RAPTORS 12 「私は地に降りた後も緇宗の腹心だった。少なくとも自分ではそのつもりで居たんです」 微笑を自嘲に戻して縷紅は独白を始めた。 「私達――つまり緇宗と私と、ここに居る楜梛は、先だっての戦の前から、天の王を王座から引きずり落ろす計画を立てていた」 地が天に敗戦し、属国となる以前からの事だ。 元々王の粗暴さに良からぬ思いを持っていた緇宗と楜梛、そしてそれを受け継いだ縷紅は、王を滅ぼすべく密かに計画を練っていた。 「でもあの頃は、緇宗自身が王になる気など無くて…だから」 「俺達で推したんだ。王を討った暁には、お前が王になれ、と。奴も徐々にその気になった」 楜梛が縷紅の後を受け継ぐ。 頷いて、縷紅は続けた。 「そして戦の後、黒鷹が捕われ、茘枝が接触して来て…気付いた。地を使って王を討てば良いと。そうすれば東軍の念願も緇宗の目的も達成されると…」 緇宗に提案すれば、しばしの思案の後、頷いた。 ただし条件を出された。 「出世しろ、と。周囲と王の目を欺ける様に信頼を勝ち取り、黒鷹を逃せられる様になるまで待て、と。今思えばその時から、私は緇宗の罠に掛かっていたんです」 出世する為には、王の命令に従う事。期待通り、又はそれ以上の結果を持ち帰る事。 王の命はその殆どが残酷な物だった。 地の者だろうが自国の民だろうが関係無く、些細な理由でも己に不愉快な事が有れば罪無き者を虐る。 王はそれを――愉悦としている節があった。 王の期待以上の結果を持ち帰るには、行いはより残酷になる。 「そんな事のお陰で、私は異例の早さで出世出来た訳です。勿論、緇宗の工作も有ったのでしょうが」 だが縷紅が残虐な行いに加担する事は、緇宗が仕組んだ事でもあった。 民の血を流せば流すだけ、人心は王から離れる。当然、直接手を下す縷紅からも。 その裏で緇宗は、怒り、怯え、不満を募らせる民の心を掌握していった。 軍の最高位の者が、実は自分達の味方だと知れば、民の期待は当然王より緇宗へと流れるだろう。 それは王を討った後の統治に必要不可欠な物だった――緇宗が次王となる前提では。 縷紅は何も知らずに汚れ役を引き受けていた。 全ては、緇宗と東軍という、己を構成している二つの為に。 「そして地に降った…緇宗の命令通りに。本当に馬鹿ですよねぇ。単なる厄介払いに過ぎないと言うのに。私はまだ…彼の為に働いているつもりだった…」 あの頃でも、薄々は感付いてはいた。 緇宗が己を避けている――少なくとも、顔を合わせる回数は激減していた。 互いに立場が変わり忙殺されていた、そう考える事も出来たが。 「自分が不要の存在になったと、信じたくなかった…信じられなかった。多分、それだけで彼を信じ続けて…結局」 姶良を殺した。 それで理解せざるを得なかった。 緇宗は自分を敵と見做している事を。 「他の人ならともかく…姶良は殺らなければ殺られる相手ですし…彼女も恐らく緇宗の意を汲んで本気でかかってきた。あの仕打ちには参りましたよ、本当に」 口元は笑っているが、瞳の奥はどこまでも暗かった。 「緇宗の…嘲笑が見える様でした。あの人は私を玩具にして楽しんでいる…」 残された余裕であった口元の笑みも掻き消えた。 「あの計画の始まった頃から…時々、奴は王と同じ目をしていた…」 楜梛が遠くに視線を投げながら言う。 縷紅も同調して頷いた。 「だから私は彼に王を斬らせるのが怖かったのかも知れません。地を頼ったのは、彼を王にしてはならない気がしていたから…」 人の人生を弄び、奪う。その上それを楽しんでいる。 権力を持った者の、狂気の遊び。 「それでも私は…地を巻き込むべきでは無かった…」 微かに、声が震えている。 「多くの人を殺した…。そして更に多くの人を…殺すでしょう…。私の愚かな行動の結果として。それでも」 まだどこかで緇宗を信じているんです、と。 縷紅は言った。 六年前、無邪気に信じたそのままに。 この人は、良い国を作ると、まだ。 「……そうか」 黙して聞いていた旦毘は、一言低い声でそう言った。 言ったきり、動かなかった。 沈黙が続いた。 日が暮れ、すっかり部屋は暗くなっていた。 月明かりが青く三人を照らす。 縷紅は己の内にあった物が全て流れ切ってしまった様に、表情の無い顔で微動だにしなかった。 焦点がぼやけている。何も心に映していないのだろう。 旦毘はそんな縷紅を見ていた。知らず歯を食いしばって、眉間に皺を寄せて。 楜梛は立ち上がり、燭台に灯を燈した。 部屋に温かな光が満ちる。 旦毘も縷紅も、その明かりに心を奪われて。 それぞれの瞳の中で、光が、揺れる。 「…緑葉はな」 燭台を見詰めたまま、旦毘が口を開く。 「最期にお前の理想を見て――喜んでたぜ。良かった良かったって何度も繰り返してさ」 縷紅は努めて燭台を見ていた。 緑葉の最期を思い浮かべるのは、痛かった。 旦毘は構わず、「だから」と続けた。 「お前の理想は間違ってないんだと思う。緑葉はお前の事信じてるぜ、今でも」 漸く旦毘は燭台から視線を引き剥がし、縷紅に向けて片頬で笑った。 縷紅もそれを見ていた。目を丸くして。 「ゴールは間違ってねぇんだよ。過程なんか知った事か。着けば良いんだ、着けば」 やっと、笑った。 いつもの笑い方で。 一点の陰りも消え去った顔で。 「旦毘のそういうざっくりした所は尊敬に値しますね」 「褒めてんのかソレ」 ひとしきり笑った。 縷紅はまだ、笑顔の仮面とその下の痛みを感じてはいたが、それでも。 受け入れるしかないと――悟った。 「もう止まれねぇんだよ。お前も、俺も、地の奴らも。それに緇宗だってそうだろうさ。あとは…」 視線は、横へ。 「アンタは?」 二人の視線を受け取って、楜梛は微笑した。 「アンタが緇宗に従って地を攻めるって言うなら…縷紅が何と言おうが、俺はこの場でアンタを斬るぜ?」 楜梛は口を開かない。 「だけど楜梛、貴方が私を助けた、則ち地を有利にしたのは明白です。貴方の事だから腹に一物有るのでしょう?…話しては頂けませんか」 言って、縷紅は深く息を吐き、付け加えた。 「今…誰かが…それも貴方が、傷付けられるのは…耐えられませんから」 楜梛は。 口を開いた。 「…盟友は、見捨てられんよ」 かち、と旦毘が刀の鍔を鳴らした。 聞こえなかったかの様に、楜梛は続けた。 「だが、言っただろう?奴の目に亡き王と同じものが見える、と。…繰り返してはいけない。それは奴自身そう思っている筈…ならば、奴が思う道を歩ませてやるのが、俺の役目と思っている」 「それは…」 「奴を止められる人間と力が必要だ」 低い声だが、きっぱりと言い切った。 「地を攻める事は必ずしも奴の意思だけじゃない。鬱憤を晴らしたい、天の民の声だよ」 「緇宗は、それに乗せられていると…?」 「そうでもないだろう。天は地を手に入れる事に利点しか無いからな、奴もそれはよく解っている筈だ。…だが、お前の案…地を救う道も、奴は諦めるまで考慮に入れていた」 「…え?」 「緇宗も地を救う手を考えてはいたんだ。途中まではな」 初耳だった。 見開いた目で楜梛を見詰める。 「ただ、この国は国土も狭ければ土も固い。兵器の為の科学開発では民の腹は膨れねぇ。…飢えを凌ぐには、地の土地と民を使うしかない…そう、思ったんだろうな」 「天も…生きるのに必死なのか」 旦毘が言った。 自身も東軍とは言え天の国土に生きてきたのだ。楜梛の言う事は身を持って知っている。 「だが…戦を続け、地を支配するのは…奴の本意とは思えない…」 「何とか、それは避けなければなりませんね…。互いの為に」 縷紅はそう言ったが、旦毘は果たしてそれは可能だろうかと思う。 緇宗が、地を攻めると宣言した時の民の歓声。ありありと耳に残っている。 あれが、天の民の意思なのだ。 例え緇宗が意見を翻しても、あの歓声が怒声に変わるだけだろう。 何せ――彼らは彼らで、命懸けなのだから。 「…戦うしかねぇと…思うがね」 旦毘は呟いた。 「どっちかが生き残る、それまで戦は続くだろうよ」 「…いえ…」 縷紅とて旦毘の考えている事は解る。 だがそれでは、世界は変わらない。 「何か術は有る筈です。現に根と地は平和的解決を果たしたでしょう?…天にも不可能ではない筈です」 「そうだと良いけどな…」 考える旦毘から楜梛へと目を移し、縷紅はとんでもない事を言った。 「緇宗をここに連れて来ては頂けませんか」 旦毘は勿論、楜梛も――硬直した。 縷紅は至って真顔である。 それが恐ろしい。 「お前が冗談を吐かないのは重々知っているが……それ、本気か?」 楜梛の顔が引き攣っている。 「大真面目ですよ」 返されて、口の中で反論をごろごろ転がして、溜息にして吐き出した。 「…何にせよ動ける様になってからの話だろう…」 「しかし時間はあまり無い筈です」 「お前、解ったんじゃねぇのかよ?奴はお前を殺そうとしている。夢ばっかり見て勘違いしてんじゃねぇぞ」 縷紅は、叱られても得心のいかぬ子供の様に口をつぐんだ。 「…お前は捨て身で良くてもな、お前を殺させる訳にはいかねぇ人間が…居るだろ、そこに」 言われて旦毘を見れば、視線がぶつかる。 それでも彼は何も言わなかった。 「でも…緇宗に説得の余地が有るなら…話をしなければ」 食い下がれば、また溜息が落ちてきた。 「無ぇよ。余地なんか」 「しかし…!」 「奴が考えに考えて決めたんだ。悩んだ末に、なんて似合わねぇけどな。だがそのくらいの覚悟は有る筈だ。お前なんかに崩せると思うか?奴の、決意を」 「……」 縷紅は楜梛を睨む。 相手が違うとは思う。 だが、怒りをぶつけられる相手が、見えない。 「…飯は俺が作ってやるよ。食ったら寝ろ。まだ喧嘩は無理だ」 幾分か優しく言って、楜梛は立った。 扉の向こうに消えた背中。 じっと、縷紅は見ていた。 「良い…仲間じゃねぇか」 旦毘が言った。 「お前は人に恵まれてるよ。何故か苦労続きだけどな」 縷紅は反応しない。 旦毘は一人で笑って、ひょいと腕を伸ばし、縷紅の鼻をつまんだ。 「ちょ…何やってんですか」 完全に鼻声の反論。 「人が動けないと思って…!!」 旦毘はけらけらと笑っている。 動く右手でぺしぺしと腕を叩いたり、引っ張ったり。 しかし動じない悪戯野郎に、ついに力尽きた。 「…もぉ…」 ぱたりと右腕を落とす。 旦毘もやっと手を離した。 「…これでも痛いんですからね?」 「分かった分かった」 「全然分かってないでしょ…」 縷紅は膨れっ面なまま、二人はしばし黙った。 扉の向こうで、楜梛が動き回る音が聞こえた。 「…痛いのは、お前だけじゃねぇよ」 ぽつりと、旦毘は言った。 「お前の背負って来たモンは、俺も背負わなきゃいけねぇモンだからさ。…一人で歩こうと、思うな」 前にも言われたな、と縷紅は思い返して。 しかし、以前とは違った。 まだ、味方で居てくれる。 当然の様に、受け止めてくれる人達が居る―― 自分が思っている以上に、温かくて。 「分かりました」 今は素直に、頷いた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |