RAPTORS 14 軍議を終え、緇宗と縷紅、そして光欄は揃って煙幕を出た。 指示を受け、緇宗の代わりに軍を支える将達は、既にそれぞれの持ち場に散っている。 「天の軍は流石、層が厚いのだな」 光欄が感心しているが、縷紅は苦笑して言った。 「率いる方がこれだけマイペースなので、皆に免疫が出来たと言うんですかねぇ。少し放っておかれるくらい何とも無くなりましたよ」 私もこの人の下で働いていた頃は苦労させられました、そう苦笑が語っている。 「何だよお前、俺が諸悪の根源みたいに。大体なぁ、ガキじゃねぇんだ、俺が放っておこうが忘れようが自分で正しく動け」 「ほら、こういう無茶を言うから我々が何とかしなければならないんです。それぞれが自分の考えで動くのを統率する為に居て貰わなきゃならない方なんですがねぇ」 「は…はぁ…まぁそうだが…」 目の前でけなされて怒る緇宗を、にこにこして解説する縷紅に、光欄はどう反応したものか困っている。 こんな時の縷紅の肝の図太さだけは判るという奇妙な図だ。 「それより縷紅、お前…」 緇宗が言いかけた時、兵が一人こちらに駆け寄り、跪いた。 「陛下、縷紅様、只今帰陣致しました」 「…呈乾!」 縷紅が気付き、近付いて自らも膝を折る。 「黒鷹は無事に…?」 は、と答える呈乾。 その続きを上からの声が攫った。 「無事にパパと再会出来たぜ。お蔭様でな」 縷紅はその意外な声に驚吃して、声の主を見上げた。 「これは…」 その顔が更に驚きを露わにしている。 「馬が旦毘の声で喋っている…」 「なんでそーなるんだよっ!!」 確かに跪いた縷紅の姿勢だと、馬の頭しか見えないのはそうなのだが。 ここまで来ると天然でボケているのか怪しい。 「立て縷紅!この偉大な兄上の顔を忘れたとは言わせねぇ!!」 言われた通りに立ち上がって、縷紅はおやという顔をした。 「旦毘も随分小さくなりましたね」 縷紅は名など知る由も無いが、それは慂兎だ。 「おま…んな訳ねぇだろ」 そろそろ絶句の余り旦毘の顎が外れそうなので、縷紅は漸く義兄の顔を見てにこりと笑った。 「流石は我が尊兄です」 「一体何が流石なんだよ!?」 今の流れだと縷紅のボケに付き合える事が? 兄弟の絆は計り知れない。 「旦毘殿、足の傷の具合は良いのか?」 光欄の問いに、縷紅は添え木のされた足に目を留める。 心配を余所に、旦毘は笑った。 「良いとは言えねえから、こんな所に追いやられたんだよな。ほら、この坊ちゃんの護衛でさ」 指された慂兎は縷紅達に慌てて頭を下げる。 「この子は?」 縷紅は愛想良く礼を返して、旦毘に問う。 「悪ガキ三人組のお友達だよ。アイツら助けたいが為にこっそり従軍する様な、良い度胸した坊ちゃんだ」 そして慂兎に向けて言った。 「お前は隼の所へ行け。一緒に大人しくしておけよ」 はい、と素直な返事をして慂兎は馬を降りた。 光欄が進み出て、優しく迎える。 「案内する。共に行こう」 彼女は振り返り縷紅に告げた。 「根の兵は気掛かりだが、今は貴殿と天の将兵に甘えて、母として在ろうと思う。済まぬが、動きが有れば知らせてくれ」 「分かりました」 縷紅は呈乾に、根の軍に付き、天との仲介を頼んだ。これで互いの情報が恙無く行き来する。 慂兎と光欄、そして呈乾が去ると、旦毘は縷紅に言った。 「黒鷹は砲を止めに行った。勿論、地の軍を連れてな」 「砲を…!」 縷紅は振り返り緇宗に目配せした。 「…成功するか?」 緇宗の問いに縷紅は強く頷く。 「必ず」 緇宗は側近を呼び、先刻解散したばかりの将へ向けた指示を出した。 「砲が止まるまで兵を進めるな、そう伝えろ」 縷紅は再び旦毘を見上げる。 「私達はこれより楜梛を探します。訊きたい事は色々ありますが、時間も無いので同道願います」 有無を言わさぬ口ぶりだ。 旦毘は最初から縷紅と“暴れる”つもりだったので問題無い。 「調度良い。この足の礼がまだだったからな」 二頭の馬が引かれ、それぞれ騎乗した。 緇宗は親衛隊の護衛を断り、身一つで出発した。 「相変わらずですね」 縷紅が呆れて笑う。 護衛も小姓も使用人も不要の要人。昔から全く変わらない。 「大勢で行って、楜梛が出るに出られなくなったら意味が無いだろう」 「全く、とんだ恥ずかしがり屋さんですね」 くれぐれも、そういう意味ではない。 