復讐を狙う獣になった」
変わっちまったよ、と楜梛は何かを諦めた様に言った。
旦毘はそれ以上突っ込んで訊いても良いものか迷っていた。
興味は有るが、同情の念を抱く訳にはいかないのだ。
緇宗は今から倒すべき相手なのだから。
「縷紅は…今の話、知ってんのか?」
自身の興味を逸らす為にも、旦毘は訊いた。
「恐らくまだ知らないだろう。緇宗は縷紅がまだ餓鬼の頃、出世したらお前の親を教えてやると言っていた」
だが、と楜梛は続ける。
「今頃、奴は約束を果たしているかも知れないな。自分の手で出世させたんだ、もう教えても良い頃だろう」
「頃合いなんて有るのか?」
「考えてもみろ、あの王と血が繋がっているって事だぞ?」
背負うものは、重く、残酷だ。
緇宗は縷紅がそれを背負える様になるまで待っていた感がある。
「だが…縷紅は無意識に王族の血を感じていたのかも知れないな」
楜梛は窓の向こうを見ながら言った。
「そうでなければ、こんな国にあそこまで責任は負えまい…」
「……」
旦毘も窓の外を見遣る。
青い空が、広がっていた。
縷紅は言っていた。空に近いこの国が、好きなのだと。
好きだからこそ、国の道を正し、良い国にしたいのだと――
国を治める者の血が流れているからこそ言えた言葉なのだろうか。
「オッサン」
旦毘は楜梛に向き直る。
「俺は地に帰るが――アイツ…縷紅の事、よろしく頼む」
楜梛は鼻で笑った。
「オッサン呼ばわりを撤回すれば、な」
「…じゃ、お兄さん?」
「いい加減名前を覚えろよ」
旦毘は笑いながら、この人に次会う事が有れば敵なのだと、自らに言い聞かせていた。
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