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月の蘇る
  3
 伴侶となる人は、天女のように美しかった。
 白を基調とした花嫁衣装。長い袖と裳裾は透かし模様の刺繍に彩られ、絹の光沢が華奢な身を包む。
 それでいて彼女が本来持つ強かでしなやかな身の美しさを損なわない。
 赤茶けた髪は結い上げられ、色白の肌に於兎の手で化粧が施されている。
 前に後宮に入った時より、また一段と綺麗だ。
 対して自分は桧釐の正装を貸されたのだが、身に余るのも良い所で、着た事を後悔していた。
 まるでお化けのようにだらんと裾を垂らして隣の華耶を見る。
 彼女は苦笑して針と糸を持った。縫ってなんとか誤魔化そうという作戦だ。
「子供が仮装したみたいだな」
 波瑠沙が目を開けてそう評した。
 全くその通りの見た目で嫌になる。
「まあ、花嫁が綺麗だから誰も俺なんか見ないよな」
「そうかあ?お前だってその気になれば綺麗なんだから…あ、女装する?」
「なんでそうなる」
「見たかったなあ、朔夜の女装。絶対可愛いもん」
 袖を縫い上げながら華耶が残念がる。
 それを受けて波瑠沙はにやりと笑って言う。
「だってよ。大好きな華耶ちゃんの為にやってみたら?」
「その時は私の服を貸してあげる」
 於兎まで話に入ってくる。
「もういい。もう一生分経験したからもうしない。みんな忘れてるけど俺男だよ?」
 忘れられているから同室で女に囲まれながら着替えという事になる。
「え、そうだっけ」
「そう言えばそんな気もしてたわね」
「朔夜は朔夜だよ。ずーっと可愛い私の弟分」
 駄目だ。勝てる戦じゃない。
 大人どころか男にもして貰えない。それって同義なのかも知れないが、それにしたって今から婚儀なのに。
「波瑠沙さん、朔夜の髪はどうするのが良い?結うのと垂らすのどっちが好き?」
 何とか袖を良い形に片付けた華耶が問う。
 かつて華耶が切った髪はもう背中まで伸びた。元の長さに戻ったのだ。波瑠沙の希望で。
「垂らす方が好きかな。華耶は?」
「私も。風に靡いてるのが好きなんだよね、分かる?」
「ああ、分かる分かる。白馬の尻尾みたいで良いよな」
「うんうん。見惚れちゃうよね。じゃあこのままでも何だから、ここだけ三つ編みにしようかな」
 朔夜の母親に教えて貰った三つ編み。
 横髪から取った髪を後ろに回して、編んでゆく。
 朔夜は擽ったい気持ちで華耶に髪を触られている。
 梁巴に居た頃のように。
「朔夜のお母さんもきっとここで見てるからね?」
 何も言えず、瞼を伏せた。
 死に顔を覚えていないのは幸いだったかも知れない。瞼に浮かぶのは、ずいぶん朧げになった笑顔だ。
 もう前のように会いたいと強く願う事も無くなった。
 この世界には華耶も波瑠沙も居るから、それで寂しかった心は満たされた。
「せめて燈陰はもう少し待てば良かったのに。早まったわよねえ」
 於兎の軽口で目を開く。
「生きてたとしてもあいつは知らんぷりだろ」
「そんな事ない」
 そこは三人の女の声が重なった。語尾はそれぞれだが。
 また絶対不利な戦に持ち込むといけないので、朔夜は慎重に言葉を選んで反論した。
「だって、別れ際にもう会う事無いって言ってたんだぞ。生きてたとしても顔出さないよ、あいつは」
「じゃあどっかで生きてるのかもな」
 波瑠沙の言葉に首を捻った。死んだ事は何度も聞いている筈なのだが。
「会わないなら生きてるも死んでるも同じだろ。じゃあどっかで生きてると思った方が良くないか?」
「そういう事?」
「そうよね、波瑠沙さんの言う通りだわ」
 朔夜は考え、彼女に訊いた。
「じゃあ、波瑠沙の父さんと母さんも?」
「ああ。どっかで楽しく暮らしてんだろ」
「…そっか」
 そう考えた方が、前向きになれる。
「そうだな」
 朔夜は彼女に笑って見せた。
 父親譲りの銀髪は、母親と同じように編まれていた。

 星々が輝く、月の無い晩。
 篝火が庭で焚かれ、厳かな空気の中で人々は集った。
 ここに来た面々と、同胞である長屋の住人達。世話になっている里の人達も来た。その隅にひっそりと韋星が立ち、誰にも悟られず厳しい目を向けている。
 開け放した縁側に龍晶は座っている。いつものように背中を柱に預けて。その手元では春音が花音と遊んでいる。
 華耶は二人の幼子に視線を向けながら、夫に言った。
「私達のに負けないくらい、良い夜になったね」
 龍晶は無言で顎を引いた。
 微かな笑みを口元に湛えて。
「あの時は緊張しちゃって何も覚えてないけど、あなたが綺麗だった事だけは覚えてる」
「その言葉、そっくり華耶に返すよ」
「嘘。あなたは緊張なんてしてなかったでしょう?早く終われば良いのにって顔してた」
「分かってた?」
「うん。隙あらば逃げそうだったよ?」
 口元の微笑が苦味を帯びる。
「逃げるなら城外にって考えてた。やっぱり怖かったんだ。自分が惚れた人と言えど、…いやそうだからこそ、全てを知られるのは」
「よく逃げないで居てくれました」
「うん。…やっぱ、惚れてたから」
 目を見合わせて、にっこり笑う。
 惚れて好いた先に築き上げた、愛情と信頼感。
 全てがこれで良かったと、そう思える夜。
「かーたん、おなかすいた」
 春音が華耶に訴えた。
「ちょっと待ってね。さく兄ちゃんが来たら、いっぱい食べようね」
「さくーどこ?」
「遅えな」
 龍晶も気を揉んで後ろを見る。
 その先で、明かりが動いた。
 桧釐と於兎が手燭を持って照らしながら歩く。
 その明かりに照らし出された二人に、人々はさざめき合った。
「綺麗」
 支度をした華耶も溜息を吐いた。
 凛とした純白の花嫁と。
 明かりに煌めく銀糸に彩られた正端な顔立ち。
 その碧玉の瞳が濡れていた。
「泣かされてたか、波瑠沙に」
 鼻で笑って龍晶は言った。それが遅れた理由だろう。
 人に囲まれた道を通り、二人は縁側へと導かれた。
 朔夜は龍晶の前に立って、何とも言えない面持ちで目を合わせてきた。
 緊張が先立っているのは分かるが、それ以上に何か言いたげに。
 それに先んじて龍晶は言ってやった。
「裾踏んで転(こ)けるなよ?」
 うぐ、と声を詰まらせて足元を見る。
 更に動きがぎこちなくなった。
「もう、仲春たら。意地悪言わないの」
「忠告してやっただけだよ。やりかねんだろ」
 言ったそばからぐらりと体が傾いた。
 あ、と人々が息を飲む。
 だが転ける事は無かった。波瑠沙がしっかり支えている。
「そういう二人だよな」
 悪びれず龍晶は言い放った。
「そうだけど」
 呆れ笑いで華耶は応じた。
 象徴的な一幕を演じた二人は縁側から座敷に上がり、人々を振り返って一礼した。
 祝いの言葉が入り混じる。それと共に秋の花の花弁が振り撒かれた。
「さくー、ごはんー」
 春音が待ち兼ねて声を出す。
 苦笑して華耶が立ち上がった。
「皆さん入って。たくさん食べて飲んで行って下さい」
 新郎新婦の後に続き、人の波が座敷へと吸い込まれる。
 建具を外していたお陰でかなりの人数が入れるようになっている。それでも手狭で、縁側や庭に座り込む人々も出てきた。
 上座に落ち着いた新郎新婦の手前に龍晶と華耶、その対面に桧釐と於兎が座って、それぞれの間に子供達が居る。
 華耶が立ち上がって、二人の杯に酒を注いだ。
「飲むの?これ」
 小声で朔夜が問う。何も知らないし、誰も教えるのを忘れていた。
「半分飲んで波瑠沙さんのと交換するの。それで全部飲むのよ」
 小声で教えた。
 目を白黒させながら言われた通りにする。甘い酒で助かった。苦いと飲めない。
 二人が杯を干すと、緊張の空気が一気に解けた。いよいよ宴の始まりだ。
 華耶はまず春音の空腹を満たしてやらねばならなかった。拗ねて泣かれたら困る。
 龍晶があやしてくれていたお陰でまだ保っている。本当にこの子は父親が好きなのだ。
 柔らかく炊いた米と野菜を匙で口に運んでやると、満足げな顔になった。
 そういう親子の様子を朔夜は見ていたかったが、次々に杯を満たしに来る大人が視界を遮る。しかもその度に飲まなきゃならない。これは修行の場だ。
「まだ酔うなよ?」
 波瑠沙に言われるが、もう自分の顔が熱いのが分かる。
「もう無理かも」
「しゃーねえな」
 言って、波瑠沙はひょいと朔夜の杯を取って飲み干した。
「ここからは私が二人分飲んでやる」
 心強いと思って良いのか、ただ単に飲みたいだけなのか。
「良い飲みっぷりだな。流石だ」
 桧釐なんか喜んで彼女の杯が空く度に酒を注いでいる。横で於兎は花音そっち退けで旧知と喋りまくっている。お陰で赤子は大泣きしだした。
「あっちゃー。花音、良い所なのよ今」
「あやしておきますよ?」
 十和が気遣うのを止めて。
「良いの良いの、これは正真正銘私の子だから」
 言いながら抱き上げて奥へと引っ込んだ。
 彼女一人居なくなると室内の音が急に減るようだ。
 それを狙ったように桧釐が朔夜へ言った。
「お前に土産だ」
「土産?」
 きょとんとする。
 彼は懐から細長いものを出した。金蘭の入れ物で包まれた、この長さは。
 受け取って、開いて。
「この笛…」
「城中のお前の居室に唯一残ってたものだよ。取っといてやった」
 龍晶と華耶の婚儀の場で吹いた、あの笛。
「たまには桧釐も良い仕事をする」
 龍晶に言われて、そうでしょうと従兄は満更でもない。
「お、これか。お前が言ってたお気に入り」
 波瑠沙が嬉しそうに身を寄せて笛を見る。
「吹いてよ朔夜。梁巴の皆も喜ぶわ」
 華耶にせがまれて。
 歌口に唇を付けて、調整するようにゆっくりと息を吹き入れる。
 故郷の日々を、この夜に連れて来るように。
 美しい調べが夜空を満たした。
 この朔日に生まれた魂は、星々に見守られて、真の人となった。

 宴もたけなわとなり、時間も遅くなって、子供達はその場で寝入ってしまった。
 その春音を懐に抱きながら、龍晶はこの長時間斜め隣から動かない朔夜に訊いた。
「何で泣かされてたんだ?最初」
「えっ、泣いてないよ別に」
「嘘付くと鼻が動くんだよな、こいつは」
 正面の華耶に確認する。
 彼女は笑って頷いた。
 その後ろで波瑠沙が於兎にせがまれた馴れ初め話の続きをしている。桧釐と一緒になって空けた酒瓶が横にごろごろ転がっていた。それでも足りないから燕雷と巡宗が追加を買いに行った程だ。
「で?正直に白状しろよ」
 龍晶に迫られて、朔夜は非情に気まずい顔で自分の頬を掻いた。
「母さんの事を聞いた」
「波瑠沙から?」
 頷いて、俯きながら。
「哥の王様がはっきり言ってたんだって。あれは、俺の思い込みだって…」
 龍晶も華耶も言葉も無く彼を見詰めて。
 ふっと、唯一無二の親友が笑った。
「良かったじゃねえか」
 朔夜が顔を上げる。その瞳がまだ揺らいでいる。
「良かっただろ?哥の陛下が言われるのならそれが真実だ。見ていらしたんだろうから」
「…そうだよな…」
「憑き物が落ちたな、朔夜」
 言われて、さっぱりとした笑顔を見せて。