「しかし、お前にヤツの居場所が判るのか」 緇宗に問われ、縷紅は肩を竦めた。 「あの人の考える事なんて、私には見当も付きません」 「おい…」 これではとんでもない時間の浪費と無駄足を踏みかねない。 「ただ、そこら中に神経が張り巡らせてあるような人ですからね。相応しい場所に至れば必ず現れますよ」 楜梛の持つ地獄耳に賭ける気らしい。 「呼ばれて出て来ねえヤツじゃねえか」 尤も、呼ばれもしないのに出て来る方が多いのだが。 一行は陣を出、人けの無い林を目指した。 砲の射程圏内に入る恐れはあるが、誰も怯まない。 「それで、旦毘。貴方は赤斗について、何か知っていますね?」 縷紅が訊かねばならぬ事を問えば、意外に眉根を潜められた。 「セキトって?」 とことん名前覚えの悪い旦毘。 「楜梛から何か聞かされていたのではありませんか?貴方が彼の生死を気にしてひっくり返ったと聞きましたが」 「…ひっくり返ってねぇ。躓いただけだ」 正確には椅子から立とうとしてコケたのだ。ひっくり返ったと言う方が正しい。 「判った、あの亡霊野郎の事だな。俺もお前に教えようと思っていた」 「亡霊とは…また随分ですね」 「俺の前に化けて出やがった」 縷紅は緇宗と視線を合わせる。 二人の想定は同じ方向に傾いた。 「それはいつの事ですか?」 険しさを増した顔で縷紅は問いを続けた。 「お前らが行列作って祭りやってた時だよ。お前の顔見て帰ろうとしたら、市民を襲ってる野郎が居てな。止めに入ったら、逃げるように消えた」 「それが赤斗だと…?」 「覆面被ってて髪は見てねぇが、目は赤かった。それは確かだ」 縷紅は考える素振りを見せる。 「あの屋敷で、赤斗が旦毘の顔を見ている可能性は高いですからね…逃げるのは頷けますが」 だが、ただの賊でもいきなり強者が出て来れば逃げるだろう。 「どう思います?」 緇宗に問えば、鼻で笑うような返事が返ってきた。 「シロだな。何ら証拠が無い」 「…まあ、確かに」 それでも縷紅は五分だと思っている。 この戦の状況を作り出すのは、赤斗が居なければ難しい。 そう思うと、炎が、別の意味を持って見えてきた。 ――これは。 私を焼く為に…!?―― 『焼き尽くしてやる』 声が聞こえた。 幻聴だと解っていても、構えて振り向かずには居られなかった。 「縷紅?」 旦毘が驚いている。 「…何でもありません」 縷紅は吐き出す息と共に言った。 「ま、赤斗の奴がお前に取り憑く可能性は有るな」 緇宗が揶瑜するが、全く笑えない。 「実際もう取り憑かれてるだろ」 三人は馬の足を止めた。 今の声は三人のうち誰のものでもない。 「死んでいようが、生きていようが、お前は奴を怖がっている。寝れねぇのもそれが原因だろ?殺されかけたあの日からずっと魘れてる」 縷紅は冷笑を真っ暗な梢の中へ向けた。 「嫌な人ですね。どこまで見てるんですか」 からからと笑う声。 不気味に木々へ反響する。 「心配してやってんだよ」 旦毘が我慢ならない様子で声をあげる。 「このストーカー野郎がっ!!ウチの姫の寝所に潜り込むとは良い度胸してんじゃねぇか!俺が天に代わっておしおき…」 「旦毘さーん、それはこっちの台詞です」 縷紅の笑顔が『後でこらしめますよ』と言っている。 「やれやれ、緊張感の無い奴らだ…」 緇宗に言われちゃおしまいだ。 寧ろこの人の悪癖が広まっているのかも知れない。 「降りてきたらどうだ、楜梛。そんな所じゃ座談会も難しいだろ」 「そうしたいのは山々だが、まだ死にたくないんでね」 「誰も襲ったりなんかしませんよ」 「どうかな?お前の兄貴は手が早いからな」 「ちょ、どういう意味だよソレっ!!」 また笑い声が響く。場所を特定出来ない。 「しかし楜梛、姿を現さなければ我々の疑惑は晴れませんよ。貴方の長年の相棒はともかく、私は既に貴方が敵と通じていると断定しかけています」 縷紅の言葉に、ほぉと感心した様な声が返ってきた。 「緇宗、お前さん、俺を疑わないのか」 「どうだかな。貴様がこのまま怪しい行動を取るのなら、疑ってやっても良い」 楜梛は笑った。笑ったが、その笑い方は今までと違った。 どこか、自嘲が混じるような笑い方だった。 「そうかそうか。お前が俺の事、そう思ってくれていたとはね」 「どういう事だ」 「赤斗は生きているよ」 唐突に楜梛は告げた。 縷紅と旦毘ははっとする。 が、緇宗の表情は変わらなかった。 「あのまま焼き殺すのが惜しかったからな。俺が介抱して逃がした。縷紅、お前の隣でな」 「…そんな…!」 煙に巻かれ、薄れた記憶を呼び戻す。 あの時赤斗は、自らの炎に焼かれるつもりで居たのでは無かったか。 何が、彼を生かしたのか。 「奴はお前が生きている事が、どうしても許せねぇ様だな。傷を癒してまた挑むと言っていた。意識失ってるお前を殺させねぇ様に苦労したぜ、ったく」 「…そうでしたか」 「だがオッサン、まさかアンタも善意で人助けしたんじゃねぇだろ?煙に巻きっぱなしだが、そろそろ真意を教えろよ」 「そうだなぁ…」 楜梛の声はどこか楽しそうになった。 「緇宗、お前さんなら理解してくれると信じているよ。何せ唯一の仲間…だからな」 「…楜梛」 さぁっと、梢が葉を鳴らした。 次の瞬間、閃光が闇を裂き―― 「逃げるぞ!!」 爆音と爆風が同時に襲い掛かる。 耳朶を通して脳を揺さぶられているかのような衝撃だ。 嵐の中で火を纏った葉が舞い、容赦無く身体に当たる。 混乱の中、三人は確かに聞いた。 ――麓で待っている、と。 楜梛の声が爆音の中で響き渡っていた。 「無事か?」 爆風から逃れ、落ち着いた所で緇宗が訊いた。 「多少のヤケドを無事と言うならな」 旦毘が軽く応える。 「旦毘の場合、おイタに対するお灸ですね」 「縷紅おま…」 苦笑いの口元は不意に止まった。 縷紅は軽口を叩いている割に、心ここに有らずだ。 今逃げてきた方を見ているが、本当に目に映っているかどうか。 「…何だかんだ言って、本当は味方で居て欲しかった?」 旦毘が問うと、縷紅はやっと心を戻した。 「それは、私よりも…」 言いながら、緇宗へ視線を向ける。 「どう、思われました?」 彼は破顔して答えた。 「奴は俺に斬られたがっているらしいな」 「な…何だよそれ…!?」 余りに残酷な物言いに、旦毘は息を詰める。 「アンタらダチじゃねぇのかよ…?裏切ったから斬ってやろうなんて…そんな簡単に…」 「言っておくが、俺はお前達とは違う」 確かに、地や東軍で通じる様な甘さは緇宗には無いだろう。 しかし人としてどうかと旦毘は問いたいのだ。 それが伝わったのか、緇宗は言った。 「ただ、勘違いするな。言葉通りだ。俺が斬りたい訳じゃねぇ、奴の望みだ」 また旦毘は度肝を抜かれて、しかし反論しようと口を開きかけた。 が、縷紅に止められた。 「ならば…それに応じましょう」 「縷紅お前!」 「楜梛は麓で待つと言いました。麓とはつまり敵陣です。…敵は、斬るべきでしょう」 「……」 旧知の二人が覚悟を決めているのだ。 数週間世話になっただけの旦毘がとやかく言う事は無い。 それは解っているのだが、何か釈然としない。 「縷紅、お前また斬りたくもねえ奴を斬るのか?やせ我慢も程々にしろ」 縷紅が応える前に、緇宗が割って入った。 「斬るのは俺だ。コイツは関係無い。大体、もう人は斬れねぇだろ」 旦毘は、そうかも知れねえけど、と口ごもる。 しかし縷紅は言った。 「私は赤斗と決着を付けねばなりません。剣が持てぬなんて言い訳を聞いてくれる相手ではない…」 また、視線と共に心がどこか遠くに行ってしまう。 漸く旦毘は気付いた。縷紅が気にかけているのは、赤斗の方だ。 ただ単に殺される不安では無いだろう。 「手が動いても…斬りたい相手じゃねぇか」 旦毘の問いに、縷紅は寂しく笑った。 「自業自得ですからね。背負うしかありません」 斬るしかない。 縷紅も解っている。 そうでなければ、斬られるしか。 「…お前が背負うモノは、俺も背負うモノだ」 旦毘は言った。 「お前が無理なら、俺が斬ろう」 それでも縷紅は複雑な表情を浮かべていた。 己が居なければ、こんな事にはならなかった赤斗への罪悪感だ。 「とにかく一度戻るぞ」 緇宗が言って、三人は馬を進めだした。 砲撃の音が、徐々に減り始めていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |