RAPTORS
2
数ヶ月振りの天の国。
五年間自分が閉じ込められ過ごした場所に向かっている。
以前に茘枝から教わった方法で、黒鷹は天井裏の通気口に侵入した。
尤も、彼は今、そんな細かな事を考えてはいない。
隼が生きているか、死んでいるか――その二択。
牢が並ぶ場所に着いた。
金網ごしに一つ一つ確認していく。
捕らわれた地の民が居る。助けようと一瞬考えたが、素通りした。
自分のしている事の矛盾は分かっている。
だが、もう自分を抑えられない。
アイツが一番急を要するんだ、そう自分を納得させて進む。
利己だと言われても、それで良かった。
誰よりも、何よりも、一緒に生きていたい。
共に戦い、共に建て直した国を、共に見届けたい。
また一つ、金網ごしに牢を覗いた。
血の匂い。
「――隼!」
思わず黒鷹は叫んだ。
無造作に寝かされていた体が、僅かに動いた気がした。
黒鷹は金網を蹴り落とし、牢の中へ飛び降りた。
喀血したものと思われる血で、胸の辺りまで赤く染まっている。
彼は跪き、隼の上半身を抱き起こした。
温かさに、ひとまず安堵する。
「おい、大丈夫か?隼!?」
祈るような気持ちで呼びかける。
「…アホだろ、お前」
呼気だけの言葉。僅かに開いた目。
「見事に釣られてんじゃねぇよ…」
「釣られる…?」
隼の視線の先を辿って、黒鷹が顔を起こした。
牢の外で、女が微笑していた。
見覚えがある。
五年前、占拠された城の中で、自分を捕らえた女。
「お久しぶり。元、王子サマ」
「アンタが隼を…?」
「全てはあなたのせいよ」
「何…!?」
「脱走さえしなければ、その子を巻き込んで死なす事も無かったでしょうに。あの時処刑に甘んじていたら、死ぬのはあなた一人で済んだものを」
「――」
「何言ってんだよ」
動揺し言葉を失った黒鷹に代わって、腕の中から答えが返った。
「俺は巻き込まれて死ぬんじゃねぇ。自分で選んだ死だ。地の民も同じ。巻き込まれたのは、コイツの方だ」
「寿命を縮めたいの隼?喋れば余計毒を吸う様なモノよ」
「だから何だよ?早かれ遅かれどうせ死ぬんだろ」
言う隼の口を、黒鷹の手が押さえる。
「――死なせねぇよ。その為に来たんだ」
黒鷹の手の中で、咳と共に鮮血が流れる。その後で短く隼が何か呟いた。
聞き取れなくても、何が言いたいのか分かる。
「だから、お前の方が馬鹿だっつーの」
笑って見せてから、そっと頭を床に置いた。
立ち上がって、女――姶良を見据える。
「殺すのは俺だけで十分だろ?隼は地に帰せ。コイツは関係無い」
「聞き入れると思ってるの?二人ともこの中で死んで貰うわ」
「…思い通りになってやるか、バーカ」
「隼?」
腕を翻す――と、同時に背後の壁ががらがらと崩れ始めた。
「…!」
「嘘…いったいどうやって…!?」
「隠し刃だ」
一見腕輪にしか見えない銀色のリング。それは鋼糸の集まり。――それが“霧雨”。
壁が無くなると、そこには庭が見えた。
「逃げろ、クロ――早く!!」
一瞬動き兼ねたが、剣幕に押されて走り出す。
しかし、長くは走らなかった。
「待ちなさい」
姶良の声で、黒鷹は止まる。
振り返った。
隼の上に、姶良の刀がある。
「言いたい事は、分かるわね…?」
「気にするな、黒。早く行け――この人に俺は殺せない」
隼の声は落ち着いて、確信に満ちている。
言われた黒鷹は戸惑うばかりだが。
「殺せないってどういう事!?」
姶良が声を荒げる。
「自分で分かってんだろ?」
「っ――」
「なぁ」
張り詰めた二人の間に、黒鷹の声は妙に間が抜けて響く。
「俺、ここで逃げたら何の為にここまで来たのか分かんねぇんだけど」
言いながら、すたすたと元に戻る。
隼の横まで来ると、その場に座った。
「俺斬って、隼帰せば済む事だろ?よく分かんねぇけど、アンタも隼斬りたくないんならさ」
「…バカ」
当然隼に呆れられているが、一方で姶良は頷いた。
「そうね。あなたがそう言うのなら」
「おい――てめぇらがそのつもりでも、俺が鋼糸で刀を止める。無駄だ」
黒鷹は隼をまじまじと見る。
「…何だよ」
擦れた声で隼は言った。
すると、突然黒鷹は隼の右手を握った。
「…ハッタリだろ。もう腕を動かす力も無いクセに」
「――」
「壁崩すのなんて、相当力要るもんな。…そこまでして俺を逃がそうとしてくれたのに。ごめん。…ありがと」
「――クロ」
持たれるがままに宙に浮いた手。動かす事はおろか感覚すら無い。
「もういいよ、隼。…地のみんなによろしく」
「誰が――…」
声にはならず、途中で途切れた言葉。
右手が、滑り落ちた。
「…無理してるって事くらい、分かる」
意識の消えた隼を見て、黒鷹は呟いた。
「約束だ。俺を殺す代わりに、隼を生かして地に帰すと誓ってくれ」
姶良は深く頷いた。
「誓うわ。私としても、こんな形でこの子を殺したくはない。…ただ、地で再びこの子が反旗を翻さないとでも?その時は容赦できない」
「分かってる。いいんだ、それなら」
「いい?何故?」
黒鷹は白い手を指先でなぞる。
「俺のせいで誰かが死ぬのだけは絶対イヤだ。隼なら尚更」
穏やかに親友を見ていた目が一転し、覚悟を決めた瞳が見上げられる。
「斬れよ」
姶良は刀を構えた。
彼は再び手を握り、目を硬く閉じた。
「これで俺の戦が終わる」
姶良の刀が振り上げられ、そして――
刀を振り下ろそうとした姶良は、斬るべきものを斬らなかった。
振り返りざまに横に払った刀が金属音を発てる。
刃の向こうに対峙した人物を見て、彼女は目を見開いてその名を叫んだ。
「――縷紅!?」
それは、瞼を開いた黒鷹の声と重なった。
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