impatient
7
『ご自宅にお帰りになるそうです。』
「紗奈。」
廊下の先。振り向いた彼女は、目を丸くして、口は閉ざしたまま、俺を視認する。
私服姿の手に握る大きめのバッグが、先程受けた報告を真実と知らしめる。
向き合った彼女の唇が震えて音を奏でる。
「名前……。」
「思い出した。」
言って笑ってみせると、愛らしい顔はみるみる歪み、ボタボタと涙が溢れ出た。
「陽高様……!」
突進の如く抱き着いてくる紗奈。
あまりの喜びように、心臓がずきりと痛む。
「陽高様、ごめんなさい!私……」
言いながら見上げた紗奈は、そこで言葉を紡ぐのを止めた。
数秒、涙を溜めた瞳が見つめたと思えば、空中に浮いたままだった腕の隙間から離れていった。
「いいえ、いいえ……。いいんです。」
「紗奈?」
「貴方の優しい嘘は、私のためでしょう?」
拭うことすらない涙で頬を濡らしたまま、紗奈は微笑む。無理やり作られた痛々しい笑顔は、すぐに歪んだ。
「でも!こんなに深く、心を抉る!」
心。それがどこにあるかは不明だが、きっと今痛むのは、彼女が握った、そして先程俺も感じた胸の中心だ。
彼女の慟哭に動揺が隠せない。
俺の浅い考えの行動が、こんなにも傷付けてしまったのだ。
「そんな嘘、つかないでほしかった!希望を持たせて、突き放すなんて、残酷過ぎます!」
今まで穏やかだった彼女の激しい非難は、どれだけの傷を与えたか、想像に容易い。
小さな拳は、さらに彼女を傷付けてしまいそうで、考える間もなくその体を抱きしめた。
「ごめん!」
「なんで、呼び止めたんですか!あのまま行かせてくれた方が何万倍も良かったのに……!」
「ごめん……」
俺の体を押し返す紗奈をこのまま離してしまったら、きっともう取り返しがつかない。根拠もなくそんな気になって、回した両腕をさらにきつくする。
謝る以外何もできない。何をすればいいのか検討もつかない。どうすれば償えるかわからないから、言い訳にしかならない、自分の想いをそのまま伝えた。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!