RAPTORS 2 灯りの点る天幕。 入口を潜れば、見慣れた面々が、それぞれの表情を作っている。 「縷紅、お帰り」 一番奥で卓上に腰掛けている鶸が、顔を上げて言った。 それでも場の空気は重苦しい。 「…見付からなかったのですね」 旦毘が、僅かに視線を上げた。 しかし直ぐに元通り俯く。 「私も捜索してきても良いでしょうか?事態は一刻を争います…緑葉は、天に行かせてはいけない」 「だがもう八方手を尽くした。恐らくもう手遅れだろう…」 朋蔓の言葉に首を振る。 「可能性が僅かでもあるならそれに賭けます。それだけの価値はあるでしょう…人命が懸かっている」 「だがもう遅い。視界が効かない中で人一人の捜索など無理がある」 「しかし…!!」 「要はてめぇに行かせたくねぇんだよ」 問答を遮り、旦毘が声を上げた。 「…何故…!?」 「斬るんだろ。お前」 縷紅は絶句して旦毘を見る。 冷え冷えとした視線が刺さる。 「例え裏切りだとしても…そう簡単に仲間を斬れる様な奴とはな。忘れたのか?アイツが隼と砲撃を止めたんだ。命懸けでな!だから俺達は勝てた」 「それは…解っています。しかし…それとこれとでは話が違う」 「それなら俺がお前を斬る」 「え…!?」 何を言っているのかすら、理解出来なかった。 誰よりも慕ってきた人に、ここまで言われるとは。 「そうだろう?お前もかつて裏切ったのは間違い無いんだ」 「やめろ、旦毘」 「だって叔父さん、おかしいだろ!?自分は裏切りに何のお咎めも無いのに、コイツは裏切った確証すら無い仲間を斬ると言った!」 確かに、旦毘の言う事は正しいと、当の縷紅も思っている。 それだけに、言ってしまった一言を、痛い程後悔した。 ただ、確信はしている。 「今、裏切りが出ては、我々が圧倒的に不利になる…多くの無駄な犠牲を出す訳にはいかないから、ああ言ったんです」 己の考えに、間違いは無い、と。 「…天でそう仕込まれたか。裏切りの疑いのある者は、斬れって」 旦毘の言葉に反応は返せなかった。 事実だから。 何人、罪無き者を、手に掛けてきたか。 「俺が裏切っても、斬るか?」 「…何を…!?」 「訊いてんだよ。俺や…隼が裏切っても、お前は斬るのか?」 旦毘の問いに答えられず、縷紅は沈黙した。 天幕内が静まり返る。 心許ない灯りが、影を映し出す。 揺れている。 「…斬ります」 答えを、吐き出した。 恐らく、斬るだろう。目的の為なら、感情より先に刃が答えを出す。 もう、解ってしまった事。 「…俺が知らない間に、お前は、変わっちまったんだな」 旦毘が溜息混じりに吐き捨てた。 知られたくなかった。 心のどこかで疼くもの。そして、諦め。 これまで隼にだけ見せてきた影の部分。 もう、隠し切れはしない。 董凱や、朋蔓は、そんな事は既に見通していたかの様な顔をしている。 それが、何より居たたまれない。 事実があるからこそ。 「目の前に居たじゃないですか」 意思とは裏腹に、滑り落ちた言葉。 「私が姶良を斬った時、貴方は目の前に居た。それが何よりの証拠です。あの時、あんな事が出来たのも、今まで」 「縷紅」 朋蔓の制止の声。 これ以上喋る必要は無い、と。 しかし、縷紅は続けた。 「今まで、無数の人を斬ってきたから。敵だろうが、味方だろうが関係無い。地の人間も、天の人間も、東軍の…かつての仲間も、命令さえ有れば斬ってきた。…あのまま天に居れば、次に斬っていたのは…黒鷹だったでしょうね。過去の関係を知っていながら、それでも」 「縷紅!!」 朋蔓が叫ぶ。それはこの人の優しさ故だと解っている。 「…私はこんな化け物ですよ?旦毘。…元には、戻れない」 旦毘は押し黙っている。 あらゆる罵りを、非難を、嘆息を――喉で押し殺して。顔を歪めて。 縷紅は踵を返した。 その足を、父である董凱が止めた。 「お前が将軍になったと聞いた時、この手で斬ろうと決めた」 「…私は貴方の手には掛かっていませんよ」 董凱は、口角を上げて笑った。 「全く、しくじったもんだな」 縷紅も、ふっと笑って。 天幕を、後にした。 先刻と変わらぬ闇。 ただ、濃度を増して。 自分の発言を後悔すべきだろう。だが、どこかで、これで良かったと信じている。 自分を偽って、このまま共に戦い続ける事も、出来なかっただろうから。 ――でも。 “これから”は有るのだろうか? もう、何もかも壊してしまった? また?―― 今出た天幕が開く音がした。 ぱたぱたと駆け寄ってくる。 縷紅は振り返る。 真っすぐ見上る、鶸の目と合う。 「俺は天の軍抜けた後のお前しか知らねぇ。でも」 一度言葉を切って、殊更大声で言った。 「良いヤツだって、よぉく知ってんだからな!」 「……」 驚きを含んだ顔で振り返る。 鶸の表情は、真剣そのもの。 それをまじまじと見つめていると、不意に。 不意に、笑ってしまった。 「な…人の顔見て笑うなよお前!」 可笑しくて謝れない。悪い事をしている自覚はあるのだが。 「何なんだよ…ひっでぇな。もしかして俺の顔なんか付いてる?」 取って取ってと顔を近付ける。もう可笑しくて堪らない。 「何だよぉー!?」 鶸の顔が膨れっ面になってきたので、縷紅は漸く笑いを飲み込んだ。 「はぁ、久しぶりに笑いましたよ」 「だろ!?さっすが俺。…じゃなくて」 この間の黒鷹と言い、笑わせたつもりは無いのに笑われ、調子の狂いっぱなしな鶸。 「ごめんなさい鶸…でも、ありがとうございます」 「なんかなー…」 感謝されてもイマイチしっくり来ない。 「それよりさ、縷紅。俺決めた」 「決めた?何を?」 急に改まって告げられるが、何の事か皆目見当が付かない。 「進軍しよう。…天に、行こう」 「…え?今、何と…」 「天に行こうよ縷紅!!皆でさ!」 「本気で…?」 鶸は頷いて、迷い無く言った。 「お前達が探してるヤツは天に行ったんだろ?なら、追い掛ければいい。それで、ちゃんと本当の事聞いたら、お前の仲間も納得するんじゃねぇか?」 「…しかし…」 「斬る気なんて無いんだろ?本当は。…仲間だもん、斬りたくなんか無いよな」 「鶸…」 どう、答えれば良いものか。 だが、鶸の言う事に、間違いは無い気がする。 縷紅自身、そう思っている。 「…隼に、彼を助けるよう頼まれました」 「おう、ダチだったらしいな。なら当然だろ」 「しかし公に私は動けないでしょう。彼らの理解を得ない限り」 「…なんで?」 「いや、なんでと言われましても…」 鶸はカリカリと頭を掻き、案外真相を突く事を言った。 「…お前、仲間裏切ってでも、一人で天に行くのか?」 「……」 「一人で行って、そいつ助ければ良いとか思ってる?」 否も応も言えず、縷紅は目を背けた。 許されない行為だと判っている。 「ならやっぱりさ…皆で行けば良いだろ!お前が居なきゃ戦出来ないし。なっ?」 するりと懐に入って、顔を見上げる鶸。 底抜けの明るさは、眩し過ぎる。 だが、心地好い。 「…そんな事の為に軍を動かすのですか、貴方は」 「“そんな事”じゃねぇよ」 つい意地の悪い物言いになってしまったが、きっぱりと否定された。 「隼の事もあるし…何より、目の前で苦しんでるヤツが居るのに助けられないのは嫌だ。手段があるなら、助ける。これが俺達のやり方だ」 いつか黒鷹も言っていた。助けられるのなら、それが一人でも助けると。 そうでなければ、王の資格は無い、と。 「お前も含めて助けてやる。だから“そんな事”なんて言わせねぇ」 意外な言葉にキョトンと鶸を見た。 「…だって、開戦前に比べたら、お前すげぇ窶れたぞ。…苦しいんだろうなって」 照れはあるのだろう。口ごもりながら言って、再び強い視線を向ける。 「でもさ、縷紅…お前が過去に何していようが、今を楽しまなきゃ。そうでなきゃ、死んでった奴らも嬉しかねぇよ」 呆気に取られて見つめていたが、ふっと、微笑んだ。 「鶸は、優しい人ですね」 「当たり前だろ」 これを照れもせず言ってのけるから可笑しい。 前例もあるので笑いは抑える。 「明日の朝にでも皆に提案してみましょう。…しかし、一筋縄で意見が通るとは思わないで下さいね?」 今度は鶸がキョトンと見上げる番だ。 縷紅はちょっと苦い笑いを浮かべて、理由を言った。 「私なら反対しますよ。第一、急過ぎる」 「お前はどうしたいんだよ?」 言われて縷紅は少し考えた。 「こんな戦…さっさと終わらせたい…ってところですかね」 「じゃ賛成だな!?だいじょーぶ、王サマは俺!」 まだ何か言いたげな縷紅を遮って、鶸はそう結論付けた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |