2nd Season
10.22.
「高島さん、2時間抜けて来ていいですか?」
俺のマネージャーの高島さん(32)、独身、男。
「…………どうしてですか?」
ニコ、と見慣れた笑顔で聞き返される。
分かってるくせに。今朝事務所でオダッチと話してるのを聞いていた筈なのに。
「吾妻君は、まずどうしてそうしたいのかを伝えるのをいつもサボってます。」
「…………。」
「そして、マネージャーの僕に対してそうやって丁寧語でお願いするのはこれで2回目です。」
腕時計で時間を確かめた高島さんが、手帳を開いて短く呻ってた。
「2時間じゃ……、行って帰るだけで潰れてしまいますよ?3時間で次のスタジオに到着、できますか?」
「はい。」
「では、どうぞ。気を付けて。」
眼鏡の奥の目が困ったように笑ってた。
頭を下げて、エレベーターに乗り駐車場へと急ぐ。
朝からの仕事を1つ終え、昼食と打ち合わせを始めようとした時に切り出した。
………2回目?あぁ、あの時か。
現在と過去の自分の言動に呆れ笑いをした。
前に高島さんに無理なお願いをしたのは、ヤマナツに告白した翌日だ。ヤマナツが貧血で倒れたという話を聞いて雑誌の取材を取りやめにしてもらいレコーディングスタジオへと向かったっけ。
車に乗ってエンジンを掛け、携帯電話のマナーモードを解除した。
「……っし。」
ドラッグストアへ寄って買い物してからマンションへ戻るか。
ここからマンションまで40分。マンションからスタジオまで1時間かかるかかからないか。
今朝のヤマナツは、昨日程しんどそうでは無かったが、まだ体温は高熱をキープ。
ベッドの横に水分と携帯を置いて来たが、一度様子を見に帰ろうと朝の時点で決めた。
ヤマナツの今日の仕事はアツシとのテレビ番組の出演と雑誌の取材だった。オダッチに連絡して休ませて貰えるように頼んだ。
テレビの方は学校へ行く予定だったアキラに差し替えてもらい、雑誌の取材は延期。
オダッチに産休中の横山マネージャーを看病に寄越そうかと言われたが、ママと赤ちゃんに風邪が伝染っては大変なので断った。
オダッチはヤマナツの不調にも気付いていたみたいで、何故か俺に謝ってた。担当タレントの健康管理までマネージャーが責任を持つ事無いとは思うけど。
マンションに到着して静かに玄関を開けた。
寝てるかもしんねぇし。
部屋のドアは開けっぱなし。廊下から部屋を覗くと、ベッドの横に置いたペットボトルのイオン飲料が減ってた。携帯電話はベッドの下に落ちてた。
「夏希。」
ベッドに近付いて声を掛ける。
「…………大丈夫か?」
熱い頬に触れると、瞼を重そうに開けた。
「熱、測ってみろ。下がって無かったらまたノブオさん呼ぶから。」
布団の中に腕を入れ、体温計をヤマナツの衣類の中へと潜り込ませた。
「ん、……挟んだ。」
ピ、と機械音がしてヤマナツが真っ直ぐに俺を見た。
「今……何時?」
「昼の1時半位。」
「仕事は?」
「抜けてきた。ちょっとしたらまた出るから。」
「……うん。」
ヤマナツのおでこに貼った冷却シートを剥がした。乾いてぬるくなってた。新しいのをまたおでこに貼る。
体温計が計測を終えたのを音で知らせ、デジタルの数字を見た。
「大分、下がってんな。……何か食べるか?」
37.7度。まだ熱はあるけど今朝よりは下がってる。
「うん………、みかん食べたい。」
みかん……は、無ぇな。
「……ゼリーとかヨーグルトならあるけど。」
他には消化に良さそうな蒸しパンとか、レトルトのおかゆとか。
「え〜…、みかん、……食べたい。」
のっそりと身体を起こしてベッドの上に座ったヤマナツが、赤い頬を膨らませてた。
「缶詰の。冷たくて、甘いのが…食べたい。」
これは………おねだりしてるんだろうか。
「買ってこようか?」
「………やっぱ、いい。また出掛けたら買ってきて?楽しみにしとくから。」
ペットボトルを掴んだヤマナツがぼんやりと笑った。
「オダッチが、明日の昼まで休んでいいってさ。昼に迎えに来るって。」
「ん。治す。」
「何か、謝ってたぞ?」
「…………うん。びしょ濡れになったから、織田さんのせいじゃないんだけど。あ、蒸しパン食べる。」
びしょ濡れ?……仕事でか?
説明が足りない会話にもどかしさを感じながら体温計をケースにしまった。
「お昼…ご飯、食べた?」
「いや、行く時に何か買って車ん中で食う。」
「ごめん。忙しくさせちゃって。」
「いいよ、これくらい。」
お前の顔見て、安心したかったんだから。俺が。
買い物袋の中から蒸しパンを出して差し出した。
「リビング、行く。」
ベッドから足を下ろし、首を捻りながらゆっくり立ち上がると、俺の手から蒸しパンを受け取って歩き出した。
「寒くないか?」
「ん。」
「薬、飲めよ。」
俺の顔を見て、フイと視線を余所へとずらしたヤマナツ。昨晩の注射の事を気にしてんのか。
ヤマナツの背中を押して部屋から出た。リビングのソファに胡坐をかいて座ったヤマナツが蒸しパンの袋を開けた。
「ゼリーも、食べよっかな。」
パンに噛り付いたヤマナツが、ぼそっと呟いた。
冷蔵庫からゼリーを取り出し、薬とコップに水、そしてスプーンを持ってソファの前のテーブルに置いたら、ヤマナツが笑った。
「至れり尽くせり。」
「病人だからな。」
蒸しパンを3口食べただけで、食べ掛けのそれを袋に戻したヤマナツ。
ゼリーのビニールの蓋を半分開け、こちらもスプーンで2掬い口に運んだ。
俺をチラリと見た後で、ゼリーをテーブルに置いた。
「……もういらない。」
「いいよ、食える時に食えよ。ゼリーは冷蔵庫に入れといてやるから。」
ソファから立ち上がり、食べ掛け(というよりは摘んだだけ)のゼリーを手に取って冷蔵庫へと片付ける。
「トイレ。」
スプーンを洗ってる俺に、一言そう言ってのそのそとトイレへと向かうヤマナツ。
去年風邪をひいたヤマナツもそうだったけど、普段とは雰囲気の違う恋人の様子に、俺もどう対応していいか分かりかねてる感じ。
まず口数が少なくなり、口調もどこかのんびりしたような惚けたような……。
そう言えば、去年は熱が出てた時の事はあまり覚えてないって言ってたな。昨日今日の事も、うろ覚えになってしまうのだろうか。
部屋へと向かい、枕カバーを洗濯したものに替えてゴミ箱に溜まってた鼻をかんだらしいティッシュを片付けた。
………トイレ、長ぇな。
「まさか、な。」
トイレの前まで行ってドアをノックした。
「おーい、平気か?」
返事が無い。平気じゃ無いのか?
ドアレバーを捻ってみたら鍵がかかってなくて「開けるぞ」って声を掛けてからドアを押した。
予想通り、座り込んで便器に凭れるヤマナツの背後にしゃがんだ。
「吐いたか?」
頷いたヤマナツが、目を擦ってた。
トイレットペーパーを破って口を拭ってやり、背中を摩った。
「まだ気持ち悪いか?」
力無く頷くヤマナツを身体を支えて壁に寄り掛からせてリビングからコップの水を持ってくる。
「水飲んで。」
首を振って嫌がるヤマナツの耳元に静かに話してやる。
「嫌でも飲んでみろ。もう一回位吐けるから。そしたら楽になるぞ。」
胃が反芻しようとしてるから、水分を取り込んでやればその運動が起こるはず。酔っ払いの介抱方法だけど。
口に水を含んだヤマナツが、暫くしてもう一度吐いた。何も食べていないから胃液と水分しか出ないけど。
浴室から洗面器を持って来て、ヤマナツを立たせてベッドへと運ぶ。
「吐いてもいいから、水分はしっかり取れよ。」
だるそうに頷いて、瞼を伏せたヤマナツ。
「……平気、楽に、……なったから、仕事行って。」
まだ時間に余裕はあるけど、俺が傍に居る事でヤマナツが自分のせいだと気を遣うのだと分かって、早めにマンションを出た。
顔色は良くは無かったけど、俺の言葉を理解してるっぽかったし、洗面器も水分も全部用意してきた。
落ち着かないけど、仕事はしないといけない。
できるだけ早く終わらせたいけど、1人で出来る仕事ではないからこればっかりはどうしようもない。
.
マンションに帰ったのは、夜の9時を過ぎてた。
ヤマナツが食べたいと言ってたみかんの缶詰とパイナップルの缶詰を買ってきた。
「おかえり。」
イイコで部屋のベッドに横になって本を読んでたヤマナツ。
「どうだ?」
「うん、いいよ。あれからゼリー食べたけど吐かなかったし。」
「そか。みかん、買って来た。」
缶詰を袋から出して見せたら、ニコと笑ってベッドから起き上がった。
その動きが、昼とは違って幾分か元気そうに見えた。
「食いたい。」
「パインもあるけど。」
「みかん。みかん食べたかったんだぁ。」
俺の手から缶詰を受け取って、キッチンへと向かうヤマナツ。
おでこに貼った冷却シートは無くて、顔を洗って歯磨きもしたみたいだった。
足には薄いピンクの靴下。着ているシャツも昼までとは違うTシャツ。
着替えも出来てしっかりと話も出来る、いつものヤマナツだと思った。
シンクの前で缶詰を開けてお皿に大きなスプーンで移してた。
近付いて頭を掴んでおでこをくっ付けた。
「熱、下がったな。」
「そう?」
スプーンを舐めながらヤマナツがいつもの可愛い笑顔で俺を見た。
「……あ、チュゥはだめ。伝染ると皆に叱られちゃう。お風呂入ってねぇし臭いよ?」
キスしようと顔を寄せたら、ヤマナツがスプーンで自分の口を塞いでた。
伝染るならもうとっくに伝染ってんだろ、とは思ったけど。
とりあえず、恋人がしんどそうじゃなくなっただけで一安心。
ダイニングテーブルに向かい合って、ヤマナツは俺が買って来たみかんの缶詰を美味しそうに食べ、俺はこの秋新発売のカップラーメンを啜った。
「今日はこのまま寝て、明日の朝お風呂入ろう。頭洗ってやるからな。」
「明日は?アズマ君何時に出るの?」
「俺も昼から。」
「そっか。」
ごちそうさま、と手を合わせたヤマナツがお皿を流しへと運んだ。
「……ベッド、占領しちゃってごめん。」
思い出したようにヤマナツが振り返って俺に言った。
「いいよ、お前のベッドで寝たし。」
そう、さすがにしんどそうなヤマナツと一緒のベッドで寝るのもどうかと、昨晩はヤマナツの部屋で横になった。……眠れては居ないけど。
.
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