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月の蘇る
  6
 太陽が高く昇って眩しかった。
 いつもの野宿のように背中の下は地面の感触。毛布一枚が体に掛かっていて。
 寝過ごしたと思った。そんな経験はほぼ無いが、こんな時に限って。
 こんな時?
 今は何をすべき時?
 何があった?
 眠る前に。
「――朔!?」
 がばっと起き上がる。
 隣に眠る顔があった。
 眠ると言うよりも、意識を無くしていると言うべきか。
 苦しげに喘いでいる。頬の赤みからして高熱が出ているのは見て取れた。
「気がついたか」
 声に驚いて視線を巡らせた。
「…燕雷?」
 器に入った水を差し出される。
 思わず受け取って、混乱する頭をどうにか整理しようと。
「どうして?」
「お前らを助けに来た」
「でも」
 何故居場所が分かったのか。
 燕雷の視線が横に向けられる。
 太い木の幹。その向こうから紫煙が立ち昇る。
 ちらりと、顔がこちらを向いた。
「暗枝阿陛下!?」
 思わず声を上げる。
 すぐに紫煙の中に顔は隠れた。
「つまりは、あいつに案内して貰ってお前らの居場所も分かったって事。ほんと便利だよな」
 舌打ちが聞こえた。
「あ…の、ありがとうございます」
 木の向こうに波瑠沙は言って、燕雷に向き直る。
「繍の隠密にやられた。朔は訳の分からない罠に掛かって…」
「地雷だ」
 木の向こうから暗枝阿は言った。
「地雷?」
「どうやらこの国は火薬の作り方をいち早く知ったらしい。これは面倒だぞ」
「火薬…?」
 波瑠沙には分からない事だらけだ。
 暗枝阿はまた顔を覗かせて、片腕を挙げた。
 その先の手には、何やら鉄で出来ているらしい筒状のものが握られている。
「見てろ」
 言った瞬間。
 鋭く大きな破裂音が響いた。
 耳に響く。独特の臭いと共に。
「この爆発の力が火薬だ。海の向こうで作られた。この殺傷能力は刀など及ばない」
 言いながら、地面を顎で示す。
 撃たれた鳥が落ちていた。
「可哀想に。今夜の晩飯にしてやろう」
 燕雷が立ち上がって回収する。
 波瑠沙は驚きの余り言葉が無い。
「地雷はこの火薬を仕込んだ物を地面に仕掛ける。踏めば火種が引火するようにな。火薬と共に鉄片も仕込んであったんだろう。爆発と共に鉄が体に食い込むようになっている。タチの悪い罠だ」
 説明を聞いて鋭く息を吸い、朔夜の体を検めた。
 確かに傷だらけだった。まだ鉄の食い込んでいる箇所も少なくない。
 毛布を捲ると、膝から下は骨が見える程に抉れていた。
「っ…!」
 あまりの悲惨さに口元を抑える。
 元通り丁寧に毛布を掛けて。
 苦しげな顔を撫でる。
「よく死なずに耐えたよ」
 燕雷は落ち着いた声音で言った。
 そして少し笑って。
「一ぺん目が覚めたんだ。昨日の晩に。朦朧としながらお前の傷を治して、またばったり倒れた」
「馬鹿っ…!」
 苴で全身の骨を折って動けなくなった時と同じだ。
 こちらの治癒を優先して、自分の傷は治らなくなる。
「それだけお前の事が好きなんだよ」
「知ってるよ、そのくらい!でも馬鹿だ!」
 やり場の無い怒りを声に込めてぶつける。
 高熱で喘ぐ顔にそれは向けられない。
 手は、優しく頬を撫でながら。
「朔、私の事は良いからお前が戻って来い。お前の戦いだろ?華耶を早く助けてやれよ」
 閉じられた瞼が少し動いた。が、開く筈は無かった。
 代わりに燕雷が口を開いた。
「華耶の事…知っているのか」
 波瑠沙が頷く。
「隠密が吹いているだけかも知れないが」
「いや、事実だろう。俺は灌で聞いた」
「この国に居るって?」
 燕雷は頷き、紙を渡した。
「これは見たか?」
 影が朔夜の身の上に置いて行った手紙。
 波瑠沙は首を横に振り、受け取って開いた。
 溜息と共にそれを閉じる。
「これも事実か?」
「それは分からんが…可能性は多いに有るだろう。何せ、彼女は以前朔を操る為の人質にされ、桓梠に手を付けられている」
「それで朔は奴にぶち切れてんのか」
 少し笑って。
「…早く救ってやりたいな」
 女だからこそ、この地獄は理解出来る。
「何にせよ、動くにはまだ早いぞ。朔もまだ目覚めないし、少し休め」
 燕雷の忠告に頷き、手にしていた水を一気に飲んで。
「動き方を考えておく。晩飯は作ってくれるんだろうな?」
 燕雷は鳥の足を掴んで少し持ち上げた。
「鳥粥にでもしようか」
「美味いのかな。ま、期待しておくよ」
 笑って、再び身を横たえた。

 憎い腕で抱かれる事にはもう慣れ過ぎてしまった。
 体の中を汚される事にも。
 拒もうにも拒めない。そうすればするほど逆効果になる事は知っているから、無駄な事はやめた。
 従順な体に相手は気を良くしたのか、毎晩やって来る。一度ならず飽きるまで抱かれる。尤もそれは灌の時と同じだが。
 汚れた体に一人静かに絶望して朝を迎える。気絶するように眠りながら。
 やらされていた事は違うけど、以前の朔夜もそうだったのだろう。
 何も気付いてあげられなかった。まだ子供だったから。
 否、子供だからこそ察してあげられる事もあった筈だ。だけど目を背けてしまった。
 怖かった。
 梁巴で最後に見た彼の姿が目に焼き付いているから。
 朔夜だけど、彼ではない姿。
 冷たい目をして、表情一つ変えず、人の命を奪う。
 悪い夢だと思っていたかった。
 だから、受け入れられなくて。
 同じ立場になって、やっと後悔している。
 苦しみ喘いでいる姿で差し伸べたくても伸ばせない腕。自分が汚れていると知っているから。
 だからこそ、こちらから手を取って引かねばならなかった。
 幼い彼の絶望の目を。裏切られて傷付いた顔を。
 包んであげていれば良かった。
「何を考えている?」
 耳元で問われた。
 体は勝手に反応する。もう意識を傾けずとも良いくらいに慣れている。
 その意識を戻させるように強く貫かれ、絶頂に誘われた後、力が抜けた。
「奴の事だろう?」
 せせら笑う声が空っぽの頭に流れ込む。
 答えられる気力など無い。尤も答える気は無い。
 桓梠は勝手に喋り続けた。
「お前の命乞いの手紙は無事届いたらしいぞ。尤も、受け取った側は無事では無いが」
 視線を向ける。剥き出しにされた感情で、動揺は隠せなかった。
「死にかけているようだ。影は殺す気だったらしいから仕留め損ねたとは言っていたがな」
 瞳が揺れる。体も震えた。
「どうした?憎いのでは無かったのか?」
 撫ぜる手に別の形で体が震えた。
「憎しみ故に愛していると言うのか?それとも逆か」
 耳朶に舌が入れられる。その熱さのまま、言葉が紡がれた。
「まだ好きなんだろう?」
 違います、と口元で囁く。
 声にはならない。喉が詰まって。
「お前の好きな男はな、今、全身から血を流している。鉄の破片が傷に食い込んで、その毒を受けながらな。足などは千切れて骨まで見えているそうだ。痛かろうなあ。痛みの余り熱を出して倒れているらしい。尤も歩く事などもう不可能だろうが。傷が治るまでお前の元に来る事など出来ない。治るまでどれだけかかるか知らないが」
 聞かされる程に総毛立つ。火照っていた筈の体が急激に冷やされる。
「だがお前に一刻も早くなどと言われたら、あの餓鬼はどうするか…明白だな」
 無理をしてでもここまで来る。朔夜はそういう優しい人。
 その性格を逆手に取る真似をして。
 それを選んだのは自分だ。書いたのはこの手。
「泣いているぞ?」
 雫を舐め取られる。
「誰の為に泣く?哀れな自分の為か?」
 それでも良かった。もう。
 どんな形でも良い。この悪夢から覚めたい。
 朝日が窓の隙間から差し込んで、苦しい夜の終わりを告げた。
「灌王には包み隠さず報告してやろう」
 厭な笑みで告げ、桓梠は衣を羽織って出て行った。
 一人になった寝台の上で。
 身を捩って泣いた。声を殺す必要ももう無かった。
 誰か。
 私の代わりに彼を救って。
 この命を返しても良いから。
 あなたとの約束は、果たせなくても良いから。

 粥を口の中で更に柔らかくして、愛しい口へと流し込む。
 無意識の中で飲み込まれる動きを見て、少し安堵した。
 月光は体を包んで優しく光っている。
 こつり、と微かな音がした。肌から弾き出された鉄片が地面に落ちた音。
 生きようとする体。波瑠沙は頷いた。
 そうでなくてはならない。
「出来れば最後に抱いてやりたかったが、そうもいかないな」
 あながち冗談でもなく口にすると、燕雷は笑った。
「目は背けていてやるから良いぞ?やっても」
「馬鹿言え。助平ジジイが」
「お前に言われたくないなあ」
 鼻で笑って、自分の糧を掻き込んで口に入れる。
「しかし本当に…良いのか、それで」
 溜息を吐きつつ答える。
「華耶の無事が優先だ。龍晶にも託されちまってるし」
「それは重いなあ」
「全くだ。無理難題押し付けやがって」
 悪態を吐きつつも満更ではない。
 殆ど初対面だったあの時の約束は、信頼もそのままにまだ生きている。
 彼女達自身の友情も加わって。
「だが、お前自身は大丈夫なのか?」
「体は治った。朔の馬鹿のお陰で」
「いや、そうじゃなくて」
「何だよ?貞操の心配をしてくれてるのか?今更だからな、そんなの」
「そうかも知れないけど」
「こんなの華耶がやる役回りじゃねえんだよ。私がやる事だ。代わってやらなきゃ」
「うん…でもさあ」
 燕雷は眠る朔夜を見ている。
 月の光に包まれている間は熱も下がるらしい。楽な寝息でぐっすり眠っている。
「そうだな。心配するならこいつの方だ。頭に血を上らせないように見ててやってくれ」
 波瑠沙が寝顔を見る表情は穏やかだ。
「それこそ無理難題な気がするが」
「じゃあ嘘でも吹き込んでやれよ。私はお前を裏切ったんだって。どう考えても向こうの方が条件が良いからな?」
「ええ…?」
「生き残る可能性の高い方を選んだって言ったら、そのまま素直に飲み込んじゃうよ。こいつは」
 燕雷は複雑な表情で頬杖をつく。
「少なくとも体がちゃんと治るまではそう言ってやれ。そうじゃないとこいつはまた絶対馬鹿をするから」
「まあ…それは分かるけど」
「ちょっとヘコませとけよ。失恋も経験だ」
 思わず燕雷は笑って、頬杖を崩した。
「確かに本格的な失恋はした事無いだろうな、このお子ちゃまは」
「だろ?だからいつも馬鹿真っ直ぐなんだ」
「どう変わるか楽しみだな」
 目を見合わせて含み笑いをする。
 その変化を果たしてこの目で見る事が出来るだろうか。
 必ず嘘は取り消すつもりで居るが。
「ああ、そうだ」
 腕を伸ばして自分の刀を手に取る。
「こいつは預けとく。武器の類は全部取り上げられるだろうし、そのまま盗られてもいけないから」
「えー、こんな馬鹿重い物をかあ?」
「はあ?渋るのかよ。お前も非力か」
「いや、邪魔…」
「ああん!?」
 凄まれて掌を振った。
「済まん済まん!大事な物なんだよな、うん、親父さんの形見」
「叩っ斬るぞ、ったく」
「それはやめた方が良い、うん」
 燕雷が青い顔に笑顔を貼り付けて宥めていると。
「俺が預かろう」
 救いのように物陰から声がした。
「え?お前そんなに人が良かったか?」
 虚を突かれて暗枝阿に問う。
「だからそんなに殺されてえのか、貴様は」
 こちらにも言われてしまう。
「いや、全然。朔曰く、俺は楽天主義の権化だから」
「言い得て妙だな」
 笑って波瑠沙が頷いた。
 そして差し出された手に恭しく刀を預ける。
 暗枝阿はすっとそれを抜いた。
 月光と焚火に反射して幅広の刃はぎらぎらと光る。
「元々これは俺の刀だった」
「えっ」
 目を見開いて。
「そうなんですか…!?」
 哥王は頷く。
「戦の恩賞として俺の右腕だった男に下賜したものだ。家臣と言うより、友ではあったが」
 そして波瑠沙を見て。
「お前の祖先に当たる男だ」
 驚くべき話に必死に考えを巡らせる。
「確かに、先祖代々伝わる宝刀だからと…明紫安陛下には言われていました」
「それ以上の説明をしなかったのか、あいつは」
 姉の考えを軽く笑って、それをも断ち切るように大刀を振った。
 波瑠沙が振る時以上に鋭く大きく空気が鳴る。
「建国の戦の将だった。父の始めた戦を引き継いだ俺はまだ若かった。己が力を振るう事以外に知らなかった。あいつが居なければ兵を率いる戦など無理だっただろう。助けられたよ」
 人間離れした人の人間らしい話に波瑠沙も燕雷も目を見張る。
「…これを渡した後、死んだがな。戦の中で、俺を庇って」
 光を反射していた目に、闇が戻った。
「斬られて死んでも生き返る俺を。全く無意味な死だった…」
 波瑠沙は眉根に力を入れて朔夜を振り返る。
 そんな死に方を彼は求めないだろう。暗枝阿と同じく。
 無意味だと言われるくらいなら、何が何でも生き残らねばならない。彼自身の為に。
「あいつの子供はまだ小さかったよ。この刀を渡されて、お前と同じように苦労して持っていた。その息子も立派な剣士となった」
 ふっと波瑠沙は微笑む。
 そうやって繰り返され、伝えられた血脈。
 顔も知らないけれど、確かに存在する。
「剣士は命懸けで主を守る為に存在する。俺の友もその運命に従ったのだろう」
 波瑠沙は頷く。
「私の主は明紫安陛下ですが」
「今は違うだろう?」
「必ず生きて陛下の元に戻ります」
「分かった。お前に直接返せねば、この刀は明紫安の元に預けておこう」
「お願い致します」
 片膝立ちで頭を下げて。
 燕雷が顔を引き締めて言った。
「皓照の狙いははなから朔一人だった。奴は宗温を斬って戔軍まで手中に入れた。何処の軍だろうが油断するな」
「…なるほど。分かった。宗温は生きてる?」
「ああ。斬って自ら治癒はしたからな。そろそろ目覚めているだろう」
「それなら良い」
 頷き、短刀を抜いて確かめる。
「元より周囲は全員敵の覚悟だった。私の人生はずっとそうだ。信用出来る数人以外はみんな敵」
「そういう生き方が朔に通じたんだろう」
 ふっと笑い、暗枝阿を見て。
「陛下がここに居て下さるという事は、哥は信用して良いという証。帰る場所のある事は有難い事です」
「明紫安はお前を実の娘のように思っている」
 顔を背けながら彼は言う。
「そうでなくては俺も動かなかった」
 再び臣下として頭を下げる。
 暗枝阿自身は主従と言うより、姉や友の大事な娘として見ているのだが。
 頭を上げ、朔夜に向いて。
 その顔を、頭を撫で、そっと顔を近付け、頬を寄せて。
「またな。焦らずゆっくり会いに来い」
 耳元に呟いて、さっと身を起こした。
「では」
 暗枝阿に今度は軽く頭を下げ、燕雷には悪戯っぽく笑って。
 燕雷は手を挙げて応えた。暗枝阿は横目に見て頷いた。
 朔夜は相変わらずでぴくりとも動かなかったが、その愛おしい寝顔を目に焼き付けた。
 闇の中へと踵を返す。
 愛する男達に代わって、華耶を守る為に。


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