「うん。やっと…自分を許して生まれ変われそうだ」
「良かったね」
 華耶に頭を撫でられ、龍晶に肩を小突かれる。
「もう生まれ変わってたよ、お前。ここに来てそう決めてたろ」
「お前の望む姿に近付いたかな?」
「ああ。これで良いんだ」
 ついに、刀を置いた。
 これでもう、自身を削り誰かを傷付ける事は無い。
 頬を親友の片手が包み、目が合った。
「おめでとう、朔夜」
 穏やかな微笑。その表情は、お前こそ生まれ変わっただろと言いたくなるもので。
 でも茶化したくも無くて、ただ素直に頷いた。
「さてと、さっさと主役は引っ込んでくれ。じゃないと俺達も寝られなくて困るんだが」
「え?あ、あああ、ごめん。気付かなかった」
 とうに日付は変わっているだろう。それを気にする者は他に居なさそうだが。
 華耶が波瑠沙の肩を叩いた。
「波瑠沙さん、そろそろ。このままだと夜明けまで続くから」
 振り返った顔はほんのり色付いているが、まだしっかりしている。
 対して桧釐は半分寝ていた。胡座のまま頭(こうべ)を垂れている。
「完敗ね、うちの人」
 於兎がそう言って、手を叩きながら衆目を集めた。
「主役の二人が退場しますよぉ。皆さん改めて祝ってやって!」
 やんやの喝采。それを浴びながら華耶が二人を先導する。後ろから龍晶も付いて来た。春音は十和に預けたのだろう。
 長屋の一番奥の部屋に閨が用意されていた。
 ここまで来ると人々の騒ぐ声も薄らぐ。戸を閉めれば何も聞こえないだろう。
「俺は眠い。春音と一緒に寝ちまう所だった」
 龍晶の言葉に笑って、一応朔夜は訊いた。
「今日は何処で寝るの?お前ら」
 いつも使う部屋は宴会場になっている。
「向こうの長屋を使わせて貰うから、お気になさらず」
 わざと華耶はそういう言い方をして、にっこり笑った。
 真意を察して朔夜の顔が赤くなる。酔った波瑠沙よりも。
「しっかりやれよ。あー疲れた」
 龍晶は背中を向けて、もう庭に降りている。本当にさっさと寝たいらしい。
「じゃあね、また明日」
 華耶も手を振って夫の後を追った。
 二人を見送りながら、立ち尽くす朔夜。
 その首元をがっしり掴まれた。
「期待には応えなきゃ、なあ?」
 首筋に囁かれて、見開いた目を白黒させている間に部屋の中へと連れ込まれた。
 戸を閉めると、燭台の灯りが一つだけ。
 その闇の中に浮かび上がるように、白い姿は美しい。
 その花嫁衣装を波瑠沙はするりと脱いだ。
 何も着ていなくとも白い事には変わりなく、その身の美しさは増すようだった。
「漸く凝視してくれるようになったな」
 赤い唇が両端に引き上げられる。
「あ、ごめん。つい」
 逸らそうとした視線を、顔ごと両手に包み込まれて。
「そろそろお前から来てくれても良いんじゃないの?」
「…分かった」
 今度は失敗しないように、そっと唇を奪う。
 望む事はなんでもする、そう約束したから。
 離すと、笑う口で彼女は言った。
「まずは第一関門を突破だな?さて、肝心なのはここからだ」
 言いながら、するすると帯が解かれていく。
 脱がした正装を波瑠沙は後ろへ放り投げた。
 また白い手が伸びる前に。
「いいよ。後は自分でやる」
 残っていた衣を自ら脱ぎ捨てて、彼女の体を抱いてそっと寝かせる。
「その気になったな?」
「ここまで来たらね」
 後戻りの出来ない状況は嫌になる程経験してきたが、これだけ進みたいと思った事は無いかも知れない。
 体がそう求める。本能のままに。
 波瑠沙は悪戯っぽく笑いながら誘った。
 重ねた肌は、甘い酒精の匂いがした。


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