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月の蘇る
  3
「お前、そうは言うが…大丈夫なのか。梁巴には帰れないって自分で言ってたのに」
 燕雷の疑問と心配は尤もだった。
 朔夜はふっと笑う。自嘲にも似た口元。
「餓鬼だった自分を捨てるんだ」
 呟いて、強い目に戻って。
「これ以上の場所は無い。国境線は山脈が分断してる。唯一、人が踏み入れられるのがここだろ」
「そうだが…」
 そういう梁巴の特色があったが為に、悲劇の場所となった。
 その悲劇が生み出した彼が言う。
「繍を滅ぼす為なら手段は選ばない。漸く同胞の弔いが出来るんだ。これ以外の場所は無いんだよ」
 もう一度言う。自分に言い聞かせるように。
「しかし…朔夜君。根本的な問題として、矢張り兵を動かす事は難しいかと」
 宗温の一言に弾かれたように振り向き、目を見開いて問い返す。
「なんでだよ!?戦にはしない!お前の兵はそっくりそのまま返す!何が不満だ!?」
「それです。…私の兵ではない」
「は…!?」
「国の元に集った兵です。私の一存では動かせない。王の許しが無ければ」
 元の席にどさりと座り、口元に手を当てて考える。
「…鵬岷が決められる訳じゃないんだろ?」
「ええ。実質的な権限は宰相が握っています。碑未(ヒミ)という男です」
 小さく頷く。
「鵬岷が龍晶と会った時に言ってた。何もさせて貰えないってな」
「ええ。陛下はまだ年若い。誰かが支えねばならぬのは確かですが」
「それで他所者に良いようにされて、支えるって言えるか?あいつが命懸けで作り替えた戔を壊されてるだけだろ」
 その命懸けに付き合ってきた臣である三人が、やるせなく目を伏せる。
 矢張り間違っている。こんな事は。
「その碑未って奴を俺が殺そうか?」
 酷薄な笑みを口元に浮かべて朔夜が言った。
「やめましょう、朔夜君…。君の居場所が無くなるだけです」
「別に良いけどな。どうせ戦場にしか居場所は無いんだし。だけど確かにまだ殺すには早い」
 視線を上げ、正面の宗温を射竦める。
「鵬岷に会わせてくれ。今どこに居る?」
 彼は緩く首を横に振った。
「それが、無理なのです。形ばかりの朝議以外は後宮にお篭りになって出て来ない」
「…やっぱり閉じ込められたか」
 これも以前彼自身が言っていた。碑未に逆らえば皇后と共に後宮へ閉じ込められると。
「そういう坊ちゃんにどこまで力があるかは怪しいが…掛け合ってみる価値はあるな」
 言いながら隣の波瑠沙に視線を送って。
「髪切らなきゃ良かった」
「大丈夫だよ。十分可愛い」
「結い上げるには短過ぎるだろ」
「薄絹を被れば誤魔化せる」
 桧釐が思わず口元を引き攣らせて言った。
「後宮に忍び込む気か」
「前は鵬岷以外にはバレなかった。何とかなるだろ」
「そりゃまあ、お前の顔ならな。にしても自らその手を使うなんて」
「使えるものは全部使うんだよ」
 それだけ腹を括ったという事だ。
「私は黙認します。何も聞かなかったという事で」
 苦笑いで宗温は言う。
「そうしてくれ。お前と鵬岷が同じ事を言い出せば、その宰相野郎も無視は出来ないと思う」
 宗温は頷く。
「先に私から軍事演習の奏上をしてみましょう。陛下はそれに乗るという形が良い」
「それでも碑未の野郎が聞き分けなかったら、俺が直接脅してやる」
 息を吐いて、もう止める事は出来ないと悟りながら。
「…失って、変わりましたね。君は」
 赤い唇に笑みを浮かべて。
「漸く分かったんだよ。これまで通りの甘さじゃ何も守れないって」
 言って、閉じた口元は悔しさに震えていた。
「これだけ大きな犠牲を払わなきゃ俺は気付かなかった…。遅過ぎたけど、無駄には出来ない」
 席を立つ。波瑠沙も続いた。
「総督、前の部屋を使わせて貰って良いか?」
 彼女の問いに宗温は微笑んで頷く。
「どうぞ。まだ空いていますから」
「うん。勝手にやらせて貰うな。あそこの難点は寝台が狭過ぎる事だけどさ、二人抱き合うにゃ」
「波瑠沙っ!!しーっ!!」
 また赤くする頬を撫で回して波瑠沙は笑う。そうしながら出て行く。
 前王の臣が三人、残って。
「意志の強さは伝わりますが…危ういですね」
 宗温の感想に燕雷は諦めたように頷いた。
「止められねえよ、今のあいつは」
「俺はあいつの意志に賭ける」
 桧釐は言い切った。
「身内をこんな形で失った以上、指を咥えて見ておく事は出来ないからな。自分で動けない以上は、あいつの為に出来る事をしてやるつもりだ」
「…気持ちは分かります」
 何処か虚しく笑って。
「私が一介の兵士ならば彼と共に繍を討ちに行くでしょう。憎いのは同じだ。しかし、今の立場では…それが龍晶陛下のご遺志を裏切る事になる」
 燕雷は頷いた。桧釐は溜息を零した。
「不満があっても死んだら何も言えない。なら生きておけって話だ」
「…まあ、そうなんですが」
 朔夜が散らかした駒を片付けようと手を伸ばす。
 梁巴。彼の覚悟を示す場所。
 再びそこを血の海とする事を、龍晶も朔夜自身も望まないだろう。
 それでもやるのか。
「龍晶陛下を悲しませるような事にならねば良いのですが」
 燕雷だけ、頷いた。

 必要な物は桧釐が手を回してくれた。
 波瑠沙と共に、再び後宮へ。中は更に趣味が悪くなっている。
 一体誰の指図なのか。更に派手派手しくなった庭と建築物を見ながら。
 龍晶に出入り自由とされていたあの頃が懐かしい。
「何者か」
 すれ違った女官に声を掛けられた。
 その辺の女官とは格が違うと、身に付けているものが語っている。
 咄嗟に波瑠沙は答えた。
「陛下の縁者に御座います」
「陛下の?どのような縁者か」
 ちらりと隣の外見だけは可愛らしい朔夜を見て。
「陛下が幼き時よりの知り合いです。灌より参りました。一目、お会いしたく」
 女官が朔夜を覗き込む。重ねた年齢分の貫禄のある女だ。覗かれる朔夜は少し後ろに退いた。
「お幾つか?」
「十三です」
 波瑠沙が答える。内心で猛抗議だが、勿論表には出さない。
「陛下の一つ下。成程」
 勝手に女官は頷く。納得しちゃうのかと何処かでがっかりしながら。
「幼きゆえに自分で口が利けぬのか」
「お許し下さい。初めて相見える方の前では緊張してしまうご気性なのです」
「それでこの後宮で渡り合えるとでも?陛下の庇護を受けられると思いなさるな」
「重々承知しております。しかしこの面会、陛下より望まれて実現したもの」
「何?」
「一目だけ会えれば満足なのだそうです。どうぞお目溢し下さい」
 女官は上から少女となった朔夜を見下ろし、睨み付け、鼻で笑った。
「子供にはどうこう出来ませんね。お行きなさい」
 頭を下げ、回廊の奥へと足を急がせる。
 何とも言えない情けない視線を受けて波瑠沙は吹き出した。
「そのナリでここに来る以上はこうなるって分かってたろ?」
「ここまで言われるとは思わないだろ。みんな目がおかしいって」
「失礼な。お前が綺麗な顔してるせいだ。私の切り返しは完璧だったぞ」
「灌から来たって、いくらなんでもバレるだろ」
「いや?さっきのは苴の女官だろ。皇后付きだ」
「なんで分かんの?」
「苛ついてたろ。皇后の立場を守らなきゃならないからな。側女なんか皆敵だ」
「はあ」
 あの短時間でそこまで分かる彼女は素直に凄いと思う。
「私に危機を救われた。言う事は?」
「ありがとうございました」
 まるで子供の躾だ。尤もなので朔夜も従うが。
 後宮でも特に広く大きな建物。龍晶も使っていた王の居室だ。
 勝手知ったる様で中へと入る。
 中に居る女官はちらりと目を向けるが、特に関わり合わず自らの仕事を続ける。
 ここに居る者が皆家族のようだった以前とは大違いだ。
「陛下にお会いしたく参りました」
 寝所の前を守る女官に波瑠沙は申し出る。
「陛下に?何用か」
「以前、陛下が見初めた娘を連れて参りました。直々のお達しでしたのでご存知ないのも無理からぬ事かと…」
 また顔を覗かれる。もう慣れたもので目を伏せてやり過ごす。
「今、中には皇后陛下がいらっしゃる。それでも良いか?」
「構いませぬ。今日限りの逢瀬だと聞いておりますので」
「枕を共にする事は無いと?」
「まだ幼き身ゆえ、それは無理でございます」
「成程。陛下に申し上げる」
「それには及びませぬ。直接ご挨拶申し上げます」
 反論を許さずずいと中に入る。
「俺、そんなに子供に見える?」
「自分で鏡見てみ?十二、三のお嬢ちゃまで十分通るぜ?」
「おかしい…」
 小声の会話を交わして扉を開ける。
 中は薄暗い。彼の心そのままに。
「誰だ」
 俯いていた顔を起こしながら王は問うた。
 朔夜は無言でその目を見返した。
 鵬岷は少し目を見開き、傍らの皇后に告げた。
「少し…外してくれ」
 まだ少女の皇后、白薇(ハクラ)は言われるがままに部屋を後にした。
 それが自然と人払いになり、三人が部屋に残される。
「驚きました。しかしいつかこんな日が来ると思っていました」
 鵬岷は自嘲気味に言った。
 朔夜は彼の正面に卓越しに座り、口を開いた。
「変に疑われたくないから単刀直入に言う。龍晶の仇を討つ。協力して欲しい」
「仇…」
「繍だ。繍の桓梠という男。殺した奴がその名を吐いた。反体制派を陰で操っていた存在でもある。叩かねば今後も戔は奴の影に脅かされる事になるだろう」
 呆気に取られたふうに鵬岷は朔夜を凝視していたが、ふっと視線を落とした。
「そういう事は碑未に言って下さい。私には何も出来ませんから」
「所詮その程度か」
 嘲笑して朔夜は言った。
「あいつは命懸けでお前を変えようと話をしたのに、そうやってお前はまだ甘ったれるのか?それともやっぱり、灌の手先なのか。あの狸親父にこの国もお前の母親も差し出す為の、ただの駒か」
「母…?母上に、何か…!?」
 朔夜は口を閉ざして相手を睨んだ。
 察した波瑠沙が代わって口を開く。これを言うのは彼にとって余りに辛過ぎる。
「灌王は華耶を側女にする気だ」
 鵬岷は目を見開いたが、何かもう諦めたように溜息と共に肩を窄めた。
「母上は今、どちらに…?」
「北州だ。龍晶の埋葬をするとして連れて来た。向こうが何と言おうと、灌へ戻す事は絶対に無い。万一彼女の身に何かあれば、俺は灌王を切り刻む」
 怯えた目が向けられる。冷めた目で見返す。逃げ場無く、鵬岷は顔を覆った。
「私は父の行いとは無関係です…信じて下さい…」
「行動で示せよ、いい加減」
「何をすれば…?」
「宗温が軍事演習をすると提案してくる。それを許可するだけで良い。てめえの家臣に何も言わせるな」
「軍事演習…?」
「繍の鼻先に戔の兵を並べるんだよ。餌につられて繍は動く。そこを俺が平らげる」
「それが、父上の仇だと…」
「その為の布石だ。繍の兵力を削ってから本丸に攻め込む。桓梠の野郎を。…それで、だ」
 屈み込んでにやりと笑う。
「ここからは二人だけの約束だ。宗温も知らない。良いか?」
「なんでしょうか」
 ゆっくりと、聞き逃す事は許さないという口振りで。
「戔兵を繍の都まで攻め込ませろ」
 鵬岷の目は泳いだ。
「それって…つまり…」
「戦だよ」
 見た目は少女にも見紛うのに、そのあどけなさとは真逆の表情で。
 正に悪魔だ。
「お前が駄々捏ねて押し切りゃ誰も文句は言えねぇさ。反対する者は首を切る勢いで。それだけの事をやってみろよ。そうすりゃ誰もお前の事を軽んじなくなる。ここから出して貰えるぞ?どうだ?」
「そんな…恐ろしい事…」
「へえ?恐ろしい?」
 壁際に視線を流す。鵬岷もつられてそちらを向く。
 そこに置かれていた花瓶の花が、突如何かに撫で切られて頭を落とした。
「…!!」
 目をいっぱいに開く少年に、朔夜は歪んだ笑みを向ける。
「俺とどっちが恐ろしい?よく考えてみろよ」
 初めて、彼は、目の前の人ならざる者の正体を知った。
 味わった事の無い恐怖が全身を震わせる。
「なあ、鵬岷」
 打って変わって優しい声音で。
「龍晶はお前に期待してたんだよ。父としてさ。そうじゃないと養子に迎えるなんて事はしない。春音に跡を継がせたい所を、お前だから受け入れた。そういうあいつに恩を返せないまま死なせちまったんだぜ?悔しくないのか?なあ?」
 鵬岷は震えながら声を絞った。
「分かってます…父上の御恩は…。悔しいです、とても…」
「なら俺達は仲間だ。共にあいつの仇を討つ。そして華耶を守る。それだけの事だ。自分が何をすべきか分かったか?」
 鵬岷は頷いた。何度も。
 満足げに朔夜も一度頷く。
「分かりゃ良いんだよ。お前は王だ。龍晶の跡を継ぐ息子だ。しっかりやれよ」
 話は終わったと立ち上がる。ふわりと衣が舞い、芳しい香りがする。
 思わず鵬岷は一瞬全てを忘れてその美しさに魅入った。
「ああ、坊ちゃん?こいつの事は灌で見初めた娘だって話を通してるから、それで合わせてくれ」
 波瑠沙の言葉に頷く。本当にそうだったらどんなに良かったか。
「それで、枕を迫ったけど袖にされたって事で良いかな?」
「はっ?それ必要か?」
「じゃあ逆?側女にしてくれって頼んだけど皇后の為を思う王様に泣く泣く断られた、その最後の逢瀬だったって事で。一緒に寝た事にはするなよ?後が面倒臭いから」
「だからそれ必要?」
「必要必要。私が楽しい」
「はあっ!?」
 少年二人の動揺と恥じらいを波瑠沙は笑って、朔夜の肩に腕を回して出口へと向かわせた。
「じゃ、邪魔したな」
 ひらひらと波瑠沙は手を振る。その横で。
 悪魔の鋭い視線を浴びせかけ、朔夜は踵を返した。

「良いのかお前。あれじゃ脅しだ」
 兵舎に戻る前に、物陰にある井戸で白粉に塗(まみ)れた顔を洗う。
「あそこまで言ってやらなきゃ動かねえよ、あの餓鬼」
 波瑠沙から受け取った手拭いで顔を拭きながら朔夜は言った。
「私は別に良いけどさ。その方が二人の生存率は高くなる訳だし。仕事の難易度も下がる。ただ、お前の仲間は怒るぞ」
「宗温だけな。でもあいつも王命には従わざるを得ないし」
「上手くいきゃ良いけど」
「いかせるんだよ。俺はもう方法を選ばないから」
 女の服は既に脱いでいる。白く細い背中にはこれまで打ち合った痣が浮いていた。
「お前の可愛げが無くなるのだけは嫌だな」
「なんだそれ」
 苦笑いで見上げる顔に隠し置いていた彼の衣を差し出して。
「強くなるのも非情になるのも良いけどさ。芯の所でお前自身を残しておいてくれよって事」
 ――お前が、お前のままで。
 衣を受け取り、広げて羽織る。
 己の心を殺す事には慣れている。目的の為ならまず何よりも先に己を殺す。
 今までずっと、そうしてきた。
「…波瑠沙」
 立ち上がって、空を見上げながら。
「許してくれな。…お前まで失えないから」
 お前は怒ってるんだろうな。
 俺は間違っている?そうだと思う。
 だけど、それならお前が止めてくれ。
 お前の元に連れて行ってくれ。そうすれば――
 唯一、己の全てを託して頼れる腕が、頭を抱え込んだ。
「分かってるよ。お前の考える事は」
 張り詰めていた心が急に緩んで、脱力した体を預けた。


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