RAPTORS 3 天幕から出ると、日の光は厚い雲に遮られていた。 もう昼間にもなろうかという時間なのに、薄暗い。 「雨、降るかな」 「かもな」 軍議から解放された黒鷹と鶸はその結果を報せに隼の元へ向かう。 特に申し合わせた訳ではない。二人とも自然に足が向いていた。 「縷紅達、大丈夫かな」 黒鷹は今の軍議で聞いた事を振り返る。 「大丈夫だろ。茘枝も居るし」 「うん…」 それでも敵の中心に少数で忍び込んでいるのだ。無事生還するのも簡単な事ではないだろう。 「それより、もうすぐ天に行けるんだぜ!?楽しみじゃねぇか?」 「お前はな。留守番続きだったから」 はしゃぐ鶸に苦笑して黒鷹は言った。 鶸はまだ天に行った事が無い。 黒鷹の物言いに拗ねてしまった。 「どーせお前は天なんて自分の庭みたいな感じなんだろ」 「イヤそれは無い」 「自分の畑くらい作ってんだろ」 「無い。鍬すら持ってない」 「鉢植えの一つや二つあるんだろ」 「いい加減にしなさい」 不毛な応酬。しかし顔は互いにちっとも笑えない。 鶸が一つ溜息を吐く。 「…行くだろ?お前」 黒鷹は答えない。 「勝つ瞬間を見届けに行くだろ?」 鶸はもう一度問う。 黒鷹は曖昧な笑みを浮かべた。 「今回は俺、パスしようかなー…て…」 答えると、横からまじまじとした視線。 「何だよ」 「…お前らさ…ほんっとに…」 糞真面目な表情のまま鶸は言い放った。 「付き合えば?」 ぶーっと派手に黒鷹は噴いた。 「ば、ば、ばばば馬鹿ーーッ!!!!」 一方的に叫ばれる鶸。 「言ったじゃねぇか俺をそんな乙女だと思うなって!!大体、天に行かないって事しか言ってねぇじゃん!!隼がどーこーなんて一っ言も…」 「俺も隼となんて一言も言ってねぇよ」 「………」 無言のまま凄い形相で睨まれる鶸。 「な…何」 その瞬間、ごんっという音と頭の衝撃と半端無い痛みで視界が明滅した。 「いっ……」 「あーやっぱりお前は殴られ役だな。やたら似合う」 鶸の頭の上でぱんぱんと手をはたく黒鷹。 「殴られ役って…」 悲しいかな我ながら身に覚えのある様な。 「なんで王様になったのにボカスカ殴られなきゃいけねぇんだよぉーー!!!」 「ボカスカ?他にも誰かに殴られてんのかお前?」 「う……」 その張本人の居る天幕の前まで来ていた。 「お前の事いじめる奴が居るのか?そんな奴俺が退治してやるからいつでも言えよ?な?」 そんなアナタに一番イジメられてます。…と言えなかった鶸。 「まあ良いや。隼、おっはよー」 まあ良くない!と鶸は心中穏やかではないが、平静を装って黒鷹に続いて天幕に入った。 因みに鶸がどれだけ装った所で、そこは鶸なので限度が有るが。 しかし天幕の中にはそれ以上に怒気を隠しもしない人物がいた。 「起きてたんだ?」 「起こされたんだ、てめぇらに。分かれ大声野郎共」 なんだか新しい称号を頂いてしまった二人。 「お元気そうで何よりです…」 黒鷹の予定ではもう少し大人しい隼を想定していたのだが。 現実はそう甘くない。 「で?光爛は何て?」 昨日の今日だ。隼はまだ何も聞かされていない。 「援軍、来てくれるって。数日以内に」 「根が来次第、みんなで天に行くからな」 「遠足じゃねぇぞ、鶸」 釘を刺されて、分かってるってと口を尖らせる。 「良かったな、隼。光爛がお前の気持ち理解して応えてくれて」 黒鷹の言葉を、隼は否と小さく否定した。 「向こうも利点が無ければ動かない。…これからは腹の探り合いだ」 「またぁ!?」 呆れて黒鷹は叫ぶ。 「もう良いだろ!?光爛はお前の事ちゃんと想ってるぜ!?探っても何も出て来やしねぇよ!!」 「どうだかな。俺達は国を動かしてんだ。んなモン関係無ぇよ」 「うーわ、あんな事書いてたのに。全部建前だったのかよ、うーわ」 辟易する黒鷹に鋭い目が向けられる。 「読んだな」 悪い事はしていない確信はあるが、一瞬固まった黒鷹。 「…だって、光爛が見せてくれたんだもん」 「だもんじゃねぇよ、だもんじゃ」 「あ、でも見られたくないって事は、多少は本音か。でなきゃあんな事書けないよな」 「うっせぇよ」 「やっぱり照れてるな!?そっかぁそうだよなぁ」 一人だけカヤの外な鶸は。 「…見たかった」 ぽつりと漏らした何よりもの本音。 浮かれ気分だった黒鷹はそれを聞いて漸く止まる。 隼の目がだんだん険しくなっている。 「あ…あ、そうだ。栄魅とお前の姉さん助けて来たぜ?反総帥派の奴らに捕まってたからな」 無難にさっさと話題転換。 しかし予想以上に隼の表情は変わった。 「本当か!?」 「ああ。根の軍と一緒に来る筈だぜ?姉さんお前にそっくりで美人だぞ。名前は確か…」 「鈴寧」 先回りして言われ、今度は黒鷹が目を見開いた。 「知ってたんだ?」 「まあな…」 会った記憶が有るのは一度だけ。初めて根に行った帰りでの事。 あの時彼女の誘いを断った。二度と顔を合わせる事など無いと思って。 今、どの面下げて会えば良いのだか。 「隼の姉ちゃんも見たかったあぁ!!やっぱり根に行くべきだったなこりゃ」 「お前にそんな選択肢無かっただろ。つか動機不純過ぎ」 「んな下心無ぇよぉ!!ただお前ばっか良い思いし過ぎ!!」 「そりゃ、それだけ苦労したもん。な、隼」 「…何故こっちに振る…」 苦々しく言われ、何となくと答えカラッと笑うと、一転して黒鷹は真剣な顔になった。 「お前、さ。やっぱり…」 やたら歯切れが悪い。何だよ早く言えとこずく。 「根に行った方が良いんじゃないか…?」 しばらく、呆然と黒鷹の顔を見た。 いろいろな考えは巡るが、何も言葉に出来ないまま。 頭が、理解する事を拒んでいる様な。 漸く出たのは、乾いた笑い。 「光爛に…指図されたか…?俺をそう口説けって…」 「違う。俺の考え」 きっぱりと黒鷹は言う。 「だってこのままじゃお前…。お前の事だから自分で分かってんだろ?根を呼ぶ事が、お前にとって危険だって…」 「だから?」 隼の声はどこまでも突き放す様に冷たい。 「読んだだろ?これが俺の…責任の取り方だ」 「そんなの有るかよッ!!そんな責任の取り方なんざ――!!」 激昂して食ってかかる勢いの黒鷹を、鶸の手が止める。 「落ち着けって。…俺もそんなの無いと思うし…根で安全な所に居て欲しいよ、隼」 「そうだよ!!だから言ってんだよ!!…お前が素直に聞かないってよく分かってるけど、言わなきゃ…行かさなきゃいけねぇんだよ!!」 「……」 隼は黙って考え込む。 横目にあの薬を見ていた。 「そりゃ俺だって…この戦の終わりをお前と見たいよ…!お前が根に行ったら殆ど会えなくなるのも分かってる…。でも…死んで欲しく無いもん…」 がっくりと落ちる肩を、翡翠の目が捉える。 「…じゃあさ」 ちくちくと、胸が痛む。 これは、裏切りだろうか? 「症状次第ってのはどうだ?」 「…え…?」 それでも――選択肢など、無いのだ。 「ほら、この間鶸が連れて来た医者な、結構腕利きらしくてさ。…治るかも知れない」 石を吐く様な思いで――しかしそれに感づかれないように微笑しながら、隼は言った。 「本当!?」 二人の声が重なる。 こんなに嬉しそうな旧友の顔は、久しぶりだ。 その無邪気さが、胸を締め付ける。 「だから…治れば根に左遷される必要も無いだろ?」 「そうだな!俺は人事部長じゃねぇけど」 黒鷹が笑う。 「でも良かったぁ。鈴寧もすっげー心配してたし。お父上に続いてお前まで居なくなったらどうしようって…」 言ってしまってから低く「あ」と漏らす。 隼の表情が曇った様に見えた。言った内容が内容だけに当然なのだが。 しかし当の本人は、眉一つ動かしたつもりは無い。 「死んだのか?」 「…ごめん、つい」 口を滑らせた事を詫びる。 「んな事別に良い。ただ知りたいだけだ。…どうして死んだ?」 苛立つ口振りに黒鷹はますます小さくなる。 嘘を用意する余裕も与えられない。 「殺された…って。反総帥派の奴らに」 「……」 口を閉ざす隼に、黒鷹は慌てて言った。 「でも鈴寧は無事だから!危ない所を光爛が助けてくれたんだよ、組織も潰滅したし!もう根は大丈夫だから…気、落とすなよ」 どう慰めたものか分からない。とにかく病は気からと言うし、気落ちだけはさせまいと必死になった。 だが隼は、片頬で笑った。 「無駄な心配するな。会った事も無い人間の死で落ち込む程、俺は出来てない」 実際は、いまいち実感が湧かないだけだ。 見知らぬ人間の死ならば、この戦で嫌と言う程見てきた。 人の死に感覚が麻痺したのだろうか。また一つ増えたという感慨しか抱けない。 「油売らずに仕事したらどうだ?進軍決まったらやる事あるだろ、王様?」 「な、お前この前は人を暇人扱いした癖に…――っ!!」 鶸の叫びはずいぶん不本意な形で止められた。 黒鷹の右手が口を塞いで、そのまま頭ごと出口方向へ押される。 「だから仕事しようぜー!お、う、さ、まっ!!」 鶸はまだ手の中でもがもが言っていたが、黒鷹は構わず天幕を後にした。 出る間際、隼に笑いかけて頷く。 隼も同様に応えた。 二人が天幕を出てからややあって、鶸の叫びが聞こえた。 「だぁーっもう!!何なんだよお前ら!!相思相愛か!!」 「よく知ってんな四字熟語。なにげに王様になってから勉強してんだな、偉い偉い」 「はぐらかすな!!なんで追い出されなきゃいけねぇんだよ!!…」 言い合いは続くが、だんだんと遠くなり聞き取れなくなる。 黒鷹は隼を疲れさせないよう出て行ったのだ。つい口を滑らせた事もあって。 それでも笑顔で出て行けたのは、病が治ると分かったからで。 隼も父親の死より、その方が思考を支配していた。 ついてしまった嘘。 恐らく、最後の最期まで騙す事になるだろう。 出来ればそんな事はしたくなかった。でも。 隼は何かに取り憑かれたかの様に瓶を掴み封を切り、一息に飲み干した。 死期を早める薬。 これしかない。こうするより。解っているのだ。 震える空の瓶。 何か、恐ろしい物を持ってしまったかの様に、ばっと床に投げ捨てた。 直ぐに寝具に潜る。 喘ぐ息。震えが止まらない。 ――これで良いんだ。これで―― 固く固く閉じた瞼から、雫が一つ、零れた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |