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RAPTORS
19

 己の身から突き出た剣を見て、黒鷹は驚きの余り何が起こったのかすら理解出来なかった。
「クロ…っ!!貴様ぁぁ!!」
 鶸の怒号がすぐ隣で聞こえた。
 だが、いつもは耳の奥まで響く刀を切り結ぶ音も、どこか違う世界の音のように感じられた。
 体中から力が抜ける。膝が地に着いた。
 視界が揺らめく。不思議と痛みは無い。
 うつぶせに倒れて、世界が闇に包まれた。
――あれ?俺…
 今度こそ本当に死ぬ?
 ……まぁ、
 いっか……でも
 ちょっとヤだなぁ…――
 『なに俺より先に死んでんだ馬鹿』と、隼に罵られた気がした。


 気配も無く黒鷹に近付き、暗殺を成功させた男以外に、鶸は何も目に入らなくなった。
 次々に斬撃を浴びせ、しかしその全てが受け止められており、刃が届かない。
「お前だけは、絶対殺すっ!!黒鷹が止めても、絶対に!!」
 鶸は叫びながら、攻撃の手を更に早めた。
 凄まじいまでの殺気を浴びながら、男――楜梛の口元には、薄い笑みが浮かんでいた。
 苛立った鶸は一度間合いを取り、渾身の力を込めて斬り掛かった。
 真っすぐ脳天に振り下ろされるか、剣で受け止められても力押しで勝つつもりの、必殺の一撃。
 だが、どちらの感触も鶸の手には届かなかった。
 そこには既に男の姿は無かったからだ。
 鶸は流石に面食らった。
 着地しながら、首を巡らせて怒鳴る。
「どこ逃げやがった!!出て来い!!」
 すると何処からともなく声が響いた。
「いやぁ、危なかったな。呑気な小犬と思っていたが、やはり獣を怒らせてはならんか」
 驚きで冷や水を浴びせられ、少し冷静になった鶸は、漸く相手が誰なのか判った。
 先刻水辺で聞こえた声。黒鷹を襲うと宣言した、あの男。
 目の前で言葉通りにされてしまった悔しさに、鶸はまた頭に血が昇りだした。
「絶っ対、許さねぇ!!」
 怒りを向ける先が視界から消えたので、闇雲に刀を振り回す。
 辺りに谺(こだま)する笑い声が、鶸を更に苛立たせる。
「いい加減にしやがれ…!!」
 吠える鶸に、縷紅が近寄った。
「落ち着いて下さい、鶸。敵の術中に嵌まるだけです」
「落ち着けるかよっ!?クロがやられたんだぞ!?」
 苛立ちを丸ごとぶつけて睨む。
 縷紅とて落ち着いていられる場合ではない。誰より救いたい、救うべき人を失って。
 それでも動揺は見せない。
 彼は楜梛に告げた。
「私達が狙いならば、いくらでも相手になります。こんな卑怯な真似などせずとも」
 後ろに旦毘も駆け付け、槍を構える。
「オッサン、悪あがきも程々にしろ。もうアンタ一人しか居ないぜ」
 ほう、と声がした。
 それは――旦毘の背後から。
「赤斗を破ったか。それは結構」
 振り向いたものの間に合わず、次の瞬間には矢が左手首を貫いていた。
「っ―…!!」
 何とか右手だけで槍を取り落とさずに済んだが、片手で扱える物ではない。
 それでも勢いで横に薙いだ。
 が、ひょいと躱される。
 勢いを失った槍は地を刔って止まった。
 それを飛び越えて、鶸が楜梛に斬りかかった。
 しかし真っすぐ飛んできた鶸を身体を横にして軽く躱すと、その襟首を捕まえて動きを封じた。
「ぅわ!?」
「本当にお前さんは前にしか向かって来ないんだなぁ。猪だってもう少し考えるぞ?」
「猪より馬鹿って…わあぁぁぁ!?」
 喚く鶸を高く放り投げ、弓矢を番える。
「格好の的だな」
「楜梛!!」
 縷紅の制止の声など効かず、矢は放たれた。
 木の幹に当たるざくっという音で、矢は止まった様だ。
