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2nd Season
知らされる思い。


ラーメン屋を出た後、腹ごなしに駅まで20分程歩いて、駅からタクシーに乗ってノブオさんの店へ。

ノブオさんの店は、表札の部分に鉄板に店名が書かれてるだけで、如何にも隠れ家的な店。

あまりお客さんが来ないとは言ってたが、実際数回足を運んではいるけど自分以外の客に出会った事は無い。

そう春馬さんに言ったら、「そりゃ…」と何かを言い掛けて笑ってた。

店のドアを開けると、カウンターを拭いてるノブオさんが俺達を見て「いらっしゃい」って声を掛けてくれる。

「吾妻君が、この店客が入ってないって心配してるぞ。」

春馬さんがコートを脱ぎながらからかうようにノブオさんに言った。

コートを受け取ったノブオさんがハンガーを通して壁に掛け、俺をじっと見た。

「あれ、気付いてないの?ここ……会員制なんだよ。」

会員?

「客が来る時だけ店開けるんだ。」

「会員って、」

まさかと思って問おうとした言葉を言い出す前に、春馬さんがジャケットから煙草とライターを出した。

「それでも20人位はいるかな。」

春馬さんの言葉にノブオさんが続ける。

「春馬が連れて来た人だけが客。吾妻君も誰か連れて来ていいよ?」

「………その内。」

俺の前にグラスが置かれる。春馬さんが手に持ったグラスを俺に向けた。

「じゃ、」

カチン、と音を立ててグラスをぶつける。

口に含んだお酒の薫りを充分に楽しんでから飲み込む。

カウンターの中で、ノブオさんが氷をアイスピックで砕いてる音を暫く聞いてた。

春馬さんが煙草に火を点けて、細く煙を吐いた。

「今日はナツ坊は?」

ノブオさんが口を開く。

「どっか行ってんだって。夜遅いんだと、あの不良息子。」

拗ねたように言った春馬さんに、ノブオさんが苦笑いしてた。

「お前にだけは言われたくないだろ。」

そうツッコんだノブオさんを軽く睨んだ後で、俺の方を向いて春馬さんが煙草を指に挟んだ。

「夏希に、……何か俺の事聞いた?」

「ん〜……特には何も。」

「俺が母さんの子じゃないって話は?」

「…………知ってます。」

春馬さんの口から、直接その話題を振られるとは思わず、直ぐに言葉を返せなかった。

煙草を咥えて、静かな動きでノブオさんを見て何かを合図してた。

「父さんと母さんは、本当に大恋愛の末に結婚したんだけどね。母さんは子どもを産めない身体だったんだ。」

ヤマナツのお祖父さんとお祖母さんの話に、声も出さず頷いて続きを聞いた。

「親切な大人が俺に、お前は母さんの子じゃないって教えてくれる訳、わざわざ。」

坦々と話し、煙草を灰皿に押し潰してた。

「中学に入った頃だったかな。」

グラスのお酒をグイっと傾けて一気に飲み干した後で、さっきとは違うグラスに色の濃いお酒を注がれてた。

「反抗期でもあったんだけどね、例に漏れず俺も荒れ捲ってたんだ。」

自嘲気味に笑う春馬さん。ヤマナツも「例に漏れず」という慣用句を使って俺に話してくれてた。

「…………5歳年上の、男慣れした女だった。」

それが、何の話で、誰なのか、分かってしまう。

「ピルを飲んでるから、大丈夫だって言葉を信用した訳じゃ無かったんだけどね。まぁ…若かったから、後先なんか考えてなかったんだ。」

俺のグラスを指差して、飲んで、と促される。

「妊娠したって、俺の所に来たその女の腹の中の子が俺の子だなんて確信は無かった。実際、その女も俺だったら堕胎費用出してくれるだろうってノリで俺に金を催促してきた。」

流し込んだお酒が、やけに喉にヒリヒリとした気がした。話を聞いてる自分の方が緊張してるだなんて。

「中学生の俺に動かせる金なんか勿論無くて、悪びれもせず母さんに頼んだんだ。」

カウンターの中のノブオさんが、1本分の灰しか溜まってない灰皿を新しいのに替えた。

浅く、溜め息をついた春馬さんが思い出すように目を閉じた。

「初めて、母さんに怒鳴られた。……叱られた事はあっても、いつものんびりしてて幾つになってもお嬢さんみたいな母さんが、震えながら怒った。」

グラスの側面についた露を指で撫でながら春馬さんが言葉を繋ぐ。

「その時に、母さんが子どもを産めない身体だと知らされて…それでも父さんの子を育てたくて、母さんの方が無理を言って余所で俺を産んでもらったのだと聞かされて。………堕ろそうとしてる子どもは、母さんの愛してる父さんの血を継いだ子どもかもしれないのだと、泣きながら俺に話すんだ。」

穏やかな笑顔と、上品な物腰のヤマナツのお祖母さん、ハナエさんの姿が頭に浮かぶ。

「母さんは、父さんの血まで、愛してるんだ。」

「血……。」

深く、物凄く熱い、思いだと脳が痺れた。

「その命を、母さんが……欲しがった。」

ぎゅう、と胸が締め付けられ、目の奥が熱くなった。

「海外から、専門の研究者を手配して、受精卵から遺伝子検査したりして、その小さな命が山本の遺伝子を受け継いでるのは50%の確率だと言われた。」

「………50%。高いですね。」

「うん、そうだね。産まれるまでは確実に分からないけどね。それからは俺が関与する事も無くて…その女とも2度と会ってないんだけども、夏希がね、産まれて来た。」

ヤマナツの名前を口にした春馬さんの顔が綻んだ。

「元々捨てるつもりだった命を、譲り受けたいってお願いしに行ったんだって。」

ノブオさんがグラスを拭きながら静かに話した。

「ノブオに調べて貰ったんだ。俺が留学して日本に居ない間に。」

グラスを口に寄せて少し含んだ春馬さん。

「女の家族も本人も、金さえ出して貰えればってその命に無頓着だったって、ウチの親が怒ってた。」

「その交渉に、ノブオの母親が立ち会ってくれたんだって。」

ノブオさんの言葉に春馬さんが説明を加えるように言った。

「それでも、無事に産まれるまでの時間や生活を拘束される訳だから、産まれてくる赤ん坊に情が湧くのを一番心配してたんだ、母さんは。」

いざ産まれたら、その赤ちゃんを渡したくないと母親が言ったら交渉決裂って事だ。

「DNA検査をして、その子が確実に春馬の子だと分かった時点で、女は慰謝料を吊り上げてきた。」

ノブオさんが腹立たしげに口にした言葉を聞いて、思わず春馬さんの顔を見た。

「母さんはその倍の金額を支払ったんだって、ノブオから聞いた。」

春馬さんがカウンターに肘をついておでこに手をあてた。

下を向いて、吐き出すように低い声が耳に届く。

「2000万、………夏希の値段。」

手が、震える。

腹の奥や胸の奥が熱い。

自分の手で自らの手の震えを治めようと、手を強く握る。

「その子が俺の子じゃなくても引き取るつもりだった。産んでくれって頼んだのはこっちだし、そんな母親の元で育てても子どもが可哀相だ。」

「春馬さん……は、」

話し続ける春馬さんに、声を掛けた自分の声が情けない程震えてた。

「春馬さんは、……ヤマナツを、産まれたばかりのヤマナツをどうして、愛せたんですか?」

普通だったら、夫婦になってその命を授かり、徐々に母親の胎内で成長していくのを傍らで見守る内に父性を育てていくのだと、聞いた事がある。

ましてや最初はその命を堕ろそうとも思っていたし、2度と女と会ってないとさっき言ってた。

「夏希が産まれるまでの8ヶ月、」

妊娠から出産まで10ヶ月を要する。2ヶ月目にその存在を知らされて、春馬さんの知らない8ヶ月後にこの世へと生まれ出る。

「俺は、母さんにどれだけ愛されてるかを実感したんだ。」

照れくさそうに、それでもどこか幸せそうに笑った春馬さん。

「15の夏に、俺は生まれ変われた。生まれてきた子には、夏希って名前を付けようって考えてた。」

以前に、ヤマナツの事を、夏の…希望だと、アツシが言ってた。

「人を変えられるのは、力とかじゃないんだよね。」

「希望、ですか?」

「うん。……希望。」

煙草を箱から出して、指の間に挟んだ春馬さんが俺を見た。

「後ね、………愛。愛したり愛されたり。」

穏やかな表情で、俺の前に置かれたグラスを掴んでノブオさんに渡してた。

氷が溶けて薄くなったお酒を、新しく注ぎ直してくれる。

「夏希っていう存在は、俺にとって、本当に愛おしい。」

自分のグラスを新しい俺のグラスに軽くぶつけて、濃い液体が全部春馬さんの中へと消えていった。

「それでも、俺や母さん達が夏希へ与えられるものは所謂家族愛でしかないんだ。」

次に、何を俺に伝えたいのか、察してしまう。

春馬さんと目が合って、フ…と和らいだその表情が本当に暖かくて。

「赤ん坊って、いっつもこう…手を握ってるじゃない。」

自分の手をぐ、と握って手をグーにして俺に見せる春馬さん。

「その手の中に、色んなものを握ってるってよく言うでしょ?」

聞いた事があるような気がする話に頷いた。

「手を広げて、大きく成長して。その手放したものを再び掴んで、余った部分で、それ以上の幸せや愛情を捕まえるんだって。」

開いた手を、またぎゅっと握って話を続ける。

「人間って、1人で産まれて来て…死ぬ時も1人とか言うけどさ、でも1人じゃ生きられないよね。」

握った自分の手を見つめる春馬さんが、寂しそうに笑った。

「手放したものってのは、差し詰め家族愛ってトコだろうと思う。手を伸ばせば届く場所にいつもあるもの。自分を無条件に愛してくれるのは家族なんだよね。でも、俺達は確実に夏希より先に死んでしまう。その手の平に余った部分で、夏希は俺達よりも大事な人を見つけて捕まえて、手に入れる。」

握った手を、もう片方の手が包むように両手を握り締める春馬さん。真っ直ぐに俺を見つめると、その目はもう笑って無くて。

「生まれたばかりの夏希の小さな手を俺達は皆で握って、夏希が……愛した人を、俺達も愛そうって、決めた。」

ぐ、と息が止まった気がした。

思考が働かない。

目に見えない、掴みどころのない、言葉だけでしか言い表せないその実体の無いものを、

こんなにも感じるなんて。

身体の内から熱く広がる想いに、言葉も無くただ唇を噛み締めた。

「こんな風に言うの悪いけどね、吾妻君も夏希も男で……いつまでもずっと2人がって、俺達思ってないんだ。」

座った椅子ごと、身体を俺に向けて春馬さんが言った。

「できるだけ一緒にいてやって欲しいとは思うけど、まだ2人とも若いし、様々な出会いがある。どっちの気持ちが変わっても不思議じゃない。それでも今、吾妻君がどれだけ夏希を本気で想ってくれてるのかは分かるんだ。」

情けないけど、本当に言葉が出なくて、ただ頷いて返事をした。

頷く度に、俺の目から熱いものが零れた。

俺達の事をちゃんと分かってくれているんだ。だから、この話をしてくれたんだ。

「吾妻君に、夏希より大切な人が出来ても、俺達は責めたりしない。夏希に、人を愛する気持ちを教えてくれて、人に愛される悦びを味わせてくれて。そればっかりは俺達からは夏希に教えてやれないからね。」

春馬さんの口から放たれる言葉の一つ一つに、ヤマナツへの愛情が散りばめられてる。

袖で目を拭って、春馬さんに向き直り頭を下げる。

「……ヤマナツが、…夏希が許してくれれば、ずっと一緒にいたいです。傍に、居てもいいでしょうか。」

「うん、………よろしくお願いします。」

俺の肩を押した春馬さんの手が頭を上げさせる。

「やっぱ、名前で呼んでるんだ。」

フフ、とからかうように笑った春馬さんが煙草に火を点けた。

ノブオさんがボトルのキャップを開けて、春馬さんのグラスにお酒を注ぐ。

「てゆうか、今の…お嬢さんを僕に下さい、みたいだったぞ?」

苦笑いしながらノブオさんが俺にそう言った。

「え、そうなの?う〜ん…それはまだ早いなぁ。」

「え!ダメなんすか!?」

弱った、と言った風に頭を掻いた春馬さんの言いぶりに思わず大袈裟に返すと、春馬さんもノブオさんも笑った。




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あきゅろす。
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