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月の蘇る
  7
 高く昇った陽が顔を照らし付けて目が覚めた。
 暑いからと波瑠沙が夜のうちに窓を開け放してそのままだ。西向きの窓から陽が差し込む。
 もう昼過ぎだと知って、ようやく体を起こした。
 波瑠沙が居ない。そう言えば朝にあいつの所へ行ってくると言って出て行ったっけ。寝ながら聞いたから不確かだ。
 とりあえず服を着ようと辺りを見回して。
「…げっ」
 一声発して凍り付いた。
 皓照がそこに居る。
 彼は興味深そうにしげしげと朔夜を観察して言った。
「不死の者に性欲は無い筈なんですがねぇ。そこは年相応という事なんでしょうか」
「いきなり現れて何言ってんだよ…!」
「いきなりじゃないですよ。もう半刻もこうして君の目覚めを待ってたんですから」
「起こせよ!それなら!!」
 乙女のように毛布を体に巻き付け、頬を染めて怒鳴る。全く効く気配は無いが。
「その、君のお相手なんですけどね」
 続く言葉に血の気が引いた。
「波瑠沙が…どうした?」
「泰袁王子を殺害した疑いがかけられ、追われています」
 淡々と告げる相手に掴みかかり、怒りのままに問うた。
「売ったのかよ!?そんな事にはならないって言いながら、貴様…」
 見えない力を受けて体は吹っ飛ばされた。
 壁に背中を打ちつけ、息を詰まらせながら立ち上がった相手を睨む。
「相手を間違えていますよ。今対峙すべきは私ではありませんよね?」
 冷静に諭す相手に舌打ちして。
「…誰を殺せって?」
 にこりと、皓照は笑う。
「流石、そこは物分かりが良い」
 懐から紙を取り出した。名前と所属、肩書きが書かれている。
「これが今回の計画に関わる者達です」
「計画?」
「あれ?言ってまけんでしたっけ?龍晶陛下の身柄をダシに戔を占拠しようとする計画があるんですよ。首謀は昨日死んだ泰袁王子ですが、彼もまた担がれた立場です。実際に企てた軍部の者を粛清する必要がある」
「粛清…」
「もう一度この国を月夜の悪魔への恐怖に陥れて下さい」
 溜息を吐いて。
「殺し方は問わないって事だな?それで波瑠沙は戻って来るんだよな?」
「彼女が無事、逃げ切れればですけど」
「…探そう。探しながらこいつらを殺せば良いんだろ」
 改めてその紙を見て。
 下の方にある名前は、唯一知るものだった。
「範厳…!?」
 見開いた目で皓照を見上げる。
「そんな筈…。だって、協力してくれてるだろ…!?この家だって…!」
「彼は全てを知った上で戔に協力しているように見せているんですよ」
「じゃあ、波瑠沙がここに戻れば…」
「容易に捕まるでしょうね」
 荒く声を上げ、支度をすべく立ち上がった。
「あいつから殺せば良いんだろ」
「それは賢明ではない」
「はあ?」
「だって君、そこの名前の人達を知らないでしょう?協力させるのが賢いやり方だと思いますよ?」
 憮然として衣を纏う。頷くのは癪に触るが、確かにその通りだ。
「あいつは今、何処に」
「軍部に居ます。ああ、それよりも今宵は王子を悼む集まりがあるんですよ。そこで酌でもしながら的(まと)の顔を知れば良いでしょう。全員を範厳に教わるのは難しいでしょうし」
「…って事は…」
「あ、これ。選んであげましたよ」
 黒い喪装の、女官服。頭を抱えざるを得ない。
「…なんでお前まで…」
「だってお似合いですから」
「いやでも、化粧どうすんだよ!?」
「溟琴、ご指名ですよー」
 はっ?と声を発する間も無く、その男が顔を出した。
 何故か屋根裏から。
「了解了解。悪魔君を可愛くしてあげよう」
 すとんと降りてくる。
「どうしてこの野郎が…」
 もうどうでも良かったが、一応問うておいた。
「忍びですからね。化ける事には長けているんです」
「化けさせる事にもね」
 はー…と大きな溜息。どうにでもしてくれという諦観。
 本当は今すぐにでも波瑠沙の元に走って行きたいのに、どうやらとんでもない遠回りをせねばならないのは確かだった。

「その場で全員殺れば良いんじゃないか?」
 喪装の裾を摘んで歩く仕草は随分慣れたものになった。
「それだと私が疑われるでしょう?じわじわやりましょうよ、じわじわと」
「愉しんでるだろお前…」
「当たり前じゃないですか。いつだって私は楽しんでいますよ?」
「ほんっと良い性格だよな」
 軍部の中心部、本営に入ってゆく。
 敵の中枢。ここを潰せば、数々の過去の恨みは精算されるだろう。
 だがそれを今蒸し返す気は無い。今は、波瑠沙さえ助けられれば良いのだから。
 今何処に居るのだろう。強い彼女の事だから、恐らくまだ敵の手に落ちてはいないとは思うが。
 追悼の集会と言う名の酒盛り会場へ入った。
 広い空間に軍幹部らしい十数人の男が並んで座っている。
「皓照!?貴様、何故ここに!?」
 一人が怒鳴り声を上げ、驚愕と剣呑の視線で迎えられた。
「冷たいなあ。私が泰袁王子に入れ知恵をしてあげた事は皆さんご存知でしょう?それとほら、お酌にぴったりの美人さんを連れて来てあげましたよ?」
 入れ知恵という事は、この計画は皓照の自作自演…?
 何の為か――聞かずとも分かる。
 俺に邪魔者を消させる為だ。
「まさか、貴様、その女…」
「泰袁様を弑した奴では!?」
「違いますよ。もう、話を聞いて下さいって。あれは、禁断の薬を吸いすぎたが故の急死です。この子も証言しましたよ。昨晩も大量に薬を焚いていたって。急に毎日そんなに吸ってたら死にますって。ねえ?」
 朔夜に向けて同意を求める。反応に困ったが一応小さく頷いておいた。
「貴様…不敬にも程があるだろう!」
 刀を抜く勢いで男が立ち上がった。
「あー、ここで一戦交えます?やめた方が良いですよ」
「やめておけ。この男に逆らって良い事は無い」
 別の方向からも取り成す声が入って、男は憤懣やるかたなく音をたてて座った。
 朔夜は順に集まる男達を観察して人相を覚えていった。その背中を押して、皓照は上座へと導いた。
「こちらは第四王子である泰執(タイシュウ)殿下です。どうぞ、お酌を」
 確かに昨日死んだ男の面影はあるが、あまり似ていないと思った。腹が違うのだろう。
 その証拠に、兄の死を悲しんでいる気配は無い。
 この男の名は、あの紙にしっかりと記されていた。
 瓶子(へいし)を取り、杯を満たす。
 伏せる朔夜の顔をわざわざ覗き込んで、兄に似た下卑た笑みを浮かべた。
「兄の好みそうな顔だ。手に入れる前に死んでさぞかし無念だったろう」
 皓照は当然のように上座の王子の横に座っている。朔夜を挟む形で。
 お陰で朔夜はこの男にも酌をせねばならなかった。なんかいらっとする。
「そうでしょう。私としても残念でしたよ。せっかく灌で良い貢物を見つけたと思ったのに」
 なんかいらっと、というのは足りない。ぶん殴ってやりたい。
「だがまあ、戔王をあれだけ嬲っていれば満足したんじゃないか?遺品としてこいつは俺が貰おう」
 肩に手が伸ばされ、引き寄せられた。
「どうぞどうぞ。そうして頂ければ私も連れて来た甲斐があります」
 男の胸にしなだれかかる形で朔夜は考えていた。
 今夜はこいつを仕留めろという事か。
 だが相次いで兄弟が死ねば流石に怪しまれるだろう。それは構わないと言うのか。
 懐に手が捩じ込まれた。流石に驚いて跳ね起きる。
 相手も驚いた顔をしていた。
「おい、皓照」
「はい?」
「確かにこれは兄への貢物だな。俺の趣味じゃない」
「おや、そうでしたか。難しいものですね」
 王子は鼻で笑った。
 朔夜は皓照を睨んだ。精一杯の反抗だが、その手に瓶子を渡された。
「せっかくですから集まった諸将に酌をしてあげて下さい」
 言う事を聞くしかない。尤も、間近で的の顔を確認できる好機ではある。
 卑猥な冗談を投げかけられながら男達の間を回った。その中で聞き捨てならない話が進む。
「戔への書状は泰袁殿下が作っていたが、あれはもう送られていたのか?」
「どうだろうか。いずれにせよ、もう一度送る必要があるだろう。戔王の血をたっぷり吸わせてな」
 げらげらと笑い声が響く。手を叩く者も居る。
 朔夜は殺意を漏らさぬよう、顔を伏せた。
「単なる脅しではないと知らしめる為に出兵を早めてはどうか?今は守りも少ない。奴らが焦って都から兵を送る間もなく、我々は穣楊(ジョウヨウ)まで占拠出来るだろう」
「そうするか。どうせ戔の腰抜け共には何も出来まい」
「悪魔はもう死んだからな。奴らには何の力も無い。王位を持つ餓鬼を差し出すくらいだから」
「あの餓鬼をいつ殺すかな」
「戔を乗っ取った後でも遅くはあるまい。生きながら自分の国が侵食される地獄を見て、そして死ねば良いだろう」
「そうだな、それが最高の餞だ」
「どうした?気分が悪いか?」
 怒りで震え、動けなくなっていた朔夜の腕を乱暴に掴んで引き寄せる男が居た。
「治してやろうか?」
 相手は既に酔っている。酒の臭いのする息を顔に吹き掛けてにやにやと笑う。
 朔夜は皓照に目をやった。
 にこりと笑って頷き、言った。
「どうぞ、可愛がってあげて下さい。泰袁殿下が亡くなってその子も行き場が無いですから」
「よし。任せておけ」
 強い力で腕を引っ張って、男は立ち上がり歩き出した。
 従って動くしかない。そのまま宴会場を後にした。
 外に出て、物陰に隠れるなり、男の体が覆い被さってきた。
 立ったまま襟元から手が入れられ、背中へと回される。朔夜は窮屈な姿勢のまま男を睨んだ。
 途端に、首がふっ飛んだ。
 どさりと、草むらの中に重い音をたて首は転がる。
 同時に自分に絡みついたまま力を失った体をどうにか引き剥がさねばならなかった。
 それが重くて大仕事だった。死後硬直が手伝って更に難物となる前に地面に転がし、自分もそこに座り込んで肩で息をした。
 もう少し碌な死に方をしてくれと、自分で殺した癖に文句を付ける。
 出入り口の方で声がした。帰る者が居るのだろう。
 朔夜は怠い体を立ち上げて物陰に潜んだ。
 二人。密かに背後を尾けてゆき、角を曲がった所で首を飛ばした。
 このまま全員片付けてやろうかとも思ったが、そんな暇は無い。まずは波瑠沙だ。
 多分、日が暮れた機に範厳の家へ一旦帰ろうと考えるのではないか。
 そこで武器を調達せねばこれ以上の逃亡は難しいだろう。
 だが、あの家は罠だ。
 朔夜は走って丘を下った。

 夜になると人気(ひとけ)は消えた。
 よく考えれば今は王子の喪中なのだ。軍部とて大っぴらに人狩りをする訳にはいかないのだろう。
 夜陰に紛れて波瑠沙は移動を開始した。
 兵から奪い取った刀を手にしたまま、城壁へと走る。
 密かに出れそうな穴は無い。仕方なく門番を一人斬って外へ出た。
 その場に刀を捨てる。抜き身を持って街を歩く訳にはいかない。
 何事も起こらないまま目指す家へと着いた。
 後を尾けられている気配も無い。わざと遠回りをして気配を窺ったが、本当に何も無い。
 諦めたのか、嫌疑が晴れたのか。
 分からないまま拠点としている家へ入った。
 明かりが灯っている。範厳が帰っているようだ。
「お帰り。遅かったな」
 家主は竈の前に居た。粥を作っているらしい。
「朔は?」
 居る気配は無い。二階は暗い。
「出ているようだ。もしかしたらお前さんを探しに行ったんじゃないか?」
「入れ違ったか…」
「待ってれば帰るだろう。ま、茶でも飲んで待てば?」
 勧められた湯呑みに手を伸ばす。確かに喉が乾いていた。竹筒は龍晶にやってきたから、身を潜めている間飲めるものが無かった。
 椅子に座って範厳に問う。
「王子を殺した嫌疑をかけられたんだが、お前何か喋ったか?」
「いいや?それで遅かったのか?」
「牢を出た途端囲まれて追われたんだが…私がそこに居たのが分かっていたとなると、戔王との関係も敵は既に掴んで…」
 目を見開いて。
「お前…」
 範厳は肩を竦めた。
 その指に紙を摘んで。
「自分達が持ってきた薬だよ。睡眠薬も入ってるようだから使わせて貰った。ま、毒じゃないのはよく知ってるだろ?」
 指先から波瑠沙の元へ紙が滑ってきた。
 祥朗が細かな文字で調合した薬の種類と効能を書く包み紙だ。
「ふざけんな…!」
 立ち上がろうとしたが、もう遅かった。
 ふっと意識が途切れて、波瑠沙は卓上に突っ伏した。


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