 鶸は落ちて来ない。
「何をしたのです!?」
 縷紅の問いに、楜梛は顎で上を示した。
「よく見てみろ」
 縷紅は目を凝らして矢の当たった幹を見る。
 そこには、複数の矢で幹に縫い留められた鶸が居た。
「な…何という非道な事を…!」
「当ててねぇよ」
 意外な一言に虚を突かれた時。
 世にも情けない声が降ってきた。
「またかよぉぉぉ…」
 鶸、今宵二度目の木上の人となる。
 楜梛は鶸の身体には矢を当てず、衣服や鎧に矢を当てて木に留めたらしい。
「ま、邪魔されちゃかなわんからな。ガキ殺す趣味は無いし」
 軽く笑いながら話す楜梛を、縷紅は睨みつけた。
「ならば黒鷹も生かしてくれれば良かったものを」
「あれは別だ」
 不敵に言い放つ楜梛。
 縷紅は馬を降りた。
 この相手に限っては、接近戦にならざるを得ない分、馬に乗っていては不利だ。
 いよいよ本気で戦う気を見せた縷紅に、楜梛は満足げに笑った。
 縷紅は旦毘の横まで来ると、彼に告げた。
「始末は私が付けます。貴方は矢を抜き、止血を」
 右手の槍を放さず、左手首に刺さった矢を放置している。
 まだ戦えるという意志は伝わるが、現実もう無理だ。
「んなモンいつでも出来るだろう。今はこのオッサンをぶっ飛ばさなきゃ気が済まねぇ」
 痛みを押し殺しているが、脂汗がたらたらと流れている。
 縷紅は兄を諌めた。
「それこそいつでも出来ます。寧ろ、今貴方に“ぶっ飛ばす”は無理ですよ」
 それでも躊躇う旦毘に、楜梛からも声がかかった。
「早く抜かないと命の保証はしかねるぞ。弱いが毒が塗ってあるからな。大丈夫、抜き易いよう出来た鏃だ、そこまで痛くはない」
 旦毘は舌打ちした。
「既に猛烈に痛ぇんだよ馬鹿野郎!」
 からん、と槍が落ちる。
 縷紅は楜梛に向き直り、更に歩を進め近寄った。
「一つ、教えて頂けませんか」
「何を」
「貴方の、真意を」
 楜梛は嘲笑った。
「戯れだよ。いつもの様にな」
 縷紅は目を細めた。
 紅い双眸は、怒りを燃やして。
「納得頂けない様だな」
 縷紅は刀を構えた。
「喋る気が無いのなら、口を割らせるのみ」
 楜梛も弓を構え、鼻で笑った。
「紅の鬼将軍は健在だな」
「そんな事――早く、忘れさせて下さいよ」
 先に仕掛けた縷紅。
 飛んできた矢を弾き返し、楜梛に斬り掛かる。
 最初の一撃は上に跳躍され躱されたが、それは想定の範囲内で、そのまま身体を回し背後に回った楜梛へ刃を薙ぎ払った。
 楜梛は空中で刀を抜き受け止める。
 その反動を利用して後ろに飛び、間合いを取る。
 縷紅は踏み出し、跳躍を読んで相手の頭上目掛けて刀を薙いだ。
 が、逆に身を沈めた楜梛は縷紅の懐へ迫る。
 弓をしならせ、隙の出来た左脇を強かに打った。
「――っ!!」
 縷紅の動きが止まる。
 治り切らない赤斗によって付けられた傷の、調度その箇所を鞭で打たれたようなものだ。
 激痛に、怯んだ。
「治療したのは俺だからな。お前の弱点は全て頭に入っているという訳さ」
 縷紅は傷痕を手で押さえながら、楜梛を睨み上げた。
「そこの傷は一番深かったからな、まだ半分も塞がってないだろう」
 言いながら、また弓を振り上げる。
 今度は、右肩に。
「骨も折れかけていた箇所だ。刀を持つのも辛い筈だ」
 うずくまる縷紅。
 更に振り下ろされる弓。
 空を切り裂く音は、しかし直前で止められた。
 縷紅の手が、弓を握っていた。
「それが何だと言うのです…!?」
 楜梛は反射的に弓を引く、が、びくともしない。
「皆の受けた痛みに比べれば、このくらい…」
 次の瞬間、縷紅は刀を一閃させて弓を断ち切った。
「終わりだ」
 背後からの声は、緇宗。
 同時に振り下ろされた大剣を間一髪で躱し、薄く笑いながら対峙した。
「やっとお出ましになったか」
 言われて、ふんと鼻で笑った。
「お前を歓迎する用意をしていたからな」
 楜梛が周囲を窺い見ると、ほぼ取り囲まれる形で弓兵が配置されている。
 号令一つで矢の雨が降るだろう。
「手厚い歓迎、嬉しいね」
「だろう?ついでに手厚く葬ってやる」
 言いながら回り込み、縷紅の隣へ立った。
「怒りで我を失うな。お前の妹は死んじゃいない」
「…え?」
 手を貸して縷紅を立たせると、その背中を軽く叩いた。
「東軍の連中が看ている。どの道ここは危険だ。行け」
 見開いた目で緇宗を見る。
「貴方は、まさか…」
 弓兵達は抜かり無く楜梛の居るこの場所を狙っている。
 これだけの数が居れば、確かに楜梛と言えど取り逃がす事は無いだろう。
 緇宗は彼を逃さぬよう引き付ける心積もりらしい。
 それが何を意味するか――縷紅は一瞬で全てを察してしまった。
 止められはしない事も。
「俺の喧嘩に手を出すな。さっさと行け」
 しかし動き兼ねている縷紅に、緇宗は顎で彼の義兄を示した。
「手が使えないだろう。お前が連れて行かねば、死なせる事になるやも知れん」
「……」
 縷紅は唇を噛み、握っていた刀を鞘に戻した。
 視線を上げ、師に告げた。
「貴方はまだ必要な人です。無謀は、なさいませぬ様」
 ところが緇宗は鼻で笑って切り返した。
「権力に使われるのは、もう懲り懲りでな」
 縷紅はそれ以上返す言葉を失い、じっと緇宗を見詰めて。
 踵を返した。
 旦毘の元へ走る。彼は思うようにいかぬ止血に苦労していた。
「俺の世話なんかしていて良いのか?」
 心情を察して尋ねた問いに、縷紅は無言のまま頷き、手綱を取った。
 旦毘の乗る馬を引き、黒鷹の元まで戻る。
 董凱が娘を抱き、朋蔓がその容態を看ている。
「本当に…生きているのですか?」
 近寄りながら訊くと、意外にも董凱が顔を上げてにやりと笑った。
「一本取られたぜ、縷紅」
「は…?」
 笑っている場合では無いだろうに、息があるにせよ重傷には間違いないのだ。
 だが、実父の表情に深刻さは無い。
 怪訝に思いながら旦毘と共に近付く。
 そして、気付いた。
 黒鷹の身からは、一滴も血が流れていない。
「まさか…刺さってなかった…!?」
「どうやら騙されたな。見せかけだけだったって事だ」
 言いながら董凱は黒鷹の脇あたりを示す。
 鎧が裂けていた。
「このギリギリを貫いたんだ。そりゃ、お互い刺されたと思うし刺したと思うだろうさ」
 納得しかけて。
 否、と思った。
「朋蔓、黒鷹は意識を失って…?」
「いや、どうやら眠っているだけの様だ。かすり傷があるあらな、刀に塗られた薬の所為やも知れん」
 朋蔓の答えに縷紅は腕を組んだ。
「殺す相手に薬を…そんな事、あるでしょうか…」
「縷紅!マズイぞ!!」
 旦毘の叫び声ではっと視線を上げた。
 緇宗と楜梛が死闘を繰り広げている。
 が、どうやら緇宗は不意を突かれ、背後を取られた様だ。
「――!!」
 思わず縷紅は走り寄ろうとした。
 だが、間に合う筈が無かった。
 楜梛の振るう刃は、確実に緇宗に届く。
 そして同時に、無数の弓が引かれた。
「待っ…!!」
 二人の居る、その場所に。
 無情の鋼が、降り注ぐ。
 縷紅は走った。
 悪い夢である事を願いながら。
 しかし、その悪夢の中に、容易く踏み込めてしまった。
 師と仰ぎ慕ってきた二人は、身体中に矢を突き立てて倒れていた。
 楜梛に斬られ、更に矢を喰らった緇宗は、既に虫の息だった。
「何故です!?何故この様な…!?」
 身を抱き起こしながら問うと、血の絡む口元で、いつもの余裕を窺わせる笑みを浮かべた。
「ここを逃せば…死に場所が無くなるだろう…?」
「死に場所など…!言ったでしょう、貴方はまだ必要だと!」
「俺も言った筈だ…隠居するとな」
「こんな隠居…有りますか…」
「月が去らねば陽は昇れまい。縷紅、お前の世、空からとくと見させて貰うぞ…」
 闇を纏う月は、空の彼方に沈んだ。
 世に光を呼ぶ為に。
「…ええ…見ていて下さい…」
 呟いて、そっと亡骸を置き、立ち上がった。
 動揺の広がる弓兵らと目が合う。
 彼らを責める事は出来まい。これは恐らく緇宗の命令だったのだから。
 己が斬られる瞬間を合図に、一斉に弓引けと。
 兵らは反対しただろう。その問答に手間がかかり、配備が遅れたのだ。
 緇宗の命懸けの策、また最期の望みを、責める気にはなれなかった。
 楜梛に目を移す。
 背や腕など、至る所に矢は刺さっている。
 だが、緇宗に比べればまだ意識ははっきりしていた。
「…逝った、か」
 縷紅は頷いた。
 楜梛は寂しく笑った。
「馬鹿げてるよなぁ」
 唇を噛み、返答はしなかった。
 確かに愚かだ。こんな最期など。
 だが、その理由は、何となく解った。
 緇宗は、楜梛を殺すくらいなら自分もと考えたのだろう。
 偽りない友情をもって、闇から新たな世に光を届ける為に。
「縷紅、俺に留めを刺してくれねぇか」
「えっ…!?」
「まさか俺を生かす気で居るんじゃねぇだろ?」
 そこまで考えてはいなかった。無論、殺す気など無い。
「馬鹿な事言わないで下さい…!貴方は治療すれば助かるかも知れません!今すぐ運ばせます!!」
「王を二人も斬って生かす事は無いだろ?」
 走りだそうとしていた縷紅は、はっと留まる。
「…その為に…黒鷹を…?」
「流石のお前もキレて何も考えず俺を斬ってくれると思ったんだがなぁ。優し過ぎるよ、お前は」
「一寸前までは、確かにそのつもりでした」
「バレちまったか」
「はい。貴方が自分一人を犠牲にするつもりだという事」
 縷紅は振り向いた。
「しかし…緇宗を斬ったのは事実。いえ、緇宗が貴方を誅しようとしたのは事実です」
「それを無駄には出来ねぇ…だろ」
 楜梛に近寄り、跪いた。
「何故ですか…」
 何度目かの問い。
 その答えを聞かねば、斬る事など出来ない。
「お前達を疑った。それが全てだ」
「……」
「緇宗を…仇である王の、二の舞にしたくは無かった…」
「正しい道を歩ませるのが貴方の務め…でしたね…」
 いつか、楜梛自身が言っていた事だ。
 それを自らに言い聞かせ、実行しているうちに、後戻りは出来なくなった。
「盟友のつもりが…殺す事ばかり考えていた…。間違いに気付いた時には、俺が殺されるしか無くなっていたのさ。はは…馬鹿だろう?…だが俺の首は役に立つぜ?この戦の幕引きに、民の前に曝せばな…殆どの民は納得する筈だ」
「……」
「斬ってくれ、縷紅。同志を疑った者の、当然の結末として。最期くらい、奴と共に逝きたい」
 無言のまま、縷紅は刀を抜いた。
 じっと、その刃を見る。
 そして緇宗を。
「…彼も、貴方と道を共にする事を、望んでいるからこそ…私は斬ります」
 そうでなければ。
 この刃は、振るえない。
「私が人を斬るのは…貴方で最後です」
「光栄だ」
 楜梛は微笑んで言った。
 縷紅は刀を握り直し、過たずその心臓に突き刺した。
 満足げに笑ったまま、楜梛は逝った。





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