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RAPTORS
17

 四年ほど前。
 縷紅は道場で素振りをしていた。
 既に午後の訓練を終え、他に人影は無い。
 開け放した戸や窓から赤い西日が差し、彼の影を長く伸ばしていた。
 ふと、西日に影が挿した。
 戸口に人が立っている。
 縷紅は気にもかけず素振りを続けた。
 別に見られて困る事は無いし、変わり者扱いには慣れている。
 だが、そんな嘲笑の視線とは、違った。
 嘲笑どころか、刺さるような視線を感じて、縷紅は初めてその人物が気になった。
 ちらりと横目をくれた時。
 白刃を目の端で捉え、その時にはもう体が動いていた。
 みしっと木刀が音を発てて歪む。
 まともに当てれば恐らく木刀は斬られていただろう。縷紅は反射的に得物を相手の剣の腹に当てていた。
「ほぉ」
 見下した声音。
「見た目の割に、やるな」
 縷紅は傷んだ木刀を構え直した。
「真剣による私闘は規律違反です」
 西日で作られた影で、最初は見えなかったが。
 縷紅は気付いた。その、色に。
「規律ねぇ…」
 相手は鼻で笑っている。
「俺が殺ったと分からなければ良いだろう?尤も、貴様らの規律など知った事ではないがな」
 動揺を内に秘める事に、縷紅は必死だった。
 自分以外に、初めて見た、赤。
 縷紅が応えぬと見た赤斗は、剣を突き出していた。
 咄嗟に木刀で受けると、剣が木を貫き、刃の先を見せて止まった。
 見開いた目で赤斗を見る。
 彼は、笑っていた。低く、馬鹿にする様に。
「…今日はこのくらいにしておいてやろう」
 剣を引き抜くと、赤斗は背を向けた。
 縷紅は厳しい声音でその背に問うた。
「随分な挨拶ですが…貴方は一体」
 歩みを止め、赤斗は答えた。
「貴様を退治する者だ。赤い悪魔め」
 縷紅は視線を鋭くして眉を潜めた。
 赤斗は鼻で笑い、西日の朱に吸い込まれていった。


 縷紅らの部隊は兵を進め、敵の中核を目指した。
 立ちはだかる敵部隊の戦意は高くない。軽く蹴散らせば個々ばらばらになり消滅する。
「はっ、楽な戦だ」
 旦毘が吐き捨てる様に言った。
 弱過ぎる敵を侮蔑しているのだろう。
 だが縷紅は彼ほど楽観出来ない。
 妙な緊張が、常に付き纏う。
 この兵達の後ろに、赤斗が居る――
 その事実を喉元に突き付けられている。
「どうしたんだよ、怖い顔して。…ああ、赤斗か」
 答えぬうちから旦毘は察してくれた。
「大丈夫だって。俺が何とかする」
「その足でですか?」
「馬から降りなきゃ良いだろ」
「叩き落とされたら一巻の終わりですよ」
 旦毘はいやな顔をする。
「お前なぁ、心配してんのか?関わるなと言いてぇのか?」
「そういう事ではありません」
 ぴしゃりと険悪な空気を断ち切る。
「私は彼には負けません、絶対に。今はもう、背負うものが違うから。…ただ、迷うのは、彼の処遇です」
「…殺したくねぇのか」
 縷紅は視線を木々の茂みへ移した。
 闇の中から、抜かり無い目がこちらを向いている。
「殺さなければ、お前が危ないぞ」
 旦毘の当然の理論に応える暇は無かった。
 部隊の側面から無数の矢が撃たれたのだ。
 鏃を弾く者、怒声、馬上から倒れる者。
 縷紅自身も飛んできた矢を刀で薙ぎ払う。
 そのまま戦闘へなだれ込んだ。
 今回は今までの敵と違った。
 戦意、つまり殺意が感じられる。
 それが普通と言えばそうなのだが、縷紅は厭な気分だった。
 これ以上殺し合ってはいけない、と。
 頭では解っている。無益だと。
 しかし相手が白刃を振り下ろす前に、こちらから斬らねばならない。
 縷紅は甘い考えを振り切った。
 今は非情に徹しなければ、この刀が許してくれないだろう。
 姶良の形見。
 今の縷紅でも持てる軽さの刀は、これしか無かった。忍の持つ刀。
 陣を出る際に、緇宗から渡された。これなら持てるだろう、と。
 ただ軽い物を選んで渡したのか、姶良の得物だという事を意識して渡したのか、緇宗の本意は分からない。
 縷紅は正直、気が重かった。
 最期に刃を引いて、自身に斬られた彼女の刀で、また人を斬るなどと。
 それでも選択の余地は無かった。
 戦場に出る以上は、“斬る・斬られる”を覚悟しなければならない。当たり前だ。
 血に塗れ、鈍く赤い光を放つ刀身。
 ――負ける訳にはいかない。
 誓ったものがある。
 姶良に、緑葉に。
 黒鷹、隼、鶸――自分を信じてくれる、全ての人に。
 新たな世界を作る、と。
 だから、今は。
 この刀を、振るうしかない。
「縷紅!コイツら、強ぇぞ!」
 旦毘の言葉に頷く。
 それは則ち、核心に迫った――敵の本営は近いと言う事だ。
 旦毘の槍が隣で一閃し、三人の敵兵を弾いた。
 既に混戦となっている。その向こうに。
 明かりが見えた。
 本営だ。
「旦毘――ついて来て下さい!」
「お?おう!」
 同じ明かりを目にした旦毘が返答し、二人は馬腹を蹴った。
 立ち塞がる敵兵を斬り伏せながら、二騎は本営に向けて突っ込む。
 目指す先で、剣を持ち立ち上がった人物がいる。
 頭巾の下に、赤が見えた。
 縷紅は刀を握り直す。
――皆の為に。
 金属音が響き渡った。
 馬上から斬り付けた刀は、弾かれた。
 かなりの力が腕に返る。が、縷紅は何とか堪えて刀を離さなかった。
 馬首を返し、改めて対峙する。
 目元のみを露にする頭巾。僅かに見える皮膚が、火傷で爛れている。
 が、赤い双眸は、相変わらず爛々と輝いている。
 殺意の光。
「…また会いましたね、赤斗」
 縷紅は静かに口を開いた。
「てっきりもう再会は無いと思い込んでいましたが…」
 双眸が細められた。
「裏切り続けたお前でも、裏切られたのは初めてだろう?」
 楜梛の事を言っている。
 やはり彼の言葉は事実なのだ。
「おい、観念しろ」
 赤斗を縷紅と挟む形で、旦毘が現れた。
「この辺の野郎共は皆片付けたぜ。残りはお前だけだ」
 本営に居た将兵をあらかた戦闘不能にした旦毘が、赤斗に向け槍を構えた。
 赤々と燃える篝火が、三人を照らす。
 その向こうは、闇。
 夜明け前の昏さ。
 ぴたりと縷紅に据えられた燃える目は、己をこのまま闇に引きずり込むかの様な。
 だが。
 夜は終わる。そうでなければならない。
 また、正なる光を迎える為に。
「赤斗――覚悟」
 縷紅が刀を構えて動きだす。
 合わせて旦毘も馬を駆けさせた。
 迫る二つの刃を前に、赤斗は剣を構え、そして。
 縷紅の刀を薙ぎ払う。先刻、刃を交えて斬撃に力が無い事は見抜いていた。
「――!」
 刀が宙を舞った。
 丸腰になった縷紅に更に攻撃を加えようとしたが、旦毘の槍に遮られた。
 一度払っても、しつこく突きが繰り返される。
 さっさと縷紅へとどめを刺したい赤斗は、一度旦毘後ろへ大きく間合いを取り、馬を横に向かせる前に大きく跳躍して背中へ斬りかかった。
 刃を避けるには馬を動かしていては間に合わない。
 旦毘は身体を横に反らし、落馬した。
 腕に掠り傷を作っただけだが、そこからが問題だ。
「…てめぇ…」
 立ち上がれず、旦毘は座ったまま後退りした。
 唯一見える目をせせら笑わせながら、悠々と赤斗が近付く。
 座ったまま旦毘は槍を構えた。
 いくら動けないとは言え、攻撃範囲の広いこの得物は厄介だ。
 赤斗はたっぷりの間合いを取りながら、ゆるりと旦毘の背後に回り、次の瞬間、地面を蹴って一気に間合いを詰めた。
 旦毘は槍を背後に回しながら斬撃を弾く。
 間一髪で第一撃は免れた。
 だが間を置かず第二撃が飛んで来る。
 間合いを詰められると柄の長い得物は圧倒的に不利だ。増してや動けない状況で背後を取られている。
 赤斗は既に勝った気で居た。
 が、後ろに気配を感じた。
 馬を降り刀を拾った縷紅が、赤斗の背中に斬りかかっていた。
 縷紅の斬撃に剣を合わす。が、今回は撃ち込まれる力が違った。
 弾き返せず、刃が交わる。
 背中に大きな隙が出来た。
 旦毘の槍が、迫る。
「――っぐ…!!」
 赤斗が呻いた。
 が、自身が考えていた感触の痛みでは無かった。
 槍は彼を貫かず、背中を強く叩いただけだった。
 旦毘は柄の方で赤斗を突いたのだ。
 それでも強い衝撃と痛みで赤斗は立ち続ける事が出来ず、縷紅の前に膝を付いた。
 刀が、首筋に付けられる。
 いつかと同じように。
「…相変わらず…甘い事だ…」
 赤斗は嘲笑した。
「しかし今回は誰も助けてはくれませんよ」
 縷紅が言った。
 駆け付ける者があったが、それは縷紅の配下の兵達だ。
 彼らに赤斗は縄を打たれた。
 捕縛された彼を見て、縷紅はやっと安堵を表情に混じらせた。
 鋭い目が、それを見咎める。
「そんなに俺が憎かったか?それとも怖かったか」
 自分が身動き出来なくなった故の安堵と思ったのだろう。
 縷紅は首を振った。
「確かに怖くはありましたが、それは…貴方を殺してしまう事への恐怖です」
「何…?」
 低く呟いた後、歪んだ笑いが口をついた。
「は…剣も満足に持てない奴に、そこまで舐められていたとはな!口惜しい…八つ裂きにしてやるべきだった…」
「てめぇ、いい加減に…!!」
 いきり立つ旦毘を抑え、縷紅は言った。
「確かに私は貴方に八つ裂きにされても文句は言えない…それだけの事はしました。ですが、赤斗。死を持って死に償っていては、何も変わりません。私が貴方に殺されても、今度はこの旦毘が貴方を斬るでしょう。故に私は貴方を生かします。無用の死を作りたくは無い」
 赤斗の口が開く前に、縷紅は続けた。
「何を言っても貴方に嘲笑されるのは解っています。私が正義の真似事をしたって、私の罪は消えない。ですが、私はそんな事が言いたいのではありません」
 縷紅は跪いて、赤斗に視線を合わせた。
「この闘いの敗因、貴方は何だと思いますか?」
 赤斗は正面にある縷紅の視線から逃げるように、横を向いている。
「卑怯にも貴様らが二人で来たからだろう」
「しかし我々は貴方も知っての通り、十分に闘える身ではありませんでした。それでも二対一で不公平でしょうか?」
 赤斗は黙り込み、吐き捨てる様に言った。
「屁理屈を」
 縷紅は笑み、答えを告げた。
「確かに我々は二人だったから勝てました。しかしそれは戦力の差ではありません」
「じゃあ何だ」
「絆です」
 縷紅は即答した。
 赤斗は忌ま忌ましげな表情を変えないが、ちらりと縷紅を見た。
「私と旦毘は、流れる血は違えども、兄弟なんですよ。だから絶対に失いたくはない。互いを守る為に闘ったんです。だから強くなれる。赤斗、貴方にそんな存在は有りますか?今、縛に付いているのは、貴方一人ですよ?」
「何だよ…ガキの説教みたいに。くだらねぇ」
「くだらなくとも、それが真実です。赤斗、貴方が故郷を燃やした私にこだわり続ける理由、考えた事はありませんでしたか?」
「……」
「人は人を求めるものです。それを奪った私は憎まれて当然だ…。命を助ける代わりに許してくれとは言いません。ですが、如何でしょう赤斗、我々と共に歩む事は出来ませんか?憎しみながらでも、共に生きる道を探す事は」
 いつしか赤斗はじっと縷紅を見ていた。
 そんな自分に気付き、視線を引き剥がして溜息をついた。
「いつからそんなお喋りな奴になった…」
 軍に居た頃は冷酷無比な一面しか見ていなかったし、見せていなかった。
 だけどそれは、己自身をも欺く演技で。
「今、私が独りではない事の証ですよ」
 あの頃とは、違う。
 自分が自分で居る事を、認め、喜んでくれる人達が居る。
「行きましょう、赤斗。私を憎むその目も、新たな世を治める私に必要です」
 全てを認め、全てを生かす。
 その為に、必要な目だ。
 その赤い双眸が、もう一つの紅い双眸を、見つめていた。
「…いいだろう」
 低く、呟いていた。
「獄中であろうと、お前の非を喚き続けてやる。世界中の人間が、お前を見捨てるまでな」
 憎々しい言葉にも、縷紅は満足げに笑んだ。
「ありがとうございます」
 なんだかとぼけた感のある謝辞だが、これが誠意だ。
 立ち上がり、旦毘に目をやった。
「さて…もう一方気になる人が居るんですが…彼は今どこで何をしている事やら…」
「あのオッサンか」
 つまり楜梛の事だ。
 縷紅は赤斗へ視線を戻す。
「貴方はご存知ですか?楜梛の居場所」
「さぁな」
 考える素振りも無く応えられた。
 素っ気ないが、楜梛がそういう人物だから仕方ない。
「とにかく本隊へ合流しましょうか。恐らく緇宗の元に現れるでしょう」
 そうなった時、果たして双方無事で済むだろうか。
 先に不安の芽を潰しておきたかったが、赤斗も知らないのであれば探りようが無い。
 『次に会った時、どちらかが――』
 思わず姶良の刀に視線を落とす。
 変えられぬ運命の歯車が回り始めた――
 不吉の音が遠く聞こえる様な。
 そんな気がした。




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