月の蘇る 6 燕雷は目を丸くして子供の走り去った方向を見、続いて朔夜を見た。 溜息混じりに朔夜は布団に潜り込む。 とりあえず扉を閉め、戸惑いつつと言った空気を前面に出しながら、燕雷は寄ってきた。 「なんだ、あれ」 いろいろ聞かれても面倒なので、先制して問う。 「あれ?何も聞いてないのか?お前のお友達だよ」 「ふざけんな」 「ふざけてないって。少なくとも向こうはそう思ってるんだからさ 」 「俺はまっっったくそう思ってない!そもそも今初めてツラ見た奴が何だって友達なんだ!?」 「良いじゃん。どうせお前、友達居ないだろ?」 「…関係無い!」 図星過ぎて痛くもない。どうせ周知の事実だ。 子供の頃から友達なんてものは遠い存在だった。唯一、華耶だけはそう呼べる幼なじみだった。 彼女さえ居れば世界は満ち足りていた。他の友達が欲しいと思った事は無かったし、思う暇も無かった。 今もそれは変わらない。寧ろ、状況は比較にならない程厳しい。 そんな戯れの存在は、絶対に傍に置いてはならない。 一国の王子なら尚更だ。 尤も、あの世間知らずな子供はただ面倒だと思っただけで、身の心配をして追い出した訳ではない。 「そんなにつんけんしなくても良いのにねぇ」 「何だよつんけんって。俺にお子様の世話なんかさせる方が間違いだ」 「そりゃ自分がお子様だからな」 「ちーがーうっ!!」 がりがりと頭を掻く。どうも調子が狂う。 そうしていると鼻先に突きつけられた、食欲を誘う香り。 「ほれ。食え」 甘い匂いを漂わせる果物。 「…見られてないかな」 何を今更的な事をごちて燕雷の顔色を伺う。 超楽観的なこの男を見たところで、何が判る訳でもないが。 「ま、大丈夫だろ」 予想に違わぬ返答。呆れつつ布団を被る。 本気で寝てやりたいが、もう目が冴え冴えとしている。 「今ごろ皓照が片付けてるかもな、そいつ」 ややあって布団から顔を出す。 「片付けてる?」 「ああ。俺の煙草を買うついでにな。ま、あいつの気まぐれでどうなってるか分からないけど」 窓の外に目を向ける。 影が、消える。 奇妙な感慨。 「どうした?」 問われても、説明できない。 敢えて言うなら。 「憑き物が落ちたって…こういう気分なのかな」 「憑き物ねぇ…」 「長い間憑き過ぎてて…何かよく分からないや。実感涌かないって言うかさ」 「何だよ、寂しいのかよ」 「冗談じゃない。全然違う」 半ば真顔の揶揄を即座に否定。 ただ、憎い存在には違いないが、それだけかというとそうでもない。 たった一人乗り込む戦場で、常にどこかで見ている――煩わしいものだが、助けられたことも多い。 影が無ければ、今頃どこかで骨だけになっていたとしても不思議じゃない。 別に感謝している訳ではない。互いに任務でやっている事だ。 それでも。 「…殺したのかな」 ぽつりと、朔夜は呟いていた。 燕雷の片眉が上がる。 「いや、何でもない」 早口に言って、燕雷の持つ林檎を取る。 ごまかす様にかじった。 「うまっ!久しぶりに食った!こんな甘いもの」 「良かったな」 目元の笑っていない燕雷の言葉に頷いて、尚もかじり続ける。 固い実に歯を立てながら、ちらりと横の顔色を窺う。 哀れむ様な目と合ってしまう。 「…何」 流石に無視出来なくなった。 「大変だろうなって」 「は?」 「他人の生死を全部、自分の中にしょい込むのはさ」 「…別にそんなつもりは…」 出来るなら万人を生かしたいと思う。 同時に、殺したい程憎い存在もある。 この手は、そのどちらも出来る。 「やだやだ。寝起きからそんな重たい事考えさせるなよ」 次の果物を選び、取る。 「そんな事よりさ、あの王子さま、こんな所うろついてても良いのかよ?次来たら俺、無事に帰してやれないかも」 燕雷は、うーんと考え。 「そもそも、鴇岷が王子かって言うと、ちょっと違うんだよな」 「へ?でもお父さんは王様だ、って」 「あいつは側室の子なんだよ」 「…ええと」 山の中と地下牢で育った十四歳に『側室』はまだ分からない。 「つまり、王の正室…奥さんじゃなくて、城下の娘が産んだ子なんだ」 「浮気相手の子ってコト?」 「…ぺっちゃんこなまでに平たく言えばな…。って言うか浮気は解るのか」 「え?母さんが何かある度に言ってたから、普通な事だと思ってたけど」 「…燈陰って意外と罪作りな男なんだな」 「絶対許さねぇ。母さんに代わって」 「…いや、えーと、それは、…うん」 とばっちりが来そうなので庇い立ては諦めた。 因みに朔夜の母親は、燈陰の帰りが遅い時に、冗談で浮気を疑っていただけである。決してその事実は無い。 「でもさ」 話は戻って。 「浮気相手の子でも王子は王子だろ?何で違うんだよ?」 燕雷は微苦笑して腕を組む。 「それがいろいろややこしい事になっててさ。正室の子供が後から生まれちまったんだよな。解るか?この意味」 首を傾げている。 「だから…どっちが王位を受け取るか、揉め事になるって訳だよ。今は表向き、鴇岷は別の男の子供だって事にして、騒ぎにならない様にしてるけどな」 頭を抱えている。 「…お子様にはまだ早い話題だったか…」 「お子様言うな!」 そこだけは反応が早い。 「王様もお前みたいなウブなお子様だったらこんな事にはならなかったのになぁ。鴇岷が可哀想でならんよ。俺も皓照も散々忠告したのに 」 「忠告って?」 まだ唇を尖らせたまま訊く。 「混乱の火種は撒くな、ってね。あいつはお前くらいの歳から色好みで参ったよ。それ以外は良い統治者なんだがな」 「…なんかさっきから人を子供扱いして…」 「華耶ちゃんと唇重ねた事あんのか?」 面白いくらいにみるみる赤くなる。 「考えただけで沸騰してるし。だからお子様だっての。ま、お前はそれでいいんだ、それで」 全然良くない、と言っているらしいが、ぼそぼそと口元で話すのでよく聞こえない。 ついには布団をひっ被って隠れてしまった。 「そんなに恥ずかしがらなくても良いのに」 「…それよりさ!」 弾みをつけて復活。 「王様に忠告するとか、お前ら何様なんだよ!?ただの傭兵の癖に!!」 「うーん、お子様じゃない事は確かだな」 枕が飛んできた。顔面に当たりそうな所を何とかかわす。 投げた方はフーフー言って毛を逆立てんばかりだ。 「どうどう、落ち着け!分かった真面目に答えるよ!俺達はこの国の創建から関わっている、まぁ自分で言うのも何だが王家にとっちゃ恩人だ。現王の爺さんの代からの付き合いだよ」 手当たり次第で投げる物を探していた手を止めて考える。 「…それはさ、爺さんが長生きなのか?お前達が見た目以上に年寄りなのか?」 燕雷は苦笑いで答えた。 「初代の王は国を創った後、若くに亡くなったよ。不惑をちょっと過ぎたくらいだった 。大きい事を成して、気が抜けたんだろうな」 また頭を抱えだしたが、今回は無理も無い。 「待って待って…何かおかしい気がする…。その爺さんって鴇岷の曾爺さんだろ?だから、えーっと、それって四・五十年前なんじゃ…」 そしてまじまじと目前の男を観察する。 普通に見れば二十代ぐらい、どんなに悪意を持って見ても四十くらいか。 「…実はすっげー若作り?」 「する訳ないだろ」 無理がある。 「でもまぁ、あながち間違いでもないって言うか、仕方ないよな。俺も皓照も、お前もだ朔夜、常識で測れる存在じゃない」 「…それは…」 「俺達はな、老いる事が無いんだ。寿命も無い。だから自然に死ぬ事も無い。俺はもう八十年近く生きている。皓照はもっとだ。お前もこうなるだろう。永遠の命を生き続ける」 突然になされた運命の告知。 頭を鈍く殴られた様な感覚に教われる。 老いる事が無い?死ぬ事も? それは、どういう事だ。 「…嘘だ…」 「本当の事だ。今は信じられないだろうがな」 「だってそんな事ある訳…」 呆然と、虚空を見つめる。 死なない。損傷によってそうならないのは分かっている。だが、これは話が違う。 生物に当然あるべき肉体の時間制限が無い。 つまり、終わりが無いのだ。 「このまま…永遠に生きろって言うのか…!?」 終わりを願ってきた。 罪を重ねざるを得ない生など、続けてはならない、そう信じて。 しかし自ら終える事など出来ず、それでもいつかは終わる筈だった。 「そう悲観するなよ。良い事もあるさ、何せ生きてんだから」 呑気に言う燕雷を一睨みする。 「お前と一緒にするな」 刺さりそうな剣幕に肩を竦めて黙った。 朔夜もまた口を引き結んで、頭から布団を被る。 混乱している。何も考えられない。 闇に潜って独りになれば少しは落ち着くかと思ったが、却って様々な事を思い出して息苦しくなる。 常に手に残る感触。血の臭い。瞼に焼き付いた、この世の地獄の光景。 これを、永遠味わえと言うのか。 耐えられる訳が無い。いつか気が狂う。 呼吸が出来なくなる。 闇に、押し潰される―― 結局、頭を出した。 「ま…今はまだ気にしなくても良い。ただの法螺話と思っておけば良いさ」 「燕雷」 「ん?」 「お前は、何者なんだ…?」 ふっと、彼は笑んだ。 いつものおどけた笑いではない、哀しい笑みだった。 それを見て、訊いた事を薄く後悔しながら。 しかし撤回はしなかった。じっと、燕雷を見据える。 「確かに俺はお前達とは違う」 彼には珍しく、視線を宙に漂わせて。 「元々は普通の無力な人間だった。自分の家族も守れないくらいのな 」 「…家族を…!?」 燕雷は頷く。 「だから燈陰の気持ちはちょっとは解るつもりだ。ま、俺の場合は目の前で殺されたが…」 「何で」 「俺が無力だった。それだけだ」 言葉を失って朔夜はその男を見ていた。 今、初めて彼が見えた気がした。 「死にかけている俺の目の前で、妻と、生まれたばかりの娘が息を引き取った。俺も一緒に逝く筈だった…。でも、そこに皓照が現れた」 「命の恩人って…その事か」 「ああ。多分、もうその時死んでたんだろうな。でもあいつのお陰で今も…まだ、こうして生きている。ま、正直これで良かったのかは分からんよ。あの時終わらせるべきだったと…思う事はある」 「楽天主義の権化みたいなお前がか?」 言ってやると、燕雷は優しく笑った。 「まあ、な。難しい言葉知ってるなぁお前。側室は分からなかった癖に」 「だから子供扱いやめろ…!」 燕雷は笑っていた。いつもの様に。 だがその笑いには、今までとは違う意味がある事を知った。 見えない傷。抱えるのは、自分だけではなかった。 「…皓照はどうやってあんたを甦らせたんだろう…?」 ふと湧いた疑問。 ただ傷を治す事なら朔夜も出来る。だが、既に生を失った命を甦らせる方法など有るのか。 更には永遠の命を授けるなど、そんな事が出来て良いのか。 それは、まさしく神の領域だ。 「それは…訊いてない。訊かなかった。知るべきではないと思ったから」 燕雷はそれが正しいと確信している口調で言った。 「気にならないのか?」 「それ以上に…恐ろしい事だと思わんか?もしその方法を知ってしまったら…使わない自信は無い」 もし、また誰かが、目の前で命を落としたら。 その術があるなら、恐らく考える余地も無く使うだろう。 それがどんなに利己的な動機であるか、解っていても。 「皓照を恨む事は無いのか?」 そんな辛苦を与えた事を。 「どうして恨めるかよ?俺はあいつに救われたんだ。後は…それからどう考えて生きるかは、俺の問題だろ」 「そんなものかな」 「生きるならそれに越した事は無いさ。ただ俺には他人様の人生をどうこう出来る資格は無いってだけだ」 「皓照には有るのか?」 純粋な問い。燕雷は一瞬、口を閉ざした。 「…解るだろ。あの男は別格だ」 納得しかねている顔を見て、溜息混じりに言う。 「あいつはさ…ただ、仲間が欲しかったんだよ」 「え…?」 似合わない。 他人の事など眼中に無い類いの人間だと思っていた。 「俺の命を救う事で、あいつはあいつ自身を救った。…それで良かったんだ。それ以上は俺には言えない」 「それは …永遠を共に生きる仲間って事か…?」 「ああ。それもあるだろう。見た目以上に孤独なんだ、あいつは。どれだけの年月かは知らないが、ずっと独りで生きてきた訳だからな」 周囲の人間は皆居なくなる。どうやっても、命には限りがあるから。 別れだけを重ねながら、終わらない日々を戦い続ける。孤独の狂気に蝕まれない様に。 永久の命とは、そういう事なのだろう。 「お前があいつを救ったんだな」 「俺がそう思いたいだけかもな。本人はあの通り飄々としていやがるから」 朔夜は首を横に振った。 「俺もお前と同じ考えだ。能力は人間離れしていても、心までそうじゃないから」 燕雷は微笑んで、朔夜の銀髪をわしゃわしゃと撫でた。 「やっぱりお前、良い子だな」 「だから子供扱いするなっての!」 同じ事をまた言い返しながら。 何故だか今度は嬉しかった。 もし五十年後、百年後の自分が居るのなら、こんな風に笑っていたい、と。 燕雷を見て、素直にそう思った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |