RAPTORS 9 落ちてゆく灰を目で追い、それが土と同化すると再び煙管を啣える。 ただそれを繰り返している。 帰還した兵達を迎え入れる為に陣中はごった返しているが、物音は遠い。 風の音だけ耳に入れている。 本当に聞きたいのは、帰るべき筈の子供達の足音。 「董凱」 無二の戦友、そして親友の声に振り向く。 「ただ待っていても始まらんぞ」 朋蔓の言葉に、董凱は苦笑を浮かべた。 「解ってるさ」 そしてまた、煙管を啣える。 「光爛が言っていた。東軍の面々に根は救われた、礼を言う、と」 「…ふん」 「拗ねるな。誰かが犠牲にならねばならなかったんだ」 撤退した根の兵はほぼ無傷だった。 だが殿に居た東軍のほとんどが、再びここに戻る事は、無かった。 旦毘も未だ、姿を見せていない。 そして、黒鷹、隼、鶸の三人も。 「根の為に犠牲を払ったって事か…」 「変な考えは止せ。もう根も地も無いだろう」 諌められて、董凱は嘲笑した。 「お前はアイツらみたいな事言うんだな。だが俺は…変われねぇ。この世界の様に」 「そんな事は無い」 「いや…やっぱり世界は灰色なんだ。悪意が渦巻き、消える事は無い」 煙管から濁った白い筋が立ち上り、風に流される。 「…誰が根の本意を量れる?誰が裏切りを止められる?頼りにしてた隼も消えちまったんだぞ。…なのに、根は救われただと?その余裕はどこから来るのか拝聴してぇくらいだ!」 「董凱」 それ以上の苛立ちを、溜息に換える。 「わりぃ。お前に当たるつもりは無い」 「いいさ。心配なのは互いに同じだ。まぁ、実子には勝てんだろうが…私にとっても子のようなものだからな」 董凱は吐き出した煙をしばらく眺め、悪いともう一度謝った。 「私の事は良いが…あの子を疑うなよ」 「縷紅か?」 朋蔓は頷く。 「お前のその苛立ちの根源に、縷紅を拾い、育てた事への後悔が有るのなら――それは間違いだ」 董凱は煙管を噛んだ。 「例えあの子が我々を殺すとしても、あの時一命を救った事を後悔してはならないと私は思う」 「…実の子供が救えなかったとしてもか」 朋蔓は沈黙を持って答えとした。 かん、と硬質な音を発て、煙管の灰を落とす。 「待つ以外に何をすれば良いとおっしゃるんだ?朋蔓殿」 漸く前を向き始めた友に、朋蔓は微笑を向けた。 「私は甥を探しに行くつもりだ。貴殿はどうされる?」 戦場は既にあらかた探した。 それでも、何度でも探す気だろう。 「なるほど」 董凱も柔らかい笑いを返す。 「諦めるのはまだ早いと仰せか。…解ったよ、俺も行こう」 「そう言ってくれると思っていたよ」 笑って、右手を差し出す。 董凱がその手を取ると、引っ張って立たせた。 「しかし探すっつってもどこを…」 言いかけた時。 「…?」 不意に言葉を途切れさせた董凱の視線を、朋蔓も追ってゆくと。 「あれは…」 遠く、こちらに近付いてくる人影が見える。 歩き方が不自然なのは、足を引きずって歩いている為のようだ。 「…噂したら呼び寄せちまったかな」 朋蔓の高い肩を叩いて、董凱が歩みだす。 「らしいな。全く、感度の良さだけは長けている子だ」 二人は笑いながら、遅々として進まない影に向けて駆けだした。 「叔父さん!!師匠っ!!」 待ち侘びた呼び声。 「俺は帰ったぜ!!」 槍を杖代わりにして、右足を引きずって。 「よく…帰って来たな」 朋蔓の旦毘を見る目が痛ましいものとなる。 足の傷が酷い。 「敵に情けをかけられたお陰でこれだけで済んだ。悔しいけどな」 董凱が首を振る。 「生きて帰っただけでも良いだろう。まぁ、話は後でゆっくり聞こう。…今は、なぁ叔父さん?」 朋輩に叔父さん呼ばわりされて眉を潜める朋蔓。 「なんだ?」 「勘悪いなぁ。可愛い甥っ子がこんな状態なんだ。おんぶくらい軽いよな?」 「……」 言った董凱と、期待の目で見上げてくる旦毘を交互に見。 頭を掻く。 「…仕方ない」 「やった」 早速背中に飛び付いてきた甥っ子の重さに瞠目した。 「…董凱の方が軽いな」 「そりゃそうだろ…って叔父さん、師匠おぶった事有るのか?」 「無い。が、先刻引っ張ってやたら軽かったからな」 「ああ、まぁ身長分…」 まだ何も言ってないのに、背中をぴしゃりと叩かれる。 「いってぇな!!傷に響くんだよチビ師匠!!」 叔父の背中に居るのを良い事に大暴言。 「ち…チビだと…!?」 「これ以上手は出すなよ董凱。迷惑だ」 すかさず朋蔓に釘を刺される。 その上でニヤリ笑う旦毘。 「お、お前ら…!!」 怒りオーラ全開の董凱。 「やべぇ!!走れ叔父さん!!」 「無茶言うな!落とすぞ!」 二十歳越えた男がおんぶと言うのがそもそもの間違いなのだが。 何故か董凱に追い掛けられながら陣に戻ってゆく子供染みた大の大人達。 陣の敷地を越えた時には良い大人二人が息を切らしていた。 この状況を作った犯人は涼しい顔。 「さて、ついでに本営まで行こうか叔父さん」 完全に操縦士気分。 「おま…いい加減に…」 「光爛含めて報告しなきゃならねぇの。アイツらの事」 董凱が顔色を変えた。 「アイツらって…」 旦毘が険しい顔で頷く。 「行くぞ」 低く、朋蔓が呟いて、一行は光爛の居る天幕へと向かった。 光爛は旦毘の姿を見て、厳しい顔を微かに緩めた。 「無事…とはいかぬが…とにかく良かった」 生還を諦めていた部分もあった。それが手負いではあるものの帰還したのだ。 重ねて考える大切な存在がある。 だからこそ光爛も旦毘の帰還に希望を感じた。 「大事な知らせがある。敵だが天で世話になった人間から聞いた」 苦労して椅子に座りながら旦毘は切り出した。 「あの子達の事か…?」 光爛の顔が曇る。 旦毘は頷いた。 そして、まず断言した。 「死んではいない。証拠は無いが」 光爛が、董凱が、目を見開く。 「本当か…?」 「俺の勘だけどな。と言うかアイツ次第なんだけど…アイツならそんな真似は絶対しない」 「アイツって」 董凱が焦れたように訊く。 さも当然と言わんばかりに旦毘は答えた。 「縷紅だよ」 一瞬、天幕内は静まり返る。 朋蔓は董凱の怒りと苛立ちと戸惑いを見て取った。 拾い育てた子が、手放した実の子と敵対し、危機に曝す。 どちらも己の子なのだ。 「…とにかく最初から話せ」 押し殺した声で董凱が言い、旦毘はそれに応じた。 「この情報を流した男は縷紅や緇宗と親しい軍の幹部だ。傷を負った縷紅を救い、俺をアイツの元に案内してくれた。敵だが信頼できる男だ。恐らく嘘は言っていない」 楜梛と戦ったが、決着はなかなか着かなかった。 深追いするうちに戦場から離れて行った。 それが楜梛の狙いだったのだろう。 誰にも聞かれぬ所で、旦毘に真実を伝える為に。 そうして告げられた事を、旦毘は要約しながら話した。 「緇宗は戦に終止符を打つ為、地の王を拉致した。隼や鶸と一緒に。首謀者は縷紅だ」 縷紅でなければ出来ないだろう。 三人の行動を読み、先回りする事。 「では彼らは今天に囚われている、と」 「ああ。その可能性が高い」 光爛に頷き、旦毘は更に続けた。 「奴は言った――王の為、民の為に、早く敗北を認めた方が良い、と。幹部であるアンタ達の署名を届ければ、敗北を認める。これ以上民を犠牲にしたくなければ五日以内に届ける事。ただし、捕えた三人については――」 一瞬言葉を切って、旦毘は言った。 「三日以内に刑に処する」 それを楜梛は告げてから、一瞬のうちに旦毘との勝負も着けた。 何も出来なかった――気付けば、追えぬ程の傷があった。 去り際、声が聞こえた。 『これは緇宗の意思だ。縷紅の事、裏切ったと思うなよ』 それを聞いて確信した。 縷紅は三人を殺さない、と。 もしかしたら、寝返った目的は――。 また、楜梛はただ単に伝言を旦毘に告げた訳ではないだろう。 『奴を止められる人間と力が必要だ』 かつて言っていた言葉。 縷紅と楜梛が目的とする所。 ――俺達に、緇宗を止めろと…? はっとする。 「三日だの五日だの、気の短ぇ話だ」 横で董凱が毒づいた。 「負けを認めた俺達に、アイツらの首を…見せる算段なのか」 頭を抱え込む。 「落ち着け董凱。脅しかも知れん」 言った朋蔓を、下から睨みつける目。 「んなモン確かめようが無いだろ」 「私は負けを認めようと思う」 光爛が言った。 董凱は血走った目を上げる。 「何だと…!?」 「早く負けを認めて、私が処刑台に登れば良い。あの子達を犠牲には出来ぬ」 「……」 「根の主は私だ。天も異存は無かろう」 董凱は押し黙って再び顔を沈めた。 手で額を覆って、しばらくそうしていた。 「…しかし、根は援軍に過ぎん」 朋蔓が言った。 「貴公の首を落としても、天は根の恨みを買うだけだろう。どの道、地の王は責任を問われる」 「しかしあの子は首を落とされる必要は無くなる…」 ぴくり、と。 怒りに堪えられず、董凱が顔を上げた。 「隼が助かれば良いんだな、アンタは」 光爛は董凱の燃える瞳を見つめ、ふいと顔を逸らした。 「悪いが…当たり前だろう」 ぶつけられる無言の怒りを溜息にして流し、光爛は言った。 「私亡き後もあの子が居てくれれば…根は生き延びられる」 「生き延びねぇよ」 低く、董凱は言った。 「何?」 「あんたあの子の何を見てきたんだ。隼は生き延びない。黒鷹を一人犠牲にして、アイツは生き永らえようとはしないだろうよ。寧ろ逆だ」 「逆…?」 「何が何でも隼は黒鷹と鶸を生きさせようとするだろう。己を犠牲にしてでも」 「まさか」 「それが俺の見てきた隼という男だ。忠臣だよ、彼は。だからこそアイツを救いたければ、あとの二人も救わなきゃならねぇ」 「……」 光爛はしばらく考え、口を開いた。 「救う手立ては…有るのか」 二人とも押し黙る。 怖ず怖ずと旦毘が口を挟んだ。 「アイツらがそれを望んでいるとは思えねぇけど」 「そんな事は…解っている」 すかさず董凱が怒鳴りかけて、何とか口調を抑えた。 「解っている…。だがこれが親なんだ、旦毘。愚かでも…救わずには居れない」 「親のエゴ振りかざすより先に、決めるべき事が有るだろ」 睨まれるのを承知で旦毘は言った。 「アンタら自分の立場ってモンが有るだろうが」 「おま…」 手を出しそうになった董凱を、朋蔓が止めた。 「止せ。旦毘の言う事は尤もだ」 「……」 憮然として両脇を見る。 見兼ねて、旦毘が言った。 「アイツらだって自分の立場や責任抱えて覚悟決めてんだぜ?黒鷹は王として、隼はその臣として。あんな子供でも、だ。…アンタらが逃げ出す訳にはいかねぇだろ」 「……」 董凱は未だ憮然としている。 「悪かった」 光爛は呟くように謝った。 「これ以上の犠牲は無駄となる。私は敗戦を認めよう」 「負けを認めるのも…アイツらの望む所とは思えねぇが」 董凱の口元に冷笑が浮かぶ。 「どうする?ここで負けちまうか?どうせ地にはもう力は無い。王まで居なくなっちまうんだからな。そうなれば、根に乗っ取られるのがオチだろう」 光爛が心外とばかりに目を見開いた。 「根の盾となって戦を続けるか?今回の様に」 「董凱」 朋蔓の制止の声を無視して、董凱は叫んだ。 「最初からそれが狙いだったんだろ!?地を利用し、吸い付くし、我が物とする…地の民なんかいくら死んでも構わないんだろう!?」 「そんな事など無い!!」 ついに光爛も声を上げた。 「我々は良心に基づいて進軍したまで!!そなたにそこまで言われる覚えは無い!!我々が信じられぬのなら、今すぐ撤退するまでだ!敗戦の泥水を啜るのは地だけで結構だろう」 「だからまだ負けてねぇよっ!!俺は認めねえ…例え一人になっても戦う!!根の助けなど元より必要無い…!!」 「ふん、負け犬の遠吠えにしか聞こえぬな」 「止めないか、二人とも」 朋蔓が宥めに入るが、油を注ぐだけとなった。 喧騒を他所に、旦毘は椅子の背もたれを支えに立ち上がる。 足を引いて、出口へ向かった。 「ちょっと、オジサン達」 呼び掛ける声は、相変わらずの喧嘩に掻き消され。 「おい、オジサンとオバサン!!」 やはり届かない。 流石にブチ切れた。 「聞けよ年寄り共!!」 大音声に、漸く言い合いは止んだ。 「…何だよ」 董凱の険しい顔を一瞥して、旦毘は扉に手をかけた。 「民の声を聞いたらどうだ。アイツらに倣ってさ」 さっと扉は開いた。 その向こうを見て、大人達は目を見張った。 無数の人々が、集まっていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |