RAPTORS 5 「よくそんな嘘が付けますねぇ」 黒鷹の去った天幕で、縷紅がのんびりと言った。 「…嘘?」 何が何だか分かり兼ねる緑葉。 隼は答えず、背を向けたまま。 「良いんですか?黒鷹を待っていたのでは無いのですか?」 「…っとに…何でアイツが居るんだよ…」 縷紅の問いには応えず、一人ごちる。 「意外な展開でしたねぇ。まぁ助かったと言えば助かったんですが」 「勝手過ぎるだろ…」 「おや?人の事言えますか?」 少し揶揄するつもりで言ったが、反応は無い。 「…どうして素直に喜んであげないんです?」 やはり何も応えが無いと見て、縷紅は踵を返した。 黒鷹の後を追うのだ。 あの分だと拗ねているだろう。 「今晩にでも天の基地へ攻め込んで――勝負をつけます」 「縷紅」 「何でしょう?」 「…いや…気を付けろよ」 縷紅はふっと笑って扉を開けた。 光が差し込む。 「二人の働きを、無駄にはしません」 縷紅が行ってしまう音を聞いて、隼は上体を起こした。 「大丈夫か?」 緑葉が水の入った器を差し出す。 「…本当に、生きて帰れるとはな…」 器を受け取りながら、隼は呟く。 「生きて帰れなくてどうすんだよ」 当然と言わんばかりの笑みで緑葉は言う。 水を飲む。 乾いた喉に、冷たいものが通ってゆく。 「そりゃあさ、もうダメだって俺も何回か思ったけど」 「悪い…そういう事じゃない」 言われて緑葉は怪訝な顔をする。 「生きて帰るつもりではいた…。でもそれ以上の事は…帰った後の事は、考えてもなかった…」 器に広がる水紋を見つめる。 そこに映る自分の顔は、歪んでいる。 「どこかで、これで終わると思ってたんだろうな…」 「終わってないだろ。せっかく生きてんだ、もっと嬉しそうな顔しろよな」 「…出来ねぇよ、そんなの」 「何でだよ?大事な友達なんだろ?せっかく会いに来てくれたのに追い返しちまって。分っかんねぇな」 「お前達に解る訳ねぇだろ!!」 突如、声を荒げた隼を、緑葉は驚いて見やる。 「…悪い。八つ当たりだな、こんなの」 ばつが悪そうに顔を背けながら、隼は謝った。 「気にするなよ。そんな日も有るさ」 努めて明るく言い放つ緑葉に、隼は呟く。 「…怖ぇんだよ」 「怖い?」 何かの冗談に聞こえて、薄く笑いながら返す。 だが、その表情を見て、それが本心だと気付いた。 「何が」 「…何だろうな…」 的を得ない答えに眉を潜める。 緑葉の疑念を察し、隼は考え考え自分の心情を言葉にした。 「死ぬ事…いや、何もせずに生きる事が…無力になる事が、怖い」 「――」 「もう…死を待つだけの俺を、黒鷹には見せられない…」 「だから…か?」 あんな事を言ったのは、その為か、と問う。 本心ではないのなら、尚更酷な態度だと思えた。 「側に居れる資格が無いのは、俺の方だ」 自らに言い聞かせるように呟く。 「側近という役目も無くなった今、俺がアイツの横に居る理由は…無い」 「どうして…」 「辛い思いをさせるだけだ…きっと」 黒鷹の兄は病死したと聞いた。その為に同じ齢の自分が側近として呼ばれたのだが。 今の己の姿は、その兄に重なるのではなかろうか。 ならば、同じ思いを二度も味あわせたくはない。 「死を悲しませるくらいなら、二度と顔も見たくなくなる程嫌われた方が…気が楽だろ?」 嘲笑は、喉に引っ掛かって上手くいかなかった。 緑葉はそんな隼を無表情で見つめる。 志半ばで病に倒れる、その辛さは測り兼ねる。だが。 「そんなの勝手過ぎるだろ…」 静かな言葉は怒りを孕んでいる。 それに気付かぬ程、隼は鈍くはない。だが、応えはしない。 ――当然だ。 この状況で、この弱い自分が、許される筈がない。 「大体死ぬとか言うんじゃねぇ!!まだ決まった訳でもねぇし、皆お前に生きて欲しいって願ってんだよ!!その想いを踏みにじるのもいい加減にしろ!!」 隼は、怒鳴られ胸倉を掴まれるのに甘んじていた。 抵抗する体力も理由も、権利も無い。 「聞いてんのかよ!?」 「…ああ。分かってる」 「何が」 「俺が弱いからいけないんだ。弱い奴から死ぬのは当然だろ」 衝撃が頭に響いた。 緑葉に頬を殴られたらしい。一瞬の事で何が起こったのかよく分からなかった。 ただ、じんわりとした痛みだけが残る。 「――だから、さ」 寝台に倒れた状態で、隼は続ける。 「お前も俺なんかに情移すなって…」 独りで死ぬ筈だった。世界など知る、ずっと前に。 それが生きて、ここまで来れて。 それだけで十分だと、隼は思った。 それ以上は望まない。誰かの中に自分の存在を残して逝くなど、そんな筈では無かった。 独りで死ぬなら、元通りだ。 地に棄てられ、国と国との遺恨の犠牲として果てるべきだった、あの時に。 「馬鹿」 懐かしい声がした。 「人様の手まで煩わしてんじゃねーよ、恩知らず!」 ぱさりと、隼の上に何かが降ってきた。 縷紅に預けた髪の束。 「お前は死なさねぇ。俺が、絶対に」 「何でだよ…」 今しがた出て行った筈の黒鷹が、出入口に仁王立ちになっている。 「全部聞いてたのか?」 嫌な予感をそのまま疑問にしてぶつければ。 「悪いか?」 開き直った態度に、隼は何かを諦めた。 「スミマセン、私が勧めたんです」 黒鷹に続いて入ってきた縷紅が、これまた悪びれずに言った。 「てめ…」 「緑葉と二人きりなら本音が聞けやしないかと思いまして」 「良かったなー隼。殴ってくれるオトモダチが出来て」 「…俺はてめぇらを殴りてぇんだけど…」 苦虫を噛み潰して無理矢理飲み込まされる気分の隼。 「どこから聞いてた?」 問いに、黒鷹は微笑するだけで応え、寝台に腰掛けた。 仰向けの隼に斜めに背を向ける形になる。 「本音じゃないのは判ってた」 先程、黒鷹を天幕から出させた言葉だ。 「でも何でそんな事言うのか分かんなくて。…だから、聞けて、安心した」 そこまで言うと、肩越しに振り向いて隼を見た。 「例えお前が嫌がっても、俺がお前の側に居る。お前がどこに行っても、ついて行くから。だから…」 今までに無く、切実な眼で。 「生きていてくれよ…」 あまりにも。 あまりにも、遠くに行ってしまい、側に居る事すら叶わなかった人達。 だから、その願いの切実さは、よく――痛いほどよく、知っている。 「…クロ、悪い」 それでも。 「生きるかどうかは、俺の決められる事じゃない」 「だけどっ――」 「報いだから」 決意の固まった、揺るがない緑の瞳。 吸い込まれそうだと、どこかで思った。 「戦を始め、多くの命を奪った――俺の、報いなんだ、これは」 「…それなら…」 分かる。理屈は。 元は隼が自分に頼んできた事だ。だが。 「俺が受けるべきだろう…」 責任を負うべき“王”は自分だ。 「もしこの世に神が居るなら、そいつは賢明だな。誰が罪を負うべきかよく判っている」 「――違う」 「お前は」 黒鷹の言いかけた言葉を遮って、隼は少し声を上げた。 そして、言い聞かせるように、優しく、淡々と続ける。 「お前は、その後を、きちんと見守る役目がある」 「…独りで、か…?」 「ああ。でもお前には居るだろ?仲間ってヤツが、大勢」 「お前もその一人だろ!?なぁ…頼む。ずっと――」 すっと延ばされた右手。 人差し指で塞がれた唇。 「…言うなよ。辛くなるから」 「……」 「この戦で死んでいった人達に…俺がのうのうと生きてたら、顔向け出来ねぇよ。それこそ辛いだけだ」 奮い立たせるように、言い聞かせるように、詫びるように。 隼は微笑った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |