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月の蘇る
  10
 朝日が山の端に覗いた頃、本陣である村の跡へと戻ってきた。
 波瑠沙に背負われている朔夜を見て、宗温も燕雷も一瞬凍りついた。
「寝てるだけ」
 苦笑いで波瑠沙が言うと、あっという間に弛緩したが。
「無事でしたか」
 気が抜けた分を微笑に変えて宗温が問う。
「ああ、無傷だ。とりあえず今のところはな」
「敵軍は一時撤退したようですが」
「朔が言うにゃ、今からが本番だとよ。悪魔が寝こけている間が」
 実際、目の前で寝こけているので理解は早い。
 波瑠沙は背中の荷物を一旦庵へと置いた。
 まだ目覚めない。子供のようにぐっすり眠っている。
「それを分かってて寝てるのか、こいつは」
 燕雷が寝顔を見下ろしながら苦笑して言った。
「私が寝ておくように言った。出来るだけ体力を回復させて敵に当たらせたい。悪魔不在だとタカを括ってる奴らに泡を吹かせてやる」
「成程?起きれば良いけどな」
「大丈夫だろ、多分」
 背中に負わせていた自分の刀を取り、朔夜の横に腰掛けて。
「敵がどれだけ減ったか分かるか?」
 宗温に問う。
「およそ二千だと報告が来ています。動いていたのは四千」
「お、良い読みだったな」
 自画自賛して、腕を組み考える。
「残りは八千…夜に戦った兵の全てが動ける訳じゃないだろうから、七千くらいか」
「いけますか?」
「他人事みたく訊いてんじゃねえよ。お前が腹括れ」
 宗温は一瞬言葉に詰まる。
 波瑠沙は更に押した。
「こいつは全部自分でって思ってるけどな、土台そんなものは無理だ。この小さい背中にどれだけ背負わせる気だよ?」
 別の小さな背中が脳裡に見えた。
 あの背中に様々な重石を乗せていた。無意識のうちに。
 そして、還らぬ人となった。
「…分かりました。我々もあなた達と共に刀を振るいましょう」
 波瑠沙は頷き、庵の中に入って朔夜に毛布を掛け、自分も横になった。
「敵が来たら起こしてくれ」
「分かりました」
 宗温と燕雷は目を見合わせてその場を離れる。
「彼女が言う事は正論ですが…」
「朔はそれをしたくなかったんだろうな」
 宗温は頷く。
「しかし、甘い事は言っていられない」
「まあな。だが被害は抑えるに越した事は無い。まだ先がある」
 宗温は何か言いたげに口を開き、それを溜息に変えて穏やかに言い直した。
「矢張り繍の都まで行かねばなりませんか。我々は」
「毒をくらわば皿まで、だろ」
「毒ならばここで止めるという手もありますが。失いたくないのなら」
 都に行くのは危険な気がしてならない。
 桓梠の掌の内で、朔夜がどうなるか。
「一人でも行くと思うがな、あいつは」
 分かっていて燕雷は言った。
「だがまずは今日だ。この戦い次第で考える事もあるだろ」
 宗温は頷いた。

 一刻も寝ていただろうか。
 燕雷の声で目覚めた。
「来るぞ」
 すぐさま波瑠沙は起き上がった。
 差し出された飯を食いながら、朔夜を揺り起こす。
「朔!敵だ」
 がばりと起きた。
 そのままの勢いで刀に手を掛けたが、はたと居場所に気付いて照れ笑いした。
「ここに敵が居るかと思った」
「寝惚け眼で斬られるかと思ったよ、こっちは」
 苦い顔で波瑠沙が言う。あまり冗談にならない。
 波瑠沙と同様に握り飯を受け取って口にしながら、宗温の元へ行く。
 朝の光が燦々と山々を照らしている。
「規模は?」
 顔を合わせるなり宗温に問うた。
「六千を昨晩同様、二手に分けて来ています。先頭は落とし穴を探りつつのようです。梯子代わりに丸太も持っているとか」
