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月の蘇る
  1
 いくら念じても傷は塞がらなかった。
「待って…頼む…龍晶」
 焦り、呟きながら、傷口を抑え続ける。
 光は現れない。
 温度は奪われていく。
 場所が場所だけに、掌を通じて分かってはいる。
 もうその鼓動が消えている事は。
「駄目だ…駄目だよ、待てよ!逝くな!」
 叫んで、歪めた顔を上げて。
「燕雷!」
 納屋に珠音(シュオン)を閉じ込めた彼が戻ってきた。
「教えて…蘇生させる方法…。不死にさせるんだよ!そう望んでいたから、こいつは!」
「朔、それは」
「頼むよ!このままじゃ死んでしまう!」
「言ってるだろ。俺も知らない。そんな事しちゃならない」
「皓照を呼んで!あいつなら…」
 屈んだ燕雷が、頬を平手打ちにした。
 横を向かされたまま口を閉ざし、痛みに耐えるように目を閉じる。
「人に戻るんだろ、お前は。そんな事、するな」
 燕雷は、眠る龍晶の息を確かめた。
 息を飲む彼の家族達に、首を振って見せる。
 華耶の泣き声を聞いた。
「とーと、ねちゃった?」
 まだ理解できない春音の声。
「おきて。あそぼー」
 嗚咽を噛み締める。まだ、
 まだ、諦めてはいけない。
 開いた目を擦って。まだ泣くもんか。
 方法。華耶を蘇らせ不死にした時を思い出す。あの時の光景に答えはある。
 共に同じ矢に貫かれた。そして落下し、炎の中へ。しかしそうはならなかった。
 血。そうだ、血だ。
 悪魔となった己が口走った事がある。不死となった人間の血を飲めば、お前も不死になれると、龍晶の兄へ向けて。
 華耶はあの時、矢の雨を浴びた俺の血を飲んだ――密着していたから、偶然口に入ったのではないか。
 血を。俺の血を。
 短刀を抜いた。が、途端に。
 今度は波瑠沙に殴り飛ばされた。
 刀が手から離れて飛ぶ。それを拾おうとしたが、蹴られて離された。
「違う…!必要なんだよ!こいつを不死にする為に!」
 叫んだが、理解されなかった。
「その前にお前が死ぬんだろ!?絶対許さねえよ、そんな事!」
「違う!龍晶を不死の身にするんだ!永遠に生かしてやるんだよ!今なら出来る!」
「朔夜!」
 華耶の叫び。
 目を見開いて、彼女を見返す。
「もう良いの…。ありがとう。でも、彼はそれを望まない…」
 首を横に振る。
「だって…言ってたんだ。俺を不死にしてくれって、こいつは」
「知ってる。もう諦めたって。昨日の晩にはもう、何もかも覚悟してたよ。骨は北州に連れて帰ってくれって、そう言った」
 華耶が動いて、転がる朔夜の顔に触れた。
「それより、あなただよ。彼は望まない。あなたがそんな力を使う事。自分の為に、朔夜が犠牲になる事…」
 固く目を瞑る。
 彼女の手を抜け出して。よろめいて立ち上がり、此処ではない何処かに行こうと。
 あいつの生きている場所へ。
 喚き、叫んだ。何も意味の無い声を、喉が潰れるまで。
 誰か。
 誰でもいい。
 俺を殺してくれ。
 あいつの所へ送ってくれ。
 共に逝くんだと約束したから。
 否――約束は、永遠に生きて、戔を見てくれ、と。
 力を失って倒れる。とめどない嗚咽だけが残った。
 波瑠沙に身を包まれる。
 それすら受け入れられなくて、暴れて。
 でも彼女の力に敵わない。両腕をしっかりと固定されて、耳元に聞きたくもない言葉を落とされる。
「今は私のせいで生き残ったと恨めば良い。お前に会えなくなる方が嫌だからな。…死ぬな」
 頭は理解を拒絶した。嗚咽する喉の奥で、殺してくれと願い続けた。
「死ぬな…生きろ。お前の友はそう願っている」
 知っている。知っているけど。
 あいつの願いじゃない。俺が、死にたい。
 終わらせたい。こんな世界、生きたくもない。
 共に逝きたい。
「さく」
 間近で春音の声がした。
 目を開くと、鞠が差し出された。
「げんきだして。あそぼ」
 友が遺した幼子を見つめる。
 何か信じられない気持ちで。
 希望、だろうか。
 最近の会話は、俺の代わりにお前がこの子を見守っててくれと、遠回しにずっとそう言っていたから。
 鞠に手を伸ばす。
「やったー。さく、なげてなげて」
 あいつの魂は、きっとこの子の中に宿っている。
 この子の中から叫んでいる。
 生きろ。
 お前が、俺の代わりに。
 俺の分まで。
 鞠を、空へ、高く高く投げた。
 春音の笑い声。それに幾許か救われて。
 せめて、頼むから、空の上で笑っててくれ。
 ずっと。今までの分まで。

 死に顔は微笑んだままだった。
「…綺麗だね」
 撫でながら華耶が呟く。
 枯れ果てた涙はもう出てこない。虚ろな目で、最後の最後までその姿を目に焼き付けようと。
 ただ眠っているだけにも思えて。
 目が覚めて、また、ただいま、と。
 そう言いそうな口元。
 春音は母の膝で両親を見比べている。
 少しずつ、何か分かり始めたのだろう。
 隣で十和が嘆いている。祥朗は背を向けてすすり泣いていた。
 何も見たくなくて、朔夜は縁側で虚ろな目を空に向けていた。
 隣には常に波瑠沙が居てくれる。
 確かに彼女が居なければとっくに刃を己に向けていた。もう殴られるのは御免だからその気力は失せた。
 否、殴られたかった。痛みが欲しかった。
 だけど指一本動かす気になれないだけ。
 このまま空に吸い込まれて消えられたら。雲のように。
 人が来た。韋星だ。
 燕雷が庭で立ち塞がるように応対した。
「仔細は部下から聞いた」
 そうだ。最近は彼の部下達が交代で常に見張りに立っている。
「下手人は?」
「そこの納屋に閉じ込めてる。だけどまだ子供だ」
「成程。いずれ引き取りに来よう。まずは遺体を荼毘に付さねば」
「暑くはないし、そう急ぐ事は無いんじゃないのかい?」
 長屋の中を見ながら。華耶の俯く顔を。
「ここの裏に空き地があったな。山の上だ。丁度いいだろう。支度に一日かかる」
 事務的に韋星は告げる。
 燕雷は頷いた。
「そこまでしてくれるのなら、頼もうか。こっちは誰も動く気にならんから」
「そのようだな。気持ちは分かるが」
 初めてこの男の心が垣間見えて、燕雷は目を丸くした。
「陛下に報告する。戔にも使いを出すが、良いな?」
「ああ…頼む」
 別れて、燕雷は朔夜の前に腰掛けた。
「あと一日だ。お前もちゃんと見ておけよ」
 反応する気になれなかった。
 それも織り込み済みとばかりに、燕雷はもう一言添えた。
「馬鹿な事は考えるなよ」
 なんだ、それ。
 思考の止まった頭では自分が死ぬ事以外に思い付かない。
 でも問うのも馬鹿馬鹿しくて――声を出す気力が無くて、ただただ虚無に浸り続けた。

 夕飯は波瑠沙と燕雷で用意してくれた。
 流石に華耶も動けなかった。だが、出されたものを感謝して口にする気力はあった。
 春音にも食べさせねばならないからだ。椀の中の粥を、息子の口へ運ぶ。
 春音はぐずった。
「いや!」
 我儘に耐えられる気力までは無かったのだろう。珍しく彼女は溜息を零した。
「良い子にして。お願いだから」
「いーやっ!」
 怒っている。小さな体で。
 何に怒っているのだろう。
 華耶はもうそれを考えられない。
「春音!お父様の前で我儘はやめなさい!」
 叱る。だけど幼子は泣くだけで。
 華耶も一緒に泣き出した。
「華耶様、あとは私が」
 ずっと嘆き悲しんでいた十和が春音を引き取って、あやしながら庭へと向かう。
「じぶんでたべるのー!」
 泣きながら春音が十和に訴えた。
 それで怒っていた。華耶は無力感で力が抜けてしまう。
「疲れてんだよ。ちょっと寝な」
 波瑠沙の言葉に頷く。
「隣に布団敷いてやるから」
「ありがとう…」
「ぜーんぜん。たまには甘えろ」
 笑いながら隣の部屋に入っていった。
「朔夜」
 縁側から動かない幼馴染に声をかける。
「朔夜も食べてね。お願い」
 粥の入った椀は置かれたまま、夜の空気に冷え固まっていた。
「ごめんね…。朔夜も怒ってるよね。私、何も気付けなくて…」
 やっと、ゆっくりと、視線が向けられた。
「止めてごめんね。不死にする事、せめて試して貰えば良かった」
 小さく首を横に振って。
「華耶は悪くない。何も」
 それだけ言って、また虚ろに空へと意識を向ける。
「朔夜…私を一人にしないでね」
 こくりと、頭が落ちた。
 だが、頷くにしてはそこから元に戻る動作が無くて。
 一人にはしたくない。が、守れない。
 そう言っているようだった。
「お待たせ。ほら」
 波瑠沙が戻ってきて、華耶に手を差し出した。
 握り返して、強く優しい力に引かれるまま立ち上がる。
「波瑠沙さん、朔夜を…」
 褥へと押し込まれながら、華耶は縁側の背中に目を向けて言った。
「大丈夫、分かってるよ。あの馬鹿野郎」
 言葉とは裏腹に口は笑っている。
「意地張って食わねえなら、春音みたいに自分で食いたくなるようにしてやる」
「どうやって?」
「龍晶も言ってたじゃん?口移しの刑だ」
 思わず華耶は笑った。
「刑にならないよ。ご褒美だよ、それ」
「いやー、あいつ嫌がるからさ。照れ隠しだろうけど」
「見せてあげてよ、彼に。きっと笑うから」
「だろ?また皆で朔ちゃんを揶揄ってやろうぜ」
 華耶は笑いながら溢れた涙を拭いて、布団の中に丸まった。
「ありがとう。おやすみ」
「うん。ゆっくり寝ろよ」
 眠りに落ちるまで、それとなく見守って。
 戸を閉める。これで龍晶からの無理難題は少し応えられただろうか。
 華耶はもう大丈夫だと思う。生きる気になっている。幼子が目の前に居るから、そんな選択は出来ないだろう。
 問題は、寧ろ。
「いい加減にしろ、お前は」
 呆れ混じりに隣に並ぶ。
 随分肌寒い。波瑠沙でさえそう思うのだから、肉の無い朔夜は尚更だろう。
 だがそれを感じていない。まるでかつての龍晶のようだ。感覚が麻痺している。
「皆が寒いから入れ。雨戸閉めるぞ」
「良いよ。閉めて。ここに居るから」
「ったく。馬鹿野郎」
 罵って、体を抱え込み、持ち上げた。
 抵抗しない。体は力が抜け切っている。
 部屋の中へ放り出して、ついでに椀も中に入れて、雨戸を閉めた。
「世話が焼けるよなぁ。済まんな、お子ちゃまが」
 燕雷が炉を準備してくれた。火を入れて、暖まる。
「良いよ。私がこいつを選んだんだから」
 朔夜は投げられたそのままで項垂れていた。
 その上に毛布を被せてやる。
 抱き上げた時、生きてるのかと疑うほど体は冷え切っていた。
「時間を掛けて治せば良いって言ってやりたいけどさ」
 怒りながら、肩を揺すって。
「華耶を前にそんなツラをいつまでも晒すなよ、馬鹿。しゃんとしろ」
 言うだけ言って、冷えた椀の中身を自分で掻き込みつつ、土間へと降りた。

 夜中。
 重い体を動かして、やっと向き合った。
 綺麗だという華耶の言葉が分かる。元々の綺麗な顔に、あるか無しかの仄かな微笑。
 俺の顔を見て最後に笑った。
 あの時のまま。
 何を期待して笑ったんだろう。治そうとした手を止められたから――否、止めたのではなく頼むという意味だったのか。否、わざわざそんな事をしなくても。
 華耶は言っていた。昨晩にはもう覚悟を決めていたと。
 分かっていたんだろうか。こうなる事を。
 何か予見して。
 ならば自分を道場に向かわせずに居た筈だ。
 だけどあんな馬鹿な言い合いして。最後の最後に。
 ああ、でも。
 避けられない運命だとしたら、俺も同じ事をしたかも知れない。
 いつものように馬鹿な喧嘩をして。しょうがねえなこいつはって思いながら。
 最後にこいつの顔を見て満足するだろう。
 だから笑ったんだ。
 やっぱりお前は誰にも代えられないって。
 ただただ、隣に居て良かった、って。
 楽しかった。
 そう、満足して。
「馬鹿…」
 滲む涙を手の甲で拭く。そのまま額を支えて。
「なんで教えてくれなかった…。知ってたら、お前に何言われてもここを離れなかったのに」
 どんな形で己の死が訪れるかは知らなかったのだろう。
 本当はもう少し続くと思っていたんじゃないか。
 冬になればもう無理だと言っていた。だからあと数ヶ月は、このままだと思っていて。
 まさかこんな突発的に終わるとは思わないから。
「悔いてないのか、お前は」
 そういう顔に見えない。
 やり遂げた笑みにも見える。
 生き抜いた。何度も投げ出そうとした生を、ここまで。
「俺達、出会えてなければ、もう少しお前は生きてたのかな」
 そんな気がする。少なくとも致命傷を与える事は無かった。
 だけど、自己弁護のつもりは無いが、こいつは生きながら死んでいたような気がする。
 あのまま非道な兄や取り巻きに魂を抜かれて。ただただ耐えるだけの日々を続けていたら。
 どうなのだろう。考えても栓の無い事だが。
「駄目だな。俺は後悔ばっかりだ」
 何か一つ、変わっていたら。
 今もまだ、息をして。
「ごめん…」
 ――謝るな。
 しつこいんだよ、お前は。
「じゃあどうすりゃ良いんだ」
 にやりと、口元が笑った気がした。
「勝手に一人で逝きやがって」
 気のせい。何も変わってない。綺麗な死に顔。
「目ぇ覚ませよ龍晶…。春音に失わせるなって、あれほど言っただろ。華耶を悲しませるなって、あれほど…。俺の為に目ぇ覚ませよ。なあ」
 涙を拭う事も、もう忘れた。
「頼むよ。一人にするな…」
 背後で、とぷんと、独特な水音がした。
 振り返ると、波瑠沙が酒瓶を差し出していた。
 頷いて、彼女に向き合って、受け取る。
 栓を開けて、煽った。
 飲み込んで、ゆるゆると息を吐いて。
 彼女の肩に額を付ける。優しい手は、頭を撫でて包んでくれる。
「悪い。俺もう、一人じゃないんだった」
「思い出せばそれで良いよ」
 口は、痛みを隠して笑って。
「それも…分かってたからだろうな。優しいから、俺の事まで考えて」
「うん。私もそう思う。こいつはお前の事心配してた」
「重荷になってたのかな」
「それは違うと思うぞ。お前ならどうなんだよ?」
「いくらでも世話を焼いてやるって…いっつも言ってやってたからな。しんどい事はあったけど、今となっては良い思い出」
 言ってしまって、首を振って。
 酒を口に流し込む。
「まだ思い出とか言えねーよ…」
「良いじゃん別に。時間は流れてんだから」
 拗ねたように黙って。
 彼女の膝の上に頭を置いた。
「うわ、甘えるねえ」
「許せよ。今日くらい」
「良いけどさ」
 けけっと笑う声。
「お前が私で我慢してくれるなら、いくらでも何でもしてやるよ」
 我慢じゃないけどさ、と小さく返して。
 疲れ切った頭を眠らせる。
 あいつが波瑠沙と共に居る事を喜んでくれたのは、今を見越しての事なんだろう、と。
 敵わないな、と小さく笑った。


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