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RAPTORS


 開け放たれた扉から、高く昇った太陽が暖かな日差しをさんさんと降らしている。
 天幕の中では、既に昼食の時間帯になっている朝食を終えていた。
 と言っても食べたのは黒鷹と鶸だけで、縷紅は食事が運ばれるのを見届けてから天幕を出て行った。
 隼が条約がどうなっているか問うた為だろう。
 その隼は食欲が無いと言って食事の誘いを断り、浅い眠りに落ちたり、何かに急き立てられるように覚めたりを繰り返している。
「殆ど寝てないんだからさ、少しは落ち着いて寝たら?」
 枕元まで来た黒鷹に言われ、馬鹿言えと小さく返した。
「明日には永久に眠らされちまうんだ。それまでは寝てられるか…」
 そうかも知れないけど、と口を尖らせる。
 そして、切実な目をして黒鷹は言った。
「お前もさ…そこまで俺について来る必要は無いよ」
「何言ってんだ」
 即答。溜息も付けて。
「別にお前に従ってる訳じゃない。俺のやるべき事をやっているだけだ」
「俺と死ぬ事がやるべき事か?お前にはもっと他に…有るだろ、何か」
「無ぇよ。それにどうせ…もう、持たない」
「……」
 哀しみが見え隠れする瞳を避け、隼は仰向けになって瞼を閉じた。
「あっ」
 出口から外を眺めていた鶸が声を上げる。
 黒鷹も視線を向ければ、そこには緇宗の姿があった。
「おはよう諸君。今日も良い天気だな」
 わざとらしく似合わぬ台詞を口にしながら天幕に入って来る。
「ウチの厨房の味はお口に合ったかい?」
 散らかったままの卓上に目を止めて、愉快そうに問う。
「旨かったよ!」
 鶸が満面の笑みで即答。
 緇宗も笑顔でそうかそりゃ良かったと頷く。
「俺一人じゃ食えねぇから助かったよ」
「…え?」
 満面の笑みのまま首を傾げる鶸。
 黒鷹は苦笑して鶸に告げた。
「俺達は残飯処理係ってコト」
 満面の笑みが消え、唸った鶸は。
「…ま、旨かったから良いや」
 開き直った。
「で?条約結びに来たのか?」
 王として黒鷹が本題への口火を切る。
 だが、返答は期待しているような物では無かった。
「いや?忠告に来ただけだ。どうも縷紅はお前らに甘くていかんから、俺が直々にな」
「…なんだ」
 落胆を隠さない黒鷹と鶸。
「忠告って何」
 黒鷹が拗ねた様な、詰まらなそうな表情を全面に出して問う。
「自分達の立場をもう少し理解して欲しいと思ってな」
「解ってるよ。でも譲れねぇからああ書いてんだ」
 反論に、緇宗は鼻で笑った。
「いや、解ってないな」
 睨む黒鷹に薄い笑いを浮かべたまま、緇宗は言った。
「言っておくが、条約は結ばなくとも俺達は困らない。地を攻め続ければ良いだけの話だ。全面降伏するまでな」
「…民を人質に取ったつもりか」
「まあ、そういう事だ。地の民草が死に絶えても、俺達は構わない」
 思わず、黒鷹は飛び掛かった。
「――クロっ!!」
 鶸が慌てて止めに入るが、その前にいとも簡単に突き飛ばされてしまう。
「大丈夫か!?」
 心配する鶸を振り切って、すぐに立ち上がり、怒鳴った。
「そんな非道が許されると思ってんのかよ!?皆がお前達に何したって言うんだ!?地の民は天に都合の良い道具じゃない!!奴隷にされる為でも、殺される為に生まれた訳でもない!…俺達だって…人間なんだ…!」
 渾身の叫びは、緇宗から嘲笑を消した。
 じっと黒鷹を見詰め、不意に視線を逸らす。
「…そうならない様、頭使えっつってんだ」
 ぼそりと言って、踵を返そうとした。
「あんたが迷ってるからだろ」
 唐突に割って入った言葉。
 緇宗は足を止める。
「…何?」
 寝台の上を見下す。
「あんたが迷ってる限り、決まるモンも決まらねぇ。こっちは良い迷惑だ。期限も迫ってるってのに」
 思い掛けぬ挑発に、緇宗は引き攣った笑いを見せ、隼の枕元に手を突いた。
「決めるモン決められねぇのはお前達だろう。何が迷ってるだ…戯言も大概にしろ」
「じゃあ何で俺達に意見求めてんだよ?一方的に決めたって良い立場なのに。その癖、都合の悪い事は聞かない…どっちかにしろよ。ガキみてぇだな、大人の顔色窺いながら我儘垂れてる様な」
 緇宗は隼の胸倉に手を掛けた。
 それでも隼は気勢を緩めなかった。
「あんたは王の器じゃない」
 その一言についに逆上し、挙げた手を、黒鷹が掴んだ。
「隼殴ったら俺が許さねぇからな!!」
「そうだよ!!病人殴るなんて最低だ!!」
 鶸も一緒になって腕を掴む。
「放せっ…ガキ共が…!!」
 振り払おうとする緇宗。その力に二人はよろめいた。
「いいから殴らせてやれよ」
 醒めた声で隼は言った。
 驚きでつい手を放した二人。
 が、拳が隼に当たる事は無かった。
 冷静さを取り戻したのか、どこか憔悴した目で三人を見回す。
「俺はずっと側で見てきた。だから解るつもりだ。王という存在が、どんな人間であるべきか」
 淡々と、隼は言う。
「俺達の王は、自分の民だけじゃなく、敵国の民まで救いたいと願う器だ。お陰で苦労させられる事は多いけどな。だが、あんたよりよっぽど王として立派だよ」
「隼…」
「人の命を蔑ろにする奴に、国は治められない。あんたはそれも解ってる筈だ。解っていながら出来てねえだけだ」
 睨み合いが続いた。
 緇宗は言い返す事は無く、ただ牽制を視線に込めて隼を睨む。
 緊張は、咳で崩れた。
「…!大丈夫か!?」
 多量の血を吐く隼と、その背中を摩る黒鷹。
 それを緊張の切れたぼんやりした目で見やって、緇宗は改めて踵を返した。
 入れ違いにやって来た縷紅が、驚きの視線を送る。
「…どうかされましたか…!?」
 いや、と低く言って軽く手を挙げ、足早に去って行く。
 訝しげに首を傾げたままそれを見送った縷紅は、追及はせず天幕へと入った。
 中は中で騒ぎになっている。
 だが血を吐くだけ吐いて少しは落ち着いた隼が、ぐったりとしながらも口元を笑わせていた。
「…ったく、無理するもんじゃねえな。慣れねえ褒め言葉は使うなって事か」
「あぁん!?何だよソレ!!俺のせいかよ!?」
 黒鷹が摩る背中を軽く叩けば、隼は少し噎せた。
 それに狼狽えて、慌ててごめんごめんと謝る。
 しかし隼は笑いを堪えていた。それ故に噎せるのだが。
「あ、縷紅!」
 血を拭く為、水に曝した布を搾っていた鶸が、いち早く戸口に立つ人影に気付く。
「調度良かった!盥と布切れが欲しいんだ、貰ってくれねぇかな?」
 意外と甲斐甲斐しく働く彼に頷き、しかし縷紅はその場を動かなかった。
「…どうした?」
 表情も固い。
 異常事態を察して鶸が問う。
「銘丁が襲われました」
 黒鷹も手を止め、表情を強張らせた。
「…え?」
「部下の者が発見した時には既に犯人の姿は無く、幸い一命は取り留めましたが…かなりの重傷です」
「そんな…誰がそんな事を…!?」
「判りません。ただ…黒鷹、貴方の渡した書状が紛失していました」
「……!」
「しかしそれだけで犯人は特定出来ません。彼は天にも根にも、或いは地にも襲われ得る…。天の仕業である可能性は高いのですが、だとしたら申し訳ない事をしました」
「…いや…お前達に襲う動機は無いだろう」
 黒鷹は縷紅の言葉を否定して、腕を組んだ。
「しかし何かの間違いという事もあります。事実、彼はこの陣を出た後に襲われている」
「そうかも知れねぇけど…でも今は、判らない犯人探しは置いておかなきゃ。書状は父上に渡らないんだから」
 銘丁には悪いけど、と黒鷹は付け足した。
 冷静に言葉を発しながら、本心は巻き込んでしまった悔しさが渦巻いているのだ。
「夜までに皆を止めなければならない。何としても」
 これ以上、犠牲を増やさない為に。
「私が直接行って話を付けましょう」
「いや、お前は動かない方が良い。不審を招くだけだし、危険だ」
 縷紅の提案を即座に否定して、悪いなと呟く。
「俺はお前の事信じてるけど…皆がそうだとは思えないから」
 今はあくまで、裏切った立場なのだ。
 縷紅自身それを理解しているから、すぐに引き下がった。
「ではどうやって…」
 黒鷹はちらと鶸を見た。
 そして縷紅に向き直る。
「そこ、閉めて」
 言われるがまま、ずっと開け放していた扉を閉めると、手招きされた。
 密談をするから寄れという事らしい。
 それは鶸にも向けられた。
 三人が隼の枕元へ集まる。
「お前の立場を悪くしちまうかも知れないから…頼みにくいけど」
 声を潜めて黒鷹は縷紅に言った。
「協力して欲しい。鶸を逃がしてくれ」
「えぇっ…」
 思わず声を上げたのは当の鶸。
 しぃっと黒鷹に諌められ、慌てて口を手で塞ぐ。
「良いでしょう。私は協力しましょう」
 縷紅は迷う事無く応えた。
「しかし、鶸を納得させるのは、貴方の仕事ですよ」
 意外だったのだろう、黒鷹は小さくえ、と漏らして改めて鶸と視線を合わせた。
「何、嫌なの?お前」
「おま…もう今朝の事忘れてんのかよ」
 呆れ返る鶸。いつもと立場が逆だ。
 鶸は奇襲に賛成しているのだ。自分は元より、黒鷹が助かる可能性に賭けて。
「いや、忘れた訳じゃないけど…でも…」
「もしかしてお前、本当に俺が助かりたいからあんな事言ったと思ってる?」
 ぽかんと口を開けたまま、黒鷹は頷いた。
「…本気だったのかよ…」
 疲れた様に唸る鶸。当然と言えば当然だ。
「いや、あのさ、お前を含めて皆助かれば良いってのがお前の言いそうな事かなーって…」
「よく解んねぇよその言い訳。でもそうだ。皆助かれば良い。俺一人逃げるつもりは無い!」
 つい声が大きくなり、また慌ててシィーと口を塞ぐ応酬があり。
 しかし小声を気をつけながら、鶸は繰り返した。
「俺は行きたくねぇよ、お前達を置いては。行くならクロ、お前が自分で行け」
「馬鹿、無理だよそんなの!だって俺は王だ。まだ停戦条約も出来てないし、戦の責任は取らなきゃいけない」
「だから何だよその責任って。元々は天が酷い事するから俺達は戦をしなきゃならなかった、だろ?それなのに負けたら俺達が悪いって事になるのか?納得いかねーよそんなの。そんな事でお前を死なせたくない」
「…だけど」
 口ごもる黒鷹。ある意味で鶸の言う事は正論だ。
 反論出来ない黒鷹に代わって、隼が口を開いた。
「鶸、前に言っただろ。正義が勝つんじゃない、勝った方が正義なんだって」
「俺達が負けたから…正義は天にあるって事?だから死ななきゃならねぇのか…!?」
「正義なんてモンは無い。戦の為の単なる口実だ。…だから、どんな理由があっても、戦なんて物はあってはならない」
 目を見開いて鶸は、戦を始めた友を見詰めた。
 黒鷹は目を閉じて、その言葉を噛み締めていた。
「後悔してんのか…?」
 鶸は訊いた。
「まあ、な。ある意味では」
 自嘲の混じる微笑を浮かべて隼は答えた。
「…俺は後悔してないよ、鶸」
 黒鷹は言った。
「だけど、これ以上誰かが傷付き、死んでいくのは我慢出来ない。だから…頼む、お前じゃなきゃ駄目なんだ」
 鶸は応えず、唇を噛んで俯いた。
 行かなければならない理由は解る。
 それは多くの人を救うかも知れない。
 それと同時に、大切な親友を、見殺しにする事でもある。
 いつも、どんな時でも、仲間を助けるという信念を持ち続けてきた鶸にとって、その選択は選べなかった。
「…お前ら置いては…行けない」
 振り絞るように言った鶸に、今度は黒鷹が口を閉ざした。
「鶸」
 隼に呼ばれた。耳を貸せと言う。
 素直に屈んで耳を近付ければ、内緒話でもするように耳打ちされた。
「…それ、ほんと?」
 隼の顔を見て鶸が念押しする。
 信じられないとばかりに、顔を顰て。
「ああ。約束する」
 自信に満ちた返答に、ついに鶸も頷いた。
「…それなら…行っても良い」
「何?何て言ったんだよ」
 頑固な鶸を頷かせた言葉に、当然興味をそそられる黒鷹。
 隼は真顔で答えた。
「行ったら好きなだけ肉食わせてやるって」
 一瞬、場は固まった。
 黒鷹は言葉を失い、縷紅は目を見開いて鶸を振り向き、その鶸は瞼をぱちくりと開閉している。
「…嘘」
 まさかそんな事で鶸が動くのか、いや鶸なら動き兼ねない…と複雑な心境を込めて黒鷹が呟けば。
「本気にすんなよ」
 下からこずかれた。
「…!!お前があんっな真剣な顔で言うから…!!」
「騙せるなら騙しても良いかと思って」
「何だよそれーっ!!」
「って言うかお前ら俺の事なんだと思ってんだよ!?俺がそんな薄情だと思ったか!?」
「薄情だとは思わないけど…肉なら動くかと思って…なぁ?」
「え?いえ、…まぁ、はい…」
「わあぁぁ縷紅までひどいー!!」
 嘘が付けないとこういう時不便である。
「で、本当は何て言ったんだよ?」
 仕切り直して訊いたが、鼻で笑ってはぐらかされた。
 鶸に視線を向けても、隼が言わないなら…といった感じで口を割ろうとしない。
「もう…何だよお前ら」
 ついに黒鷹は拗ねる。
「ですが、決まりましたね。あとは段取りを決めましょう」
 縷紅の言葉に、面々はまた顔を付き合わせる。
 黒鷹は隼を盗み見た。
 だが、そこにはいつもと変わらない冷ややかな表情があるだけだった。




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