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月の蘇る
  3
 軍隊の行列が、遠征の出発を待つ。
 朔夜は黒衣の男に連れられ、その中に紛れた。
 黒鹿毛の馬を与えられ、騎乗する。背が足りないのでやむを得ず影の手を借りた。
 殺意は胸の内に秘めたまま。
「いやに大人しいな」
 馬の下から影が言った。
「そんなに女を失うのが惜しいか」
「元から大人しいだろうが?俺は」
 薄く笑って朔夜は言った。目元は全く笑ってはいないが。
「お前もどうせついて来るんだろう?馬は居るのか?そんな怪しいナリで馬に乗られたら笑ってやるんだがな」
「心配は無用だ」
 ぼそりと影は言う。面に込もって聞き取りづらい。
「朔夜!!」
 遠くから、ばたばたと走り寄る足音と耳障りな呼び声が聞こえた。
 於兎だった。
「酷いわ!置いて行こうなんて!」
「別に置いて行くつもりは…」
「私を手に掛けたくない気持ちは分かるけど、私は這ってでも敦峰に行くからね!」
「いやだから…それは勝手にしろって言ってるだろ…」
 手に掛けたいかどうかは別問題。
 於兎はずんずんと朔夜の馬に近寄り、横に立ってきっと彼を見上げた。
「乗せて!」
「…は?」
「乗せてよ!!」
「…はぁ」
 貢ぎ物のお嬢様に乗馬の経験は無い。
 影の手を再び借りようと考え辺りを見渡したが、既に姿を消していた。
 引っ張り上げる程の腕力は朔夜には無いし、やはり下に何か足場が無いと無理だ。
「這ってでも行くんだろ?なら走って来れば?」
 諦めと言うより面倒が勝って、朔夜は馬の下にそう言い捨てた。
「な…よくもそんな事言えるわねあんた…!」
「言えるよ。別に」
 捨て置く気満々で馬腹を蹴ろうとした時。
「お嬢さん、何かお困りか?」
 隣を通り過ぎようとしていた兵が、馬足を緩めて声を掛けてきた。
「ええ。このお子様が、私の馬を独り占めしちゃって」
 突然の事に驚くでもなく、さらっと嘘八百を答える。
「ちょっと待て!お前のじゃない!俺の馬だ!!」
 朔夜の喚きも逆手に取られ、若い兵に向けて「ほらね」と言わんばかりの表情を向ける。
 兵士は笑って頷き、馬を降りた。
「僕に何か出来る事がありますか?」
 於兎もにこりと笑い、朔夜の後ろを指差す。
「あそこに乗せてくれない?」
 気前良く兵士は両手を合わせて差し出し、それを於兎に踏ませ、上から朔夜が引っ張り、無事乗馬出来た。
「ありがとう。お名前は?」
 馬上に落ち着いた於兎が爽やかに問う。
「霜旋(ソウセン)と言います」
 白い歯を見せ、於兎以上に爽やかに兵士は答えた。いくら取り繕っても元が違うよな、と朔夜は思ったりしている。
「あなた方もこの遠征に?失礼ですが…軍関係者なのですか?」
 霜旋の疑問は当然だろう。あまりに場違いな二人だ。
「西の国境の街に大事な用があるの。軍幹部の知り合いに相談したら、この部隊と旅すれば安全だって言われて」
 ちらりと朔夜は後ろに目をやる。
 よく回る舌だ、と感心する様な呆れる様な。
 若い兵士は素直に信じた様だ。
「成程。何かお困りの事があれば遠慮無く声をかけて下さい」
「ありがとう、霜旋」
 彼はにこりと笑って行列に従い駒を進めた。
 少し間を取って朔夜は馬腹を蹴る。
「…よく言うよ」
 ぼそりと於兎に呟く。
「本当の事は言えないでしょう?」
「まぁな…」
 於兎はともかく、朔夜の素性が洩れれば、この行列に混乱を来す事になるだろう。
 悪魔が苴に味方し繍に刃向かった噂は、まだ彼らの記憶に新しい筈だ。
「朔夜、あれ…!」
 急に後ろから突つかれ、見ればその指が一点を指している。
 隊列を見渡す、城郭の窓辺。
 そこに、桓梠の顔が。
 意識するより早く朔夜の手は腰の小刀に触れていた。
「っ…駄目…!!」
 刃を握った手を、於兎の手が抑える。
「邪魔するな…!殺しても良いんだろ!?」
「落ち着いてよ!!よく見て!!」
 二人の叫びは騎馬の足音に消される。
 にも係わらず、桓梠は二人に気付いた様だ。視線を合わせ、口元が歪んだ。
 その後ろに。
 華耶が。
「あの娘の無事が優先でしょ!?ここからじゃいくらあなたでも何も出来ない!」
 華耶は憔悴し切った、魂の抜けた様な表情で、ぼんやりと遠くを見ていた。
 行列に呑まれた駒は、乗り手の気持ちとは裏腹に進行方向に進んでゆく。
 朔夜は上を睨み付けたまま。
 何事も無く、それらは視界から消えた。
 どれほど手綱を引き、ここから取って返したいと考えたか。
 しかし何も出来ず、朔夜はやっと刃から手を離した。
 押し寄せる人馬の中、流される様に行きたくもない場所へ行く。
「朔夜…」
 恐る恐る、於兎が後ろから声を掛ける。
 朔夜は、はっと吐き捨てる様に嘲った。
「奴がここまで無節操な野郎だとはな」
「それは…」
「華耶は俺と同い年だ。そんな子供にまで手を付けるなんざ…あんたでも見損なうだろ?」
「…あなたを煽っているのよ」
 朔夜は口を引き結んで馬首を睨んだ。
 分かっている。桓梠は徹底的に見せ付けたいのだ。お前に自由は無い、と。
 選ぶ権利は無い。言われた事を熟していれば良い――それは、奴隷と同じだ。
 いや、自分とて奴隷なのだ。同胞の皆と同じ様に。
 ただ、この力を持つが故に、今までそれに気付かなかっただけで。
 立場は華耶達と何ら変わらない。
「怒りたい気持ちは分かるけど…今はとにかくあの娘の命を守る事だけ考えなきゃ?ね?」
 かなり長く黙々と馬を駆った頃、沈黙にたまり兼ねた於兎がそう言った。
 だが朔夜の頭の粗熱はかなり冷めており、燻る煙を思考に変えていた。
 怒りの中枢は、消える事は無いが。
「その為に故郷を失っても、お前はそれで良いのか?」
「…それは…でも…」
 何も言えなくなった於兎に、朔夜は溜息混じりに告げた。
「ずっと…考えてはいるんだ…何か手は無いか…」
「手…?」
「俺だって無力な人々を斬りたい訳じゃない。こんな馬鹿げた国に歯向かいたい気持ちは…俺も同じだ」
「でも、それじゃ、あの娘が…」
「…だから考えてるんだ」
 桓梠の目を欺き、華耶も敦峰も救う方法。
「影さえどうにか始末出来れば…」
「影?」
「あの黒尽くめの男の事だ。桓梠の命令で俺を監視している。今も、どこかで」
 露骨に探そうと首を巡らしそうになる於兎を、朔夜は鋭く止めた。
「やめろ。聞き耳まで立てられたら面倒だ」
「…ごめん」
 溜息で頷いて、朔夜は続けた。
「桓梠に敦峰の様子が伝わる前に、奴の息の根を止められたら…」
 だが実際、難しいだろう。
 影は慎重に慎重を重ね、朔夜が動けない時にしか現れない。力を使えば簡単だが、夜は決まって姿を眩ます。月夜でなければ力は使えない。
 それに、影が何人居るのかは分からないのだ。一人始末した所で安泰だとは思えない。
「奴の目も欺く…何か方法が…」
 呟いた時。
 視界が白くなり、手から力が抜けた。
 於兎の悲鳴が遠く、脳を掻き回されるような感覚の後、強い衝撃が全身を襲う。
