RAPTORS 15 茘枝の報告を聞く為に、黒鷹と鶸も本営の天幕に戻った。 鶸は光爛の顔を見るのが気まずいのか渋っていたが、身を縮めながらもついて来た。 それだけ茘枝の様子が気掛かりだったからだ。 いつも明るく姐御肌な彼女らしからぬ打ち沈んだ表情。 こんな彼女を見るのは二人共初めてで。 只事ではないと、察した。 何より鶸は、茘枝が縷紅と旦毘の三人で出立した事を知っている。 その目的が緑葉の救出である事も。 一人で帰って来たという事が、何を意味するか。 頭を過ぎる最悪の事態を、早く払拭したかった。 「只今、天より戻って参りました」 本営に入り、茘枝は跪いて報告した。 光爛、そして董凱、朋蔓が彼女に向き直り耳を傾ける。 「敵の情勢は急変しました。王が討たれ、討った者が新たな王に」 「何!?」 驚きの声が上がる。 後ろに居た黒鷹と鶸も、唖然とした。 「して、その新たな王とは!?」 光爛の問いに、茘枝は答えた。 「軍の総司令官だった緇宗という者――!」 「緇宗だと…!」 朋蔓が声を上げるが、その横で董凱は頷いていた。 「緇宗…そうか…」 「心当たりが?」 当然不審に思うだろう。光爛が問う。 何、勘ですがね、と何でも無い事の様に董凱は答えた。 「縷紅の話にも聞いていたが…奴は相当の切れ者であると同時に腕が立つ。何かやらかすなら奴しか居ないと思いましてね」 光爛は思案深げに頷いて、更に問うた。 「縷紅はその、緇宗を倒しに行ったのでは無かったのか?」 「…空振ったか」 董凱が低く零す。 「それなら良かったのですが…」 茘枝が顔を伏せたまま言った。 「まさか、茘枝」 鶸が、声を震えさせた。 「まさか…殺されたんじゃ」 「それも違う」 きっぱりと、彼女は言った。 「じゃあ…!?」 「緇宗と縷紅は対峙しました。緇宗の屋敷内で。しかし屋敷は火事になり、緇宗は逃走、後に王を討った様です。縷紅は炎に巻き込まれ――行方が知れません」 そこに居る五人が。 それぞれの感情と想いを抱いて、立ち尽くす。 茘枝は続けた。 「行方は旦毘が捜索しています。――それより、肝心なのは、緇宗は地を攻める事を天の民に約束しました。戦は、避けられません」 「――我らも協力する。防戦の用意をしよう」 光爛が告げ、茘枝の背後に目を遣る。 「して、地の王は何とする?」 「…戦うよ。民を守らなきゃ」 一瞬間を置き、黒鷹は答えた。 考える事が多過ぎて、それよりも受け入れなければならない事実が重くて――頭がぼうっと霞む。 それだけ答えるのがやっとだった。 「王は…やはりお前の肩に背負われるのだな」 言われ、え?と顔を上げて。 大事な事を忘れていた。 「あ、あー、うん。やっぱり俺がやんなきゃな、って事で」 光爛はふっと笑い、頷いた。 「良かろう。根は認めよう。…鶸殿」 目を見開いて、鶸は顔を上げた。 「許してくれとは申さぬ。だが悪い事をしたと――今では思うておる。どうか、両国の為、今は怒りを鎮めてくれまいか」 「……」 鶸はじっと、光爛を見て。 頷いた。 光爛も頷き、小さく礼を言った。 それを見届けて、董凱は茘枝に告げた。 「報告ご苦労だった。休むと良い、あんたも疲れただろ」 茘枝は立ち上がる。 「…ただ、辛いかも知れんがもう一つ…。あの天の兄ちゃん、どうなった?」 茘枝は哀しく笑んで。 ゆっくり首を横に振った。 「…そうか。ご苦労だった」 茘枝は一礼し、天幕を出た。 黒鷹と鶸は一度顔を見合わせて。 彼女を追った。 天幕を出て、茘枝の背中にぶつかりそうになった。 立ち止まり、見詰める先。 資材の入っていた木箱が詰まれている。 そこに凭る様に、隼が座っていた。 背中を向けているが、荒い呼吸をしている事は上下する肩で察せられた。 「…隼」 茘枝が名を呼ぶ。 振り返らず、苦しげな声だけが返ってきた。 「死にかけてる人間には隠せば良いなんざ…そうはいかねぇよ」 「そんなつもりは…」 「あんたの顔に書いてあるよ。何でお前がここに居るんだって」 黒鷹は木箱を飛び越えて隼の正面に回った。 赤い飛沫が、目に飛び込んだ。 「隼っ、お前…!?」 「騒ぐな。ただの発作だ」 肩を掴む。その手を迷惑そうに、気怠い動きで払われた。 「急に治る訳無ぇだろ。…いつもの事だ、心配すんな」 何も言い返せず、手を引っ込める。 「とにかく…自分の天幕に戻った方が良いんじゃない?」 茘枝が言うが、隼は反応しなかった。 目の焦点がぼやけている。 「…隼」 黒鷹が呼び掛けて、ゆるゆると顔を上げた。 「大丈夫か?」 顔を覗き込み、視線をしっかりと捉えて黒鷹は問う。 隼は口の端を歪めて笑い、木箱に手をついて立ち上がった。 貸そうと差し出した黒鷹の手を押し退けて、茘枝の前に立った。 「…緑葉は…死んだんだな…?」 茘枝は言葉に詰まる。 それだけでもう判ったと言わんばかりに、隼は背を向けた。 心許ない足取りで、歩き出す。 「隼!」 茘枝が呼び止めた。 「緑葉が言ってた――姉貴と待ってるって。いつまでも待ってるから、なるべく遅く来いって…!緑葉は、最期にアンタの事を想ってた」 肩越しに、隼が振り返る。 茘枝は続けた。 「あの子は、緇宗の戴冠式を、アンタ達の作った世界の幕開けに重ねて…夢見ながら、泣いて喜んでた。隼の夢が叶った、良かった、って…。心から、嬉しがってた」 隼は、体ごと振り返った。 その顔は、穏やかに微笑していた。 「…良かったじゃねぇか」 ただ、微笑の奥に。 空虚が、見え隠れした。 「何も悔いる事無く死んだなら――それはそれで、幸せだろ」 「隼…」 「これがアイツの宿命だったんだよ。どうしようも無かったんだ、誰も…変えられはしなかった。…笑って死ねたなら、幸せな方だろ?それはそれで…良かったんだよ」 隼は、笑って見せて。 再び背を向けて、歩き出した。 三人共追えず、その背中を見詰めていた。 寝台に倒れる様に横になった。 体を折り曲げて咳をする。口の中で血の味がした。 黒鷹にはあんな嘘を言ったが。 薬の効き目が薄れているだけだ。 もし、銘丁が再び薬を持って来なかったら―― 俺は、どうなる? どきりと鼓動が鳴る。ざわざわと不安が胸を騒がせる。 また動かなくなった、治ると嘘をついた俺の前で、黒鷹は何を思い、何を言うのだろう。 裏切りだ――これは。 落胆するだろうか。怒るだろうか。罵るだろうか。 だがそれは、仕方ない。 ――心配で目が離せないな。 緑葉の声が蘇る。 そんな風に言うなら。 ずっと、離れないでいてくれれば良かったものを。 薄く目を開き、天幕の隅に置かれた木の椅子を視界に入れた。 緑葉がいつも居た場所。 今はもう、居ない。 ――なるべく遅く、か… 心の中で呟く。 最後に見た顔を、思い出す。 『また、会えるよ』 『あの世でか?』 『ごめん、…お前に会えて良かった、隼』 「本当に…良かったのか?お前…」 拭い切れない。 本当は、自分が緑葉を死に追いやったのではないかという疑念。 姶良にせよ緑葉にせよ、自分が居なければ死なずに済んだのではないかと。 今頃、二人で幸せに暮らしていたかも知れないのに。 そんな人が、世界にどれだけ居るのだろう。 名前も顔も知らないだけで、姶良と緑葉の様な人は、まだ無数に居るのだ。 自分が戦を始めてしまったばかりに。 『お前が罪を負う事なんか、無いんじゃないかなあ』 声が、聞こえた――気がして。 はっと目を開けて、辺りを見回した。 居る筈は、無いけれど。 「お前は――」 思わず口元が緩んだ。 でも、目は泣きそうで、誰も見ている訳ではないが、腕に顔を埋めた。 「お前は、優し過ぎるよ…」 許してくれるのか。 こんな自分を。 なのに、俺は―― 心が刔り取られた様に痛い。 痛い時には痛いと言いなさい、そう幼い頃怒られた。 あれは、姶良だったか。 他の子供達に殴られて痛くても、病状が悪化して苦しくても、一人で耐える事しか知らなかったから。 誰かに訴えて楽にして貰おうなんて考えは無かった。 一人で生きてゆくと決めていた。 それが、どうして。 どうしてこんな事を考える様になったのだろう。 痛いと言える相手が、居なくなった、と――。 「隼」 声がして、天幕の扉が開いた。 黒鷹が一人、そこに居た。 「大丈夫か」 問いに答えられなかった。 大丈夫だ、気にするなと言いたかった。 ただ、今喋れば、確実に震えた声になる。 そんなもの、逆効果だ。 何も応えられず、顔の前に手を置いて隠したまま。 早く去ってくれないかと念じていた。 同時に、側に居て欲しいと心の隅で願いながら。 黒鷹は、歩み寄って来て。 何も問わず、枕元に座った。 そっと。 冷え切った手に、温かな手が重なった。 温もり。 生きている、温度。 安堵感と、後ろめたさを感じながら。 「ごめん。なんて言えば良いか分からない」 黒鷹の声が降ってくる。 「お前にとってすっごく大事な友達だったんだよな。…多分俺、お前が居なくなってたら同じくらい落ち込んでた。でも何て励まして貰ったら良いかなんて全然分からない。それくらい…周りの言葉なんて耳に入らないくらい、落ち込んでると思うから。…だからごめん、何にも気の利いた事言えないけど…でも、ここに居て良いか?」 隼は僅かに首を上下に動かした。 本当は、違うと言いたかった。 緑葉が死んだ事を悲しんでいる訳じゃない。 緑葉を死なせてしまった事、そして黒鷹を騙している事、その所為でいつか、近い将来こんなに悲しませる事――様々な呵責が綯い交ぜになって。 それなのに、自分が最低な事をしていると解っているのに、本音に嘘が付けなかった。 ここに居て欲しい、と。 こんなに弱くて良いのだろうかと、恐れの混じった戸惑いを覚えてはいるのだが。 「お前が王に戻ったなら…俺はまた側近だろう?」 絞り出した声は、掠れていた。 でも、震えは隠し通せた。 「どうしよっかな」 黒鷹は少し笑って、悪戯な表情を見せる。 「根の統治者のご子息サマを俺の臣下にして良いのかねぇ」 「馬っ鹿…。関係無ぇよ」 「そうでもないよ」 意外に真面目に言って、溜息を吐く。 「光爛とこれ以上、溝を作る訳にはいかないから」 「…それこそ…関係無ぇだろ…」 「ま、後の事はまた考えよ?今は…俺がお前の側に居たいだけ。異存有るか?」 隼は口元だけ見せて、笑った。 「多いに有るな。今は一人にしてくれ」 「嘘付く時はお前、口の左だけ上がるんだよな」 「…何だよその発見」 「素直になれって事」 しばらく隼は口を尖らせていたが、目元を覆っていた手を離して漸く顔を見せた。 隻眼は少し、充血して赤くなっていた。 「少し寝る。居るなら居ろ」 寝返りを打ちながらぶっきらぼうに言う。 「うん。お前より先に寝ちまいそう」 既に黒鷹の頭は布団の上に有った。 「勝手にしろ」 目を閉じる。 疲れたのか、それ以上はどんな考えも浮かばなかった。 ただ、一つだけ。 これから何が起こっても、生きている限りは黒鷹を守ろうと。 これ以上、誰の死も引き寄せなくて良い様に。 己のあと僅かな命と引き換えの、誓いを立てた。 [*前へ] [戻る] |