2nd Season
19.降水確率50%。
初めてアズマ君と会ったのは、事務所の企画室の応接スペースだった。織田さんと副社長と話をしてる時に当時のマネージャーさんと部屋に入って来た。
「後で紹介するから。」
織田さんがアズマ君にそう言ったら、俺を見下ろしてた。眼が合って軽く頭を下げてた。
テレビで見るのとは違う印象のその姿にちょっと呆然とした記憶がある。
紹介するから、と連れられて入ったミーティングルームに居たのはアズマ君とヒロ君とウツミ君とオオサワ君。
「貴城?」
俺の着ていた制服を見て、ヒロ君が先に声を掛けてきた。
「はい。今高3です。」
「山本夏希君。3月生まれだから、まだ17歳。」
俺をそう紹介してくれた織田さんが背中を押して、一歩皆に近付いた。
「ヤマモトナツキ?……って、呼びにくい名前だな。」
俺の名前を呼んだ。でも、呼びにくいって言われた。
「山本……、やまもと、……夏希、どれもしっくり来ねぇな。」
「慣れてないだけだろ。」
呆れたようにウツミ君がアズマ君に突っ込んでたっけ。
「これから何回も呼ぶんだから重要だろ。」
そう言ったアズマ君の言葉に、胸が熱くなったのを今でもよく覚えてる。
「やま、もと…なつ、き。」
漢字を分けて俺の名前を口にしたアズマ君が、ひらめいたように俺の顔を見た。
「ヤマナツ。どう?」
今でいえば『どや顔』のその笑顔は初めて見るものだった。
「何か、旨そうだな。」
ヒロ君が言ったら、ウツミ君とオオサワ君も頷いて、織田さんが顎に手を当てて「イメージカラーはオレンジですね」って呟いてた。
それからは、グループとしてレッスンをしたりレコーディングをしたり。スタッフや関係者、他のタレントさんに俺を紹介する時は、皆が俺を『ヤマナツ』と紹介してた。
本名よりも圧倒的に定着した俺のニックネーム。
年下のアキラとアツシは俺を君付けで呼ぶから、ヤマナツ君からナツ君に短くなった。
同じグループとして活動する上で、本当に最初は皆をさん付けで呼んでたけど、すぐに皆を君付けで呼ぶようにマネージャーに言われた。
ウツミ君とヒロ君はあまり抵抗無く呼べた。
オオサワ君は結構色々世話をしてくれて、今思えばデビュー前に少し教育係をしてくれていたのかも。すでに20代になっていた人を君付けで呼ぶのって普通に緊張したものだ。
アキラとアツシは年が近いし、同じ学生だったからやっぱりすぐに仲良しになったし。
…………アズマ君を「アズマ君」と呼んだのはデビュー寸前くらいだった。
アズマ君に対しての用事も無いし、名前を呼ぶ事が無かった。
それに……俺はテレビの中のアズマ君を見てダンスを始めた位に憧れていたし、リアルにそのアズマ君の事を「アズマ」と呼び捨てで呼んでた。実際会う事も無いと思い込んでたし、普通に芸能人の事を周りの皆は呼び捨てで呼んでた。
ミーティングルームで打ち合わせを終えて、先に部屋を出たアズマ君に、横山マネージャーが「吾妻君に渡してきて!」とファイルを手渡され、追いかけて廊下でアズマ君の名前を呼んだ。
「アズマ君!これ!」
「おう、サンキュ。また明日な、ヤマナツ。」
俺に向けられた笑顔と言葉に、一緒に仕事をするんだという実感をひしひしと感じたんだっけ。
番組の収録が始まる前に、ヒロ君が肩を叩いてきた。
「ちょっとこっち来い。」
言われてヒロ君に近付くと、襟やらスカーフを直された。
「アズマには言った。案外すんなり聞き入れたぞ。」
「………うん、」
「笑え。恋人の俺にそんな顔すんな。アズマが見てる。」
静かに早口で言われて、顔を上げた。アズマ君の居る方を見ないでヒロ君の目を見た。
「よし、上出来。」
俺の即席の笑顔に、頭をぐしゃぐしゃと撫でて抱き寄せられ、背中をポンポン叩かれた。
トークは俺1人で、歌の収録を待つ皆がカメラを向けられてる俺を見てた。
「ヤマナツ君のソロシングル、売れてるんだってね〜!」
女性司会者の人が言った言葉に、台本どおりの返事を返した。
「今日は7人で歌ってくれるんですよね?」
「はい。元々7人用に作った歌なんで、俺のより何倍も素晴らしい出来です。」
「うわ、楽しみですね。この曲に込めたメッセージみたいなの、あるの?」
軽快なテンポで次々と話を振ってくれる司会者の言葉に、笑顔を向けた。
「…………好きな人を想って、作りました。」
「え!?うわぁ……聴き方変わっちゃうなぁ。」
カメラの向こうでこっちを見てる皆がニヤニヤ笑ってた。
そう、『アスタリスク』は俺の好きな人を想って作った、俺のとっておきの曲。
そっちで、1人だけソッポを向いてる、アズマ君への想いが詰まった曲。
「この後事務所で打ち合わせな。」
織田さんが俺にそう言って、皆に「お疲れ」って声を掛けてた。
無事に収録を終え、楽屋に戻る途中の廊下で後ろから襟首を掴まれた。
「ぅ、わ!」
転びそうになるのを、捕まえた本人の胸にぶつかって留まった。
「聞いた。お前ヒロユキが好きだった訳?」
無表情のアズマ君が唐突に聞いてきた。
「は?……って、ちょっと!こんなトコでそうゆうの無しでしょ。」
周りはスタッフや他の出演者もウロウロしてる。
アズマ君が、周りをチラリと見て溜め息をついてた。
腕を掴まれて、人の居ない自販機の前へと引っ張られた。
「つぅか、お前結構したたかだよな。俺に突っ込まれながらヒロユキの事考えてた訳だろ?」
あぁ………、うん、こういうの言われるの、覚悟してた。
「ん?以前の俺も知ってたって事?でもってそうゆう関係だったって事か?」
すっかり、そっちの方へ定着したんだ。俺の立場は。
「………そう、だよ。アズマ君は知ってた。お互いに割り切った関係だった。」
自然と笑ってた。
「だから、アズマ君が怪我して記憶失くしてから、ヒロ君と一緒にいる時間増えて距離が縮まったんだよね。」
「…………あっそ。」
「だから、早く引越して。」
そう言い残して、アズマ君を置いて楽屋へと足を向けた。
頭に心臓が来たみたいにドクドクしてる。胸の奥が殴られたみたいに痛い。
楽屋に入る直前にまた誰かに腕を掴まれた。
「そんな、顔……したまま入るんじゃない。」
「織田さ……、」
俺の代わりに楽屋のドアを開けた織田さんが、中からヒロ君を呼んだ。
「何か、言われたか?」
ヒロ君と織田さんが俺の顔を覗き込んで聞いて来たけど、俺は首を振って「何も」と言った。
だって、俺だって酷い事を言った。
俺がケガをさせて、俺がアズマ君から記憶を奪ったのに、おかげでヒロ君と上手くいったみたいに言った。
そんな事を言えた自分が、本当にしたたかだと呆れた。
「本当に、やれるのか?山本。」
織田さんが俺の頭を軽く叩いた。俺達が考えてる悪巧み(?)を、織田さんも聞いたんだと理解した。
「……もう少し、足掻いてみるって決めたんです。」
そう答えた俺に、ヒロ君が「よし、やるぞ」って肩を叩いた。
事務所へ到着して打ち合わせを終えると、ミーティングルームにヒロ君が入って来た。
「アズマはもう少しかかるみたい。一緒に帰るから待ってるんだろ?」
「うん、一応ね。」
部屋のドアを全開にして、ヒロ君が俺に手を伸ばした。
「もう少ししたら、アズマが来る。アズマの前で俺にキスできるか?」
「………うん、やる。」
自分からヒロ君の伸ばした手の中へと進んだ。
恋人になるんだから、それくらいはしなきゃいけないんだろうと思ってた。
俺がアズマ君以外とのキスをする、っていうのがとても重要なのも、ヒロ君は知ってる。
あの時の事をヒロ君は知ってるから。
開いたままのヒロ君の携帯が震えた。メール着信みたいで、ヒロ君が画面の文字を読んでた。
「………上手なキスじゃなくていいぞ?」
低くそう言ってくれたヒロ君に、思わず笑った。
机に腰を預けたヒロ君に引き寄せられて身体がくっ付いた。
「ごめんね………。」
ヒロ君に謝ったら、今日…もう何回目か分からない涙が滲んだ。
「いいよ、役得だと思っとくよ。」
役得って、こういう時に使わない言葉なんじゃないの?俺が女ならまだしも。
近くにあるヒロ君の笑顔を見て俺もつい笑った。
「ショック療法、一回目な。」
ヒロ君が言った言葉を合図に、俺は目を閉じてヒロ君の唇に自分のそれをそっと重ねた。
胸が………凄く、苦しい。
アズマ君と最後にキスしたのは、あの朝だった。
『マヨネーズの味がする。』
そう言って笑ってた笑顔が頭からずっと離れない。
勝手に震えてた俺の身体を、ヒロ君が抱き締めてくれた。
気持ちの良いキスだけじゃない。
キスって……人と唇を重ねるのって、本当にとても大切なものなんだ。
『言葉にしなくても、キスをしたらどれだけお前が俺を好きか分かる。』
『とても甘い味がするんだ。』
『俺よりお前の方が、キス…好きだろ?』
今更気付くなんて俺は本当にバカだ…………。
「………おーい、お前らが両思いなのは分かったから、せめてドア閉めろよ。」
視界の端に映ったアズマ君から顔を背けて、ヒロ君の身体にしがみついた。
「…………悪い、すぐ行くから下で待ってて。」
ヒロ君が俺を抱き締めたまま、アズマ君にそう言ってた。
足音が離れるのを待って、ヒロ君が俺に静かに言った。
「………ごめんな、悪かった。」
ヒロ君は悪くないのに、勝手に俺が泣いてるだけなのに。ヒロ君の肩に顔を寄せたまま首を振った。
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