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2nd Season
7.梅雨前線。


その日、もう一度アズマ君に会う程の気丈な精神状態は持ち合わせて無くて、入院するアズマ君の着替えを取りにマンションへ帰った後、荷物を織田さんに託してそのままマンションに引き篭もった。

3年間分の記憶が殆ど抜けてはいても、世間のニュースや話題とか、何が起こったかとかは何となく分かってるみたいで、少しずつ思い出していくだろうって言ってた。

それと、痛いと言っていた右手は手首の骨にヒビが入っていたらしい。

これからの仕事やアズマ君の生活の事を含めて改めて話をしようと、織田さんに明日はアズマ君に会う事を約束させられた。

今は、何を考えても思い出しても、自分を責めるような事しか頭に浮かばなくて、きちんと自分が動けて息をしているのが不思議な感覚だった。

何で、よりによって3年……俺と出会う前までアズマ君の脳は遡ってしまったんだろう。

リハーサルの前に俺がアズマ君を傷付けたから?

無神経な、何も分かってなかった俺の言動がアズマ君の中では俺の存在を消したい位に深い傷をつけたのか。

どんなに詰られてもどんな事をしても、許してもらおうと思ってたのに、アズマ君を失いたくないと思ってたのに。

自分の部屋のベッドに横になると、オレンジ色のクマのぬいぐるみを抱き締めた。そのままベッドの上で2・3回寝返りをうつように転がった。

今朝、キッチンでアズマ君がしてくれた優しい触れるだけのキスを思い出した。

『マヨネーズの味がする』

そう言って笑ってた。

『気持ちの良いキスが特別なもんだって分かってなかったんだろ?』

冷静な口調と、寂しそうな表情で言った言葉が、俺を知ってるアズマ君の最後の言葉。

そんなの嫌だ、嫌過ぎる。

「………ごめんなさい………ッ、」

閉じた目に、また涙が滲んだ。

謝っても、もう届かない。

そんな風に思ったら、ぶつけた関節や泣きすぎて重い瞼、考えるのを止めたい頭の中、訳も分からなく騒ぐ胸……色んな所が苦しくて、身動きが取れなかった。




翌朝、織田さんが迎えに来てくれる時刻よりも早く下へ降りた。

「おはようございます。」

マンションのエントランスの内側で、知らない女の人に挨拶されて、頭を下げて挨拶を返した。

あまりマンションの住民の人とは会わない。そうゆう風に設計されてるのだと、ココに引っ越してきた時に親父が言ってた。

「山本夏希さん?」

「あ、……はい。」

名前を呼ばれて、その人の顔を見た。やっぱり知らない人だった。

「いきなりすみません。私、櫻田ユミのマネージャーです。」

ポケットからネームプレートを出して俺に見せてくれた。

櫻田ユミ、さんって、

アズマ君がスポーツ新聞に載ったスキャンダルの相手。

「先日は吾妻さんからの丁寧なお詫びをありがとうございました。こちらからも挨拶をするべきですのに失礼を致しております。」

そう深々と頭を下げられて、意味が分からなくてただ立ち尽くしてると、背中を軽く叩かれた。

振り向くと、凄く綺麗な女の人が微笑んでいた。

櫻田ユミさんだった。

「初めまして。櫻田です。」

「………初めまして、山本…夏希です。」

「本当に一緒のマンションだったのね。」

フフフって笑って長い髪の毛をサラリと首から手を入れて後ろへと寄せた。

「え、ココに住んでたんですか?知らなかったです。」

「私も。このマンションってあまり人に会わないものね。」

薄いメイクしかしていないのに、何でこんなに綺麗なんだろう。

「カズ君が丁寧に謝ってきてくれました。自分なんかと噂になってしまって櫻田さんのイメージを崩してしまったのではないのでしょうかって、若いくせにそんな大人ぶった事言ってたわ。」

楽しそうにマネージャーの女の人と一緒に笑ってた。

「もし私が山本君と共演してたら噂になってたかもね。」

「このマンションから出てくる所を写真に撮られたでしょ?吾妻さんは山本さんの所に住んでるんだって説明してくれて謝罪しに来てくれました。」

櫻田さんのマネージャーがそう説明をしてくれて、「吾妻さんによろしくお伝え下さい」って言付けられて2人は先にマンションを出て行った。

結局、話題になったその新聞を俺は見ていなくて…アズマ君からそんな話も聞いてなくて。

俺から、アズマ君に何一つ聞こうともしていなくて。

ただ、俺が知らない所でアズマ君がちゃんと全てをフォローしてくれていたのだと今更気付く。

俺もマンションを出て迎えの車に乗ると、心配そうに俺を見た織田さんに櫻田さんの事を話した。

アズマ君のソロ担当のマネージャーの人と、その日の内に櫻田さんの事務所へ謝罪に行った事を教えてくれた。

「熱愛報道なんかでダメージ大きく受けるのは女性側だからな。事実無根でも一度ついたイメージを払拭するのには時間がかかる。その手間を考えたら頭下げる位しないとな。」

また1つ、この業界の事を教えて貰った。

「それより、本当に気付かなかったのか?櫻田ユミと同じマンションだって。俺は何回か顔見てたけど?」

………俺、鈍いらしいからね。でも櫻田さんだって知らなかったって言ってたもん。

てゆうか、きっと俺の事なんか知らなかったと思う。アズマ君程俺は人気は無いし、ドラマにも出演した事ないから。




事務所に到着すると、アズマ君も退院手続きを済ませて今事務所に向かっていると聞いた。

今日は俺との2人の仕事が入っていたけど、こんな状況だしとりあえずキャンセルしたのだと織田さんが言った。

キャンセルすると、違約金を払わないといけない筈。

「今回は吾妻が怪我したから延期。だから大丈夫。」

そう小さい声で教えてくれた。

ミーティングルームのドアが開いて、振り返るとヒロ君が入って来た。

「おはようございまーす。」

ヒロ君の担当マネージャーの福沢さんと一緒に俺達の向かいに座った。

「じゃぁ、まずこれからの仕事。」

手帳を開いた織田さんと福沢さんがペンをくるくると回した。

「吾妻と山本の仕事を……博之と山本で。」

織田さんがそれだけ言って俺とヒロ君にクリアファイルに入った書類を渡した。

「博之と吾妻君の仕事も、山本君にお願いします。」

福沢さんも同じように書類を俺とヒロ君に渡した。

「…………いつまで、ですか?」

ヒロ君が書類を捲りながら織田さん達に聞いた。

「暫く、だ。」

ドアをノックする音に織田さんが返事をして、中へ入って来たのはアズマ君だった。

「おはようございまぁす。」

「おはよう、どうだ?平気か?」

挨拶したアズマ君に織田さんがそう聞いてた。

「ん〜、まぁ痛いのは今のトコ治まってます。」

そう答えて包帯でぐるぐる巻きになった右腕を見せた。

「おす、」

ヒロ君にそう挨拶したアズマ君が俺を少しだけ見て、ヒロ君の隣に座った。

「狭いよ、あっち行けよ。」

面倒臭そうにヒロ君がアズマ君にそう言って笑ってた。

「いいじゃねぇか。心細いんだよ、一応。」

「どこがだよ。」

冗談を言い合う2人に、やっぱり入り込めなくて、黙って書類に目を落とした。

「……山本……夏希?」

そう声を掛けられて顔を上げた。俺を見るその目は、何の感情も無くただ俺を見てた。

「大体聞いたんだけど、他のメンバーは顔見知りだったけど、あんただけ知らなかったからさ。昨日は失礼しました。」

そう頭を下げられた。

「いや、……しょうがないし。俺こそスミマセン。ケガさせちゃって。」

他人行儀に話す俺達を、ヒロ君と織田さんが溜め息ついて見てた。

「てゆうか、山本夏希って呼びにくくねぇ?」

呼吸をするのを忘れる位、ショックを受けた。

初めて、アズマ君と会った時……全く同じ言葉を言われた。それを覚えていたのかと、錯覚してしまった。

「そ、れで……、皆は…ヤマナツって、呼んでる。」

途切れ途切れにそう伝えると、目の前に座るアズマ君が「ふぅん」って言って手を出した。

「じゃ、よろしくな。ヤマナツ。」

「うん、よろしくね。」

差し出された手に答えて握手をすると、その腕を引かれて身体が前のめりになった。

「何で昨日から泣きそうな顔してんの?」

耳に小さくそう聞かれた。勿論答えられる筈も無く、口を噤んだ俺にヒロ君が助け舟を出してくれた。

「こいつだって奈落に落ちてケガしてんだよ。手荒に扱うな。」

床に落ちた書類を拾い上げて俺に渡してくれたヒロ君が、アズマ君の襟首を掴んで引いた。

「さっき話してたんだが、暫く吾妻はケガが治るまでお休みな。焦って忘れたのを戻そうとしなくていいから。」

織田さんがそう言って『吾妻和臣』と書かれたクリアファイルをアズマ君に渡した。

「グループの仕事も当分は吾妻抜きで。その間は吾妻は歌とダンスのおさらいだ。次に活動始めるまでに覚えなおせ。」

「焦って戻すなって、急いで覚えろって事かよ。」

苦笑いしながらアズマ君が織田さんに皮肉を言った。

「復帰しても、暫くはインタビュー無しで写真撮影のみ。テレビに出てもお前はトーク無しだ。それが嫌なら早く思い出せ。」

アズマ君のファイルに挟まれた書類は一枚だけ。

それだけ2週間分の仕事が無しになった、という事。

俺とヒロ君のファイルには数枚の書類にビッシリとスケジュールが。アズマ君の分が回された感じ。

「で、どうするんだ?吾妻。昨日話したけど、お前は今…山本と住んでるんだ。」

「……あぁ、はいはい。」

織田さんに気の無い返事をした後で、俺を見て頭を掻いてた。

「マンションに戻れば思い出す事もあるかもしれないし、怪我してるしな。」

「…………でも、あの。」

織田さんが話してるのに口を挟んだ。

「アズマ君の前のマンション、まだそのまま残ってるんです。引越しらしい事してないから、」

「吾妻が前のマンションに引越したのなんて、3年経ってないんだぞ?」

ヒロ君が俺に向かって言った。

「前のマンションに戻ったって、今のアズマの知らない場所には変わりないんだ。お前が世話してやれよ。」

そういえば、初めてアズマ君のマンションに行った時に、引越したばかりだと言ってたような気がしてきた。

「世話って。」

笑いながらアズマ君が脚を組んだ。

「ケガって言っても指は出てるし、歩ける訳じゃん?年下の男に世話して貰わなきゃ生きてけない程、今の俺は駄目な男だったの?」

包帯から出た指を動かして見せて、呆れたように言った。

「1人で居られて、心配ではあるな。」

織田さんと、アズマ君の担当マネージャーの人が口を揃えて言った。

「チッ、信用ねぇの。」

舌打ちしたアズマ君がポケットから携帯を出して、俺に見せた。

「なぁ、この携帯……手触りとか見覚えとか、自分のだって分かるんだけど、使えねぇの。」

「は?」

「ロックかかってんだよ。番号知らねぇ?」

知らないよ、そんなの。アズマ君の携帯を開いた事無いし、ロックを掛けてる事も初耳だし。

分からないと伝えると、溜め息をつきながらまた携帯をしまった。

「何だ。同居する位仲良いんなら分かると思ったのに。」

その言葉が、明らかに落胆した口調で。

俺達が仲良かったという情報にガッカリしたみたいに感じた俺は、また泣きそうになった。


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あきゅろす。
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