「なるほど?でも落とし穴だけじゃないもんね」
 悪戯っ子の如く言い放って、彼らが囲む地図の一点を指した。
「この川を渡らせる。敵を川の中に引き込んだら上流の堰を切るよう賛比に言ってある。繋ぎに一人欲しい。矢を放って報せて貰う」
「私が」
 団雲が名乗った。
 朔夜は頷いて、宗温に対して続けた。
「敵はこの本陣目指して集まって来るだろう。手前のここにある広場に閉じ込めるんだ。道に岩を落とすようにしてある。閉じ込めた敵を俺が片付ける」
「我々は敵に見えるよう布陣しましょう。猪の如く突っ込んでくるように」
「ああ。でも気をつけてくれ。この辺の高所を取られたら弓矢の餌食になり兼ねない」
「心しましょう。兵を伏せておきます」
「うん。あとは任せとけ」
 踵を返そうとした背中を。
「朔夜君」
 まだ何があるかと振り返る。
「最早君だけの戦ではありません。我々に頼っても良い事を、お忘れ無く」
 目を見開いている朔夜の横で。
 にやっと波瑠沙が笑った。
 天幕を出て、日の眩しさに目を細める。
「よく寝れたか?」
「うん。お陰様で」
「総督も言ったが、無理はするな。お前がやらなくてもあいつらが倒してくれる。数の上では有利になったんだ」
「いや、そこまで頼る気は無いよ。戔軍に被害は出さない。一人も」
「戦だぞ」
 呆れて言う。そんな事を言っていては勝負にならない。
「戦だから、だ」
 言いながら引かれてきた馬に乗った。
 言い返そうかと思ったが意味が無いと知り、黙って波瑠沙もそれに続いた。
 見てきた戦が違い過ぎる。自分は数の寡多で戦略を練る群衆の戦。
 朔夜にとっての戦は、多数を己一人で殲滅し、或いは救援する、孤独な戦い。
 だから自然とそういう物言いになり、戦略になる。
 人智を超えた圧倒的な力があればこそ。
 二人は川を目指して走った。
 あの度胸試しの岩を超えて、川の砂州が広がる場所。
 団雲が物陰で待っていた。
 軽く手を挙げて合図する。敵の姿はまだ無い。
「しかし、どうやって引き込む?お前の姿を見たら奴らは寧ろ逃げるんじゃないか?」
 朔夜は肩を竦めた。
「波瑠沙に頼もうかな」
「何を」
「渾身の芝居」
 訝しく見返す。
 勝手に可笑しそうな笑みがある。
「だって、悪魔がもう少しで倒せるって分かったら、奴ら殺到するだろ?」

 落とし穴をなんとかやり過ごし、降り落ちて来る石と矢の雨を超えて、ほうほうの体で辿り着いた彼らが見たものは。
 川の向こう岸で、女が泣いている。
 その彼女が抱いている身から、血が流れている。身体には矢が幾つも刺さっていた。
 女が嘆きながら叫ぶ。
「だから月の無い時に行くなとあれほど言ったのに…!」
 女が抱きかかえるその手元は、銀髪で覆われている。
 間違い無かった。
「月が出るまでまだ間がある、死んでしまう」
 嘆く内容もそれを裏付ける。
「悪魔が…?」
 先頭に立つ兵が隣に確認しようと囁いた。
 それを受けた者は頷く。
「今のうちに始末するぞ」
 そうでなければ、また恐怖の戦を強いられる。
 後続に合図し、走って浅い川を渡りだした。
 女は悪魔を抱えたまま逃げ、叫んだ。
「来るな!繍の悪鬼共!お前達は血も涙も無いのか!?」
 それはこちらから悪魔へ言いたい!誰もがそう思った時。
 地鳴りのような音。
「…なんだ…!?」
 兵達は川の中で足を止めた。
 しかし後続は次々と押し寄せて来る。疑問はともかく渡河を続ける。
 女を追って先頭は河岸に上がり、後続はあらかた川の中に入った時。
 荒れ狂う白い波が押し寄せてきた。
「しまっ…!逃げろ!!」
 しかし水の中の事、上手く足は動かない。
 波は人々を飲み込んで押し流した。
 既に岸に上がっていた者は呆然とその様を見るしか無かった。
 そこへ。
 高らかな笑い声。
 はっと振り返る。
 悪魔は堪えきれないと言いたげに腹を抱えて笑う。
 脇に挟んでいた矢がばらばらと地面に落ちた。
 女の体から降り、自分の足で立って。
「どっちの死に方が良かったかな?」
 ぞっとするような無邪気さで言って、刀を抜いた。

「いや、めちゃくちゃ上手くて鳥肌立った。流石だよ。お陰で笑いを堪えるのが大変だった」
 波瑠沙の演技について。
「小芝居の為に自分で腕切って血を流す奴に言われたくない」
 冷めた目で彼女は言う。
 朔夜は左腕の裏側を見て、そこに残っていた傷痕をぺろっと舐めた。
 もう出血は止まっている。
「貧血になっても知らないからな」
「大丈夫、これだけ寝てれば」
 ったく、と波瑠沙は馬を駆る事に意識を移す。
 川は通行不能となり、後続は道を逸れて山に入った。もう一方の軍勢と合流するのだ。
 そして戔軍の並ぶ本陣を目指す。
 が、その手前で彼らの道は途切れる事になっている。
 その場所に先回りすべく向かっている。
「これで残りは…」
「五千くらいかな。向こうで数が減ってりゃ良いけど」
「八千対五千なら御の字だろ」
「いや、一対五千だね」
「だから、お前…」
「そうじゃなきゃならない」
 強く言い切る。
 波瑠沙は訂正した。
「ニ対五千だ」
 軽く見開いた目でじっと見て。
 ふっと笑った。
「ごめん。そうだった」
「この波瑠沙様を見縊るなよ?」
「怖くてそんな事出来ないよ」
 明るく笑う。少年の声で。
 例の広場に到着した。敵は既に到着し始めている。隊列をここで整えて、本格的に攻め込むのだろう。
 地響きのような雄叫びが聞こえる。宗温が兵達に声を出させているのだ。それを聞く繍兵の顔に不安が過(よ)ぎる。
 二人はそれが見える程近くの物陰に潜み、時を待った。
 程なく殆どの部隊が到着した。五千という程の数には見えない。せいぜい四千か。
 後詰めに残しているのか、それだけ死傷者が増えたのか分からないが。
 まだ列が続いていた後方で、大きな音がした。本物の地響きだ。
 大岩が斜面を勢いよく転がってゆく。それに誘発された土砂と共に。
 まだその道を歩いていた兵らは下敷きとなり、阿鼻叫喚の地獄が発生した。
 それを合図と朔夜は出て行く。波瑠沙も続く。
 既に隊列を整えていた軍勢に踊りかかった。
「敵襲!敵襲だ!」
 敵が口々に叫ぶ。その口を塞いでゆく。
 そんな叫びなど意味が無い。彼らは進む事も退く事も出来ず、当然援軍も来ないのだから。
「悪魔だ!焼き払え!」
 違う種類の叫びに朔夜は刀を振るいながら眉根を顰めた。
 焼くったって、どうやって。
 自分を囲む敵の輪の外側に、火矢が見えた。
 火矢?建物内に敵が潜む時に使うものだ。この乱戦状態で使える筈が無い。
 だが、急に冷やりとした感覚に捉われた。
 桓梠ならば、どうするか。
 その時、現実に液体が掛けられた。陶器の丸い器にそれは入っており、投げられ地面に落ちて次々と割れた。
 思わず刀で払ったそれも空中で割れ、体の上に落ちてきたのだ。
 冷やりとした後、どろりとした感触。
 ――油の臭い。
「波瑠沙!逃げろ!」
 それだけ叫ぶのが精一杯だった。
 火矢が放たれた。
 味方諸共に、こちらに向けて。
 火柱が。
 梁巴が燃える。
 あの時と同じように。
 外から来た人間達によって。
 悪夢が現実と溶け合って一瞬で脳裏を駆け巡った。
 また、あの夜が。
「朔!」
 紙一重で逃れた波瑠沙が叫ぶ。朔夜の声を聞かねば突出して気付かぬ所だった。
 が、その朔夜は炎の中心に。
「朔!」
 もう一度叫ぶ。何でも良い。返事が欲しい。
 こんな時にも敵兵は向かってくる。容赦なく波瑠沙はぶった斬った。
「許さんぞ貴様ら!こんな卑怯な真似…!」
 敵が波瑠沙一人に集中する。悪魔はもう終わったとばかりに。
「死ね!」
 叫びながら斬ってゆく。夢の中のように自在に体は動いた。怒りが感覚を研ぎ澄ます。
 どれくらいそうしていたか。否、一瞬の事だったのかも知れない。
 急に、笑い声が響き渡った。
 炎の中から聞こえるそれは、澄んだ高い声でありながら余りにも不気味だった。
「舐めんなよ!同じ手に二度も掛かってやるかよ!?俺は悪魔だぜ!?」
 人々がはっと息を呑んだ。その瞬間。
 閃光が走った。
 雷にも似たそれは、炎が風に煽られたのだとすぐに判った。
 多くの者が火達磨になり、喚きながら救いを求めて走り、もんどり打ち、そして動かなくなり焼けてゆく。
 残った者は呆気に取られていた。そこを、銀の風が走った。
 首が飛ぶ。次々と、血飛沫を上げながら。
 波瑠沙は本能的に拙いと察した。近くで呆然としていた敵兵を斬り、山の中へ走った。
 身を顰めて様子を窺う。既に広場は炎と血で赤く染まった海だ。
 知らず、震えていた。
 恐ろしい――畏ろしい力だった。そう、神々しくさえある。
 誰も彼に触れられないまま。
 何千という敵は、無になった。
 いつの間にか辺りは夕闇が迫っていた。
 残照に煌めく銀髪がゆらりと揺れて。
 倒れた。
「――朔!!」
 物陰から飛び出て走り寄り、横に膝を付く。
 意識は無い。が、息は有る。眠っているのか。
 今まで気付かなかったが、身体中に火傷をしている。服も黒く焦げ、破れていた。
 思わず空を見上げる。
 橙から藍色に変わる微妙な色合いの中に、細い月が見えた。

 絶望の光景をいくつも目にしながら生まれた村へ戻ってきた。
 知った顔がいくつも死体となって転がっていた。戦い破れた大人も、犯され裸にされながら殺された女も、逃げながら斬られた子供も。
 自分を虐めていた連中も例外ではなく、その死体の中に混じっていた。
 ざまあ見ろなんて思える筈が無い。なんで死ぬんだよと悪態を吐くのがせいぜいで。
 だがもう麻痺していた。自分がそっち側に居ない事の方が不思議だった。
 悲しくもなんともない。
 華耶の姿は無かったから、それだけは安心していた。死んでいるのかも知れないが、そうだとしても死体は見たくない。
 生家に戻る。声の限り、母を呼びながら。
 自分によって作られた死体の道を戻って。
 その部屋へ入った。
「母さん…」
 生きていた。
 最低限、衣を体に掛けて。生気の無い顔で息子を見て、微笑む。
「朔夜」
 広げた腕の中に抱きついた。
 泣いた。これまで押さえ殺してきた感情が爆発して、涙になって流れた。
「母さん、俺…」
「うん、もう良いの、朔夜。もう良いのよ」
 何が?
 何がもう良いの?
 問えず、その顔を見て。
 彼女は朔夜の腰に付けていた刀をするりと鞘から取った。
「母さんと同じ事をして」
 意味が分からなかった。
 言われるままに、もう一方の短剣を手にする。
「朔夜。これから父さんの所に行くの。ここに居てもまた次の悪い奴が同じ事をしに来て、もっと恐ろしい目に遭うから。一緒に行こう?ね?」
 頷く。
 もう分かった。
 するべき事。
 刀を片手に握りながら、母の手が顔を撫でた。
「愛してるよ、朔夜。怖くないからね」
 ごめんね、と。
 唇は声にならず言葉をなぞった。
 互いの首筋に刃を当てて。

 俺がやった。
 母さんを、殺した。


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