impatient 10 頭の中が、目の前が、全てが透き通っていく感覚がした。とてつもなく長い夢から覚めたような、不可思議な心地。 しばし固まってしまい、紗奈が怪訝そうに声を掛ける。 見下ろして紗奈と目が合うと、何故か熱いものが両目から零れ落ちた。 これは安堵だろうか。 思いのまま、まさに飛び付くように紗奈を全身で抱き締める。 「きゃっ」と言う声で、驚かせたことと苦しいかもしれないことは分かっていたが、より腕の力は強くなってしまう。 それでも紗奈は、不満を言わず、抱き締め返してくれた。 どくどくと心臓が血潮を送る中、紗奈の感触だけが俺を落ち着かせていく。 怖い夢だった。 君がいない世界。 君を忘れてしまった現実。 愛した事実までも消えてしまうなど。 しばらくして離れると、紗奈は心配を浮かべていた。 「大丈夫…ですか?」 「ああ。ごめん、悪かった。」 そして、一番に伝えたい想いは一つだった。 「愛してる、紗奈。この世の何よりも。」 今度は紗奈が固まる番だった。 それもそうだろう。きっと十数秒前までは何事かと心配してくれていたのだから。 「思い出したよ、全部。……恐らくだが。」 「…………」 紗奈は黙っていた。 真っ直ぐ見つめる丸い瞳は、真偽を確かめるためというより、ただただ呆然としているようだった。 「辛い思いをさせてすまなかった。」 丸い瞳は瞬きもせず、しかし、じわりと涙が滲む。 「しかしよく、記憶のないままの俺とこんなことしようと思ったな…。」 「私だって、色々考えて、悩んで、決心したんですよ。それで一度離れようと思ったけど、さっきの陽高様を見てわかったから。忘れてても、陽高様は陽高様だって。大好きな陽高様に変わりないってわかったから、だからこうしても大丈夫だって思ったんです。決して半端な気持ちじゃないし、わ、私が単純にしたかったってわけじゃないんですからね!」 責めた訳ではないが、紗奈はきっと今まで感情を吐き出せなかった分、攻めの口調になっていた。 わかっている。けれど溢れる感情を吐き出したいのは俺も同じだ。 「ありがとう。愛してる。」 今まで言えなかった分、失っていた分、後から後から湧き出てくる。 紗奈は唇を結んで、不服と言いたげに尖らせた。 「紗奈、愛してるよ。これからもずっと一緒にいよう。」 一度は破棄された婚約かもしれない。 しかしやはり俺には紗奈以外ありえない。 素直に頷いてはくれない紗奈だが、顔が少し赤い。 「もし紗奈が俺を忘れたとしても、今以上に惚れさせるから安心しろ。」 ぷはっと息を噴き出して笑う紗奈。 「それなら安心ですね。」と、尚も笑う。 「じゃあ、ずっと一緒にいましょうか。」 幸せを実感しつつ、これからも幸せな日々を過ごしていきたいと、未来を思い描いた。 ---Fin 2016/1/10 [*前へ] [戻る] |