RAPTORS
1
天の門は機械仕掛けで人を運ぶ。
大きな滑車から伸びる太い縄。それに結わえられた箱に乗る。
滑車が機械に回され、箱状の乗り物は天へと昇ってゆく。
それを降りれば、天の中心街だ。
街の向こうに切り立った山がある。その中腹に城が建てられている。
その周囲を固める様に、一段低い山腹に軍の施設はあった。
「…日が暮れるな」
城の後ろ、耶堅(やげん)岳に沈む夕日を見上げ、旦毘が言った。
市街の宿に潜んでいる。夜を待つ三人。
窓辺に座る旦毘の横顔が、朱に染まる。
「こんな夕焼けなら、明日は雨かな」
机に頬杖をついて座る茘枝が微笑んで言う。
「…そんなものなんですか?」
茘枝の向かいに座り、街で集めた情報に目を通していた縷紅が問い返す。
「夕焼けの次の日は雨だって、母に聞いたわ。ずっと、ずーっと前に」
縷紅は改めて空を見る。
厚い雲を裂く様に、赤光が射している。
「…夜のうちに来るかな、こりゃ」
旦毘の危惧する通り、黒雲の流れは速い。
「忍び易いから好都合ね。濡れ鼠は嫌だけど」
「足場が滑っちゃ素人は困るんだがなぁ」
笑う二人に挟まれながら、縷紅は朱に染まる空だけを見詰めていた。
赤、は。
不吉な色――
自らの半生を汚してきた色。
それを断ち切るこの夜に、それが視界を支配している。
「綺麗ね?」
視線を感じて振り向いた。
茘枝は縷紅が夕焼けに魅入っていると思ったらしい。
「…ええ」
口では同意したが、内心は瞠目していた。
普通これは綺麗と感じる物なのか、と。
束の間に日は落ち、闇が訪れる。
「行きましょう」
この夜以降、またあんな夕焼けを見る事が有れば。
今度は素直に、綺麗と感じてみたい。感じられる様になりたい――
だから、この夜は。
血の赤を、不吉な赤を――見納めにしよう。
街を抜け、迂回する形で城に近付く。
正確には城の側にある、軍の宿舎。
その一角に緇宗の屋敷がある。
茘枝は常に緑葉は緇宗の側にいると突き止めていた。
捕われて拷問など惨い目に合っていない事には安堵したが、縷紅は嫌な予感を抱いた。
緑葉が進んで緇宗の小姓など務めるだろうか?
裏が有る。それが危険だ。
また、茘枝も複雑な気分になっている。
これでは縷紅が緇宗に当たる事は免れられない。
その覚悟で来たとは言え、もしかしたら避けられるのではないかという期待は絶望的となった。
「縷紅」
耶堅岳への暗い道で、茘枝は縷紅の紅の髪を追っていた。
「お願いだから、保身を優先してね」
「保身ですか?緑葉の?」
縷紅は振り返りはしないもの、声色で怪訝な顔をしているのが判る。
「緑葉もだけど…貴方の事に決まってるでしょ」
「可愛い彼女を怒らせるなよ、縷紅」
最後尾の旦毘がせせら笑う。
「…そんなつもりでは…」
困り果てた声。その直後。
縷紅は短刀を長剣で薙ぎ払っていた。
「何者だ!?」
行く手の闇から、複数の影が現れる。
「縷紅、待っていたぞ」
その中の一人の声に、彼は眉を上げた。
「貴方達は…」
それは、かつての同僚達。
最年少でありながら異例の早さで出世してゆく縷紅を妬んでいた者。
「漸くこの時が来た…覚悟しろ、縷紅!!」
相手が動く。
陰から出て来たのは七、八人。
細かい人数を確認する前に、縷紅は一人の刃を受け流し、袈裟掛けに斬り付ける。
その横で茘枝のクナイを胸に受けた男が倒れた。
縷紅が二人目と刃を交える後ろを狙った男は、旦毘に脇を突かれる。
その調子で瞬く間に静けさが戻った。
「…バレたのか…!?」
こちらの隠密行動が敵に悟られたのでなければ、この襲撃は有り得ない。
縷紅は旦毘の言葉には応えず、一歩踏み出した。
枯れ草が乾いた音を発てる。
「どういうつもりですか、楜梛」
木々の茂る中へ、縷紅は鋭く問うた。
声だけが、返ってきた。
「お前に殺されなきゃ成仏出来ない奴が、腐る程居てな。分かるだろ?」
「分かりませんね。私は殺したくなどありません」
「本当にそうか?」
「……」
「人はそう簡単に変わりはせんよ。例えお前が緇宗を倒したとしてもな」
縷紅は言葉に窮する。
この夜を越えればと思っていた。緇宗を越えれば、と。
そんな甘い事など無いのか。
ここで身に付けた己の中の『鬼』は、そう簡単に捨て去れはしないのか――
「変わるんじゃねぇよ。コイツはずっとこのままだ。てめぇなんかに何が分かる」
「そうよ。私の大好きな縷紅は、ちょっと惚けてるけど本当に優しい人よ。敵でも斬りたくはないと思う程にね」
縷紅は見開いた目で両脇の二人を見た。
二人は彼に微笑み返す。
信じている、と。
「まったく、若いモンには勝てんな」
楜梛の苦笑が見て取れるようだ。
「緇宗に報告はしていない。行くが良いさ。面白いモノを見せて貰おう」
言葉と共に、楜梛の気配も消えた。
縷紅は二人を促す。
「行きましょう」
「…でも、大丈夫?本当に緇宗には…」
「伝わってないでしょう」
確信を持って言い切る縷紅。
訝しそうな茘枝の目。
「大丈夫。嘘はつきませんよ、あの人も」
茘枝を安心させようと笑みを浮かべれば、旦毘の笑いが耳に入った。
「お前は嘘が下手なだけだ」
「…まあ、そうですけど」
少し口ごもりながら。
「ま、そこが可愛いんだけどね」
言いながら茘枝に頭をぽんぽんと叩かれる。
「え…や…ちょっと…」
動揺している間に二人の背は前へ。
「お前、顔赤ぇぞ」
「こんな暗いのに見えないでしょう!?気のせいです、気のせい!!」
「でもムキになってる。図星」
「良いじゃない。可愛いから」
「……」
笑い声に挟まれて。
漸く何か分かった気がした。
自分を『縷紅』として保たせてくれるのは、こんなたわいもない会話だと。
殺し合いではない。
それに、もっと早く気付けていれば――
否、自分はこの笑い声の響く世界を作らなくてはならないのだ。
もう、後悔ばかりしていてはならない。
断ち切り、変わる。変える。自分を、世界を。
その為の戦いなのだと、再認識した。
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