 ――落ちたか、と。
 どこか遠い実感の中でそれだけを思った。
「朔夜!!」
 急には馬も止められず、何も出来ず馬上で叫ぶ於兎の代わりに、少し前を行っていた霜旋が飛んで来た。
 まず於兎の馬を止め、朔夜に駆け寄る。
「大丈夫か?」
 酷い吐き気がして問い掛けに答えられない。視界は白く明滅したまま。
「霜旋、朔夜は…?」
 於兎が馬上から問う。
「顔が真っ白だ。恐らく貧血でしょう。昨夜は旅に興奮して寝られなかったんじゃないか?」
 理由は全く違うが、ここ数日眠れなかったのは事実だ。ついでにろくに物も食べていない。
「ちょっと待っていて」
 霜旋は於兎にそう言うと、朔夜を抱き上げ道の端まで連れて行き、自らの馬と於兎の馬をそこまで引いて来た。
 二頭の轡に綱を結び、再び朔夜を抱き上げる。
「僕がこの子を連れて行きましょう。貴女は手綱をしっかり持っていて」
「分かったわ。本当、頼もしいわねあなたは」
「寝かせて休ませれば良いのですが…先を急ぐ故、申し訳ない」
 霜旋は言いながら朔夜を馬上に押し上げ、自らもその後ろに騎乗した。
 少年を懐に抱く形で座り、流れに合流する。
「日暮れまで馬から降りられぬ旅です。子供の身には少々、辛いかと思われますが」
「ええ。でもその子は見た目よりは年長なの」
 だからそんな言い草はやめろ、と本人は内心穏やかでないが声には出せない。
「十四ならもう少ししっかりしてても良いと思わない?なのにその通り、モヤシみたいで困っちゃう」
 だから!!言いたいが違うものを吐きそうで声には出せない。
「ははは、確かに」
 確かに。じゃねぇっ!!言いたいが…。
「まぁ、僕の弟もこんなものでしたよ。ひ弱でね、とてもじゃないが共に軍に入れた身じゃなかった。共に闘いたかったのですがね」
「あら、兄弟仲が良いのね」
「ええ。と言っても今はたまの手紙のやり取りだけです。郷里は遠いもので」
「そう…」
 遠い郷里に居る家族。
 於兎にとってはそれを失う旅なのだ。
「そうだ。あなた方のお名前を聞いていませんでした」
 そういえば、と於兎は気を取り直し答える。
「私は於兎。その子は…」
 はたと思い直し。
「事情があって、名前は明かせられないの」
 少し驚いた様な霜旋の顔の下で、朔夜が何か言いたげに細く眼を開いたが、すぐにまた閉じられた。
「成程、ではあなた方の旅の目的も、深くは聞きますまい」
「ごめんなさいね、こんなにお世話になっているのに」
「その点はお気になさらず。お節介は僕の疵です」
「まぁ!」
 大人達の笑い声を聞きながら、朔夜は数日ぶりに、殆ど気を失う様にして眠った。


 気がついた時には既に宿場に着いていた様で、見知らぬ部屋の寝台に横になっていた。
 部屋は暗いが、窓から月明かりが差し込んでいる。
 その光にぞっとして、急いで立ち上がり蔀戸を閉めた。
 塗り潰した黒の視界。
 強い目眩を覚え、その場に座り込む。
 座る事も辛く、冷たい床の上に崩れるようにして転がった。
 伸ばした銀髪が、隙間から洩れる僅かな光を反射して静かに輝く。
 ――この力さえ無ければ。
 この手が生んできた数々の悲劇も、これから創り出すであろう惨劇も、この眼で見ずに済んだ。
 華耶だってこんな目に合わずに済んだ筈だ。
 この力を消せたら――…
 そのまま朔夜はうっすらと眠った。
 また、梁巴を血の紅に染める夢を見